阿含経を読む

接触

南伝 相応部経典14-2 蝕
漢訳 雑阿含経16-52 蝕
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、比丘たちに告げて、かように仰せられた。
「比丘たちよ、種々の異なる世界(界)があるがゆえに、種々の接触が生ずるのである。
比丘たちよ、では、種々の異なる世界とはなんであろうか。眼の世界・耳の世界・鼻の世界・舌の世界・身の世界・意の世界である。比丘たちよ、これを種々の異なる世界とはいうのである。
比丘たちよ、では、種々の異なる世界があるによって、種々の接触が生ずるとは、どのようなことであろうか。
比丘たちよ、眼の世界があるによって眼の接触が生じ、耳の世界があるによって耳の接触が生じ、鼻の世界があるによって鼻の接触が生じ、舌の世界があるによって舌の接触が生じ、身の世界があるによって身の接触が生じ、また、意の世界があるによって、意の接触が生ずるのである。
比丘たちよ、そのようにして、種々の異なる世界があることによって、種々の接触が生ずるのである」
注解
 ここに挙げる数経の集録は、「界相応」(Dhâtu-samyutta)と称せられる。ここに、界( dhâtu=state of being)もしくは世界と訳せられる言葉は、人間の対象としての存在の種々の相をいう言葉である。この世界を全体としていうときには、「世間」(loka=world)という言葉が用いられた。それに対して、われわれの認識の対象として種々相を示現するこの世界を「界」と称するのである。
そして、ここにまず取りあげる「接触」(Samphassa=contact)と題する経においては、釈尊は、「種々の異なる世界があるから、種々の接触が生ずるのだ」として、眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意界の存在を語っているのである。
更新2007年5月13日