阿含経を読む

城邑

南伝 相応部経典12-65 城邑
漢訳 雑阿含経12-5 城邑
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、かように仰せられた。
「比丘たちよ、むかし、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。<この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか>と。
比丘たちよ、そこで、わたしは、このように考えた。<いったい、何があるがゆえに老死があるのであろうか。何によって老死があるのであろうか>と。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい考え方によって。智慧による悟りが生まれてきた。<生あるがゆえに老死があるのである。生によって老死があるのである。>と。
比丘たちよ、そこでまた、わたしはこのように考えた。<では、何があるがゆえに生があるのであろうか。・・・有があるのであろうか。・・・取があるのであろうか。・・・愛があるのであろうか。・・・受があるのであろうか。・・・触があるのであろうか。・・・六処があるのであろうか。・・・名色があるのであろうか。・・・・・・何によって名色があるのであろうか>と。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい考え方によって。智慧による悟りが生まれてきた。<識があるがゆえに名色があるのである。識によって名色があるのである>と。
比丘たちよ、そこでまた、わたしはこのように考えた。<いったい、何があるがゆえに識があるのであろうか。何によって識があるのであろうか>と。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい考え方によって、智慧による悟りが生まれてきた。<名色があるがゆえに識があるのである。名色によって識があるのである。>と。
比丘たちよ、そこで、わたしはまたこのように考えた。<この識はここより退く。名色を超えて進むことはない。人はその限りにおいて、老いてはまた生まれ、衰えては死し、死してはまた再生するのである。つまるところ、この名色によって識があるのであり、識によって名色があるのである。さらに、名色によって六処があるのである。六処によって触があるのである。・・・これがすべての苦の集積のよりてなる所以である>と
比丘たちよ、<これが生起である。生起である。>と、わたしは、いまだかって聞いてこともないことにおいて、眼をひらき、智を生じ、明(みょう)を生じ、光を生じた。
比丘たちよ、そこで、わたしはかように考えた。<では何がなければ老死がないであろうか。何を滅すれば老死が滅するであろうか>と。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい考え方によって。智慧による悟りをうることができた。<生がなければ老死はない。生を滅すれば老死も滅するであろう>と。
比丘たちよ、そこで、わたしはかように考えた。<何がなければ生がないであろうか。・・・有がないであろうか。・・・取がないであろうか。・・・受がないであろうか。・・・受がないであろうか。・・・触がないであろうか。・・・六処がないであろうか。・・・名色がないであろうか。・・・なにを滅すれば名色が滅するであろうか>と。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい考え方によって、智慧による悟りをうることができた。<識がなければ名色はない。識を滅すれば名色も滅するであろう>と
比丘たちよ、そこで、わたしはかように考えた。<では何がなければ識がないであろうか。何を滅すれば識が滅するであろうか>と。
比丘たちよ、そこで、わたしはかように考えた。<わたしによって、この道は正覚(さとり)に到達した。すなわち、名色を滅すれば識が滅する。識が滅すれば名色が滅する。名色が滅すれば六処が滅する。六処が滅すれば触が滅する。・・・これがすべての苦の集積のよりて滅する所以である>
比丘たちよ、<これが滅である。滅である>と、わたしは、いまだかって聞いてこともないことにおいて、眼をひらき、智を生じ、明を生じ、光を生じたのである。
比丘たちよ、たとえば、ここに人ありて、人なき林の中をさまよい、ふと、古人のたどった古道を発見したとするがよい。その人は、その古道にしたがい、進みゆいて、古人の住んでいた古城、園林があり、岸もうるわしい蓮池がある古き都城を発見したとするがよい。
比丘たちよ、その時、その人は、王または王の大臣に報告していうであろう。『尊きかたよ、申しあげます。わたしは人なき林の中をさまよっている時、ふと、古人のたどった古道を発見いたしました。その道にしたがって、ずっと進みゆいてみると、そこには古人の住んでいた古城がありました。それは、園林もあり、岸もうるわしい蓮池もある古き都城でありました。尊きかたよ、願わくはかしこに城邑(まち)を築かせたまえ』と
比丘たちよ、そこで、王または王の大臣が、そこに城邑をつくらせたところ、やがて、その城邑はさかえ、人あまた集まりきたって、殷盛を極めるにいたったという。比丘たちよ、それとおなじく、わたしは、過去の正覚者のたどった古道・古径を発見したのである。
比丘たちよ、では過去の諸仏のたどってきた古道・古径とはなんであろうか。それはかの八つの聖なる道のことである。すなわち、正見・正思・正語・正命・正精進・正念・正定がそれである。比丘たちよ、これが過去の正覚者たちのたどった古道・古径であって、この道にしたがいゆいて、わたしもまた、老死を知り、老死のよって来るところを知り、老死のよって滅するところを知り、また老死の滅にいたる道を知ったのである。
比丘たちよ、わたしはまた、この道にしたがいゆいて、生を知り、・・・有を知り、・・・取を知り、・・・愛を知り、・・・受を知り、・・・蝕を知り、・・・六処を知り、・・・名色を知り、・・・識を知り、・・・またわたしは、この道にしたがいゆいて、行を知り、行のよってなるところを知り、行のよって滅するところを知り、また、行の滅にいたる道を知ったのである。
比丘たちよ、わたしは、それらのことを知って、比丘、比丘尼ならびに在家の信男・信女たちに教えた。比丘たちよ、そのようにして、この聖なる修行は、しだいに広まり、おおくの人々によって知られ、また説かれるようになったのである」
注解
 経はまず、釈尊の回想のことばから始まる。まだ正覚を得ざりし菩薩(bodhisatta)すなわち修行者であったころの回想である。そこでは、まず、脱出しがたい苦の中に沈淪する自己が語られ、それがやがて、縁起の理法によって脱出しうることを悟るにいたる。つまり、正覚の消息である。ついで釈尊は、その正覚の消息を、それは、譬うれば、古道を辿りゆいて古き城邑を発見したようなものだと語る。それは、詮ずるところ、かくして悟りえたこの道は、永遠の道であるとこそ語っているものと知られる。
城邑(Nagara=city,a fortified town) いわゆる古代都市である。
生あるがゆえに老死がある ここに説かれている縁起の系列は十支縁起である。老死・生・有・取・愛・受・蝕・六処・名色・識である。そして、いう『この識はここより退く。名色を超えて進むことなし』と。そこでは、まだ、行・無明は語られていない。
更新2007年5月12日