阿含経を読む

南伝 相応部経典22-48 蘊
漢訳 雑阿含経2-23 陰
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、比丘たちに告げて説きたもうた。
「比丘たちよ、わたしは、いま、汝らのために、人間を構成する五つの要素(五蘊)と、生に取著する五つの要素(五取蘊)を説こう。よく聞くがよい。
比丘たちよ、では、人間を構成する五つに要素とはなんであろうか。
比丘たちよ、あらゆる色(肉体)は、それが過去のものであれ、現在のものであれ、あるいは、内外、精粗、勝劣、遠近の別をとわず、それらは、ずべて名づけて色蘊 しきうんとなす。
比丘たちよ、あらゆる受(感覚)は、・・・すべて名づけて受蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる想(表象)は、・・・すべて名づけて想蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる行(意志)は、・・・すべて名づけて行蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる識(意識)は、・・・すべて名づけて識蘊となす。
比丘たちよ、これらを名づけて五蘊となすのである。
では、比丘たちよ、生に取著する五つの要素とはなんであろうか。
比丘たちよ、あらゆる色(肉体)は、それが過去のものであれ、現在のものであれ、あるいは、内外、精粗、勝劣、遠近の別をとわず、それらは、すべて、人の心を酔わせるものであり、生に取著するものである。かくて、それらは、すべて名づけて色取蘊 しきしゅうんとなす。
比丘たちよ、あらゆる受(感覚)は、・・・すべて人の心を酔わせるものであり、生に取著するものである。かくて、それらは、すべて名づけて受取蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる想(表象)は、・・・すべて人の心を酔わせるものであり、生に取著するものである。かくて、それらは、すべて名づけて想取蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる行(意志)は、・・・すべて人の心を酔わせるものであり、生に取著するものである。かくて、それらは、すべて名づけて行取蘊となす。
比丘たちよ、あらゆる識(意識)は、・・・すべて人の心を酔わせるものであり、生に取著するものである。かくて、それらは、すべて名づけて識取蘊となす。
比丘たちよ、これらを名づけて五取蘊となすのである。
注解
 ここに「蘊」(Khandhâ=factors)と題する経がある。ここでは、釈尊は、ただ、五蘊(pañca-kkhandhâ=the fivefold factors)と、五取蘊(pañcupâdâna-kkhandhâ=the factors of the fivefold clinging to existence)とを、並べておられるのみである。
更新2007年5月19日