阿含経を読む

汝のものにあらず

南伝 相応部経典12-37 汝のものにあらず
漢訳 雑阿含経12-13 非汝所有
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、比丘たちに説いて仰せられた。
「比丘たちよ、この身は汝たちのものではない。また他のものでもない。
比丘たちよ、これは過去世の業によって造られたのもであり、過去世の業によって考えられたものであり、また過去世の業によって感受せられたものであると知るがよい。
比丘たちよ、だから、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たるものは、縁起の理法をよくよく思念するがよいのである。
それは、これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるのであり、これなきがゆえにこれがないのであり、これ滅するがゆえにこれが滅するのである。すなわち、無明によって行があり、行によって識があり、・・・かくのごときが、このずべての苦の集積の生起である。また、無明を余すところなく滅することによって行の滅があり、行の滅によって識の滅があり、・・・かくのごときが、このすべての苦の集積の滅尽である」
注解
 その経題の「汝のものにあらず」(Na tumhâ=not yours)というのは、この身についての我見を否定するものである。では、この身はいったい何であるか。それは、つまり、縁起の理法によって存し、また滅するのもであるというのが、この説法の趣である。
更新2007年5月11日