知るべきもの
南伝 相応部経典23-4 所遍知
漢訳 雑阿含経6-2 断知かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに座した。傍らに座したラーダにむかって、世尊は仰せられた。「ラーダよ、いま、✽知らるべきものと、✽あまねく知ることと、および、✽あまねく知れる人について説こうと思う。よく聞いておくがよい」「ラーダよ、知らねばならぬものとは、なんであろうか。ラーダよ、色(肉体)は知らねばならぬものである。受(感覚)は知らねばならぬものである。想(表象)は知らねばならぬものである。行(意志)は知らねばならぬものである。また、識(意識)は知らるべきものである。ラーダよ、こういうものを、知らるべきものであるというのである。ラーダよ、では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。ラーダよ、貪欲を滅しつくすことと、瞋恚を滅しつくすことと、愚痴を滅しつくすこととである。ラーダよ、そういうことを、あまねく知るというのである。ラーダよ、あまねく知れる人とは、どういう人であろうか。それは、阿羅漢を指していうことばである。その名をこれこれといい、その姓をこれこれという長老がそれなのである。ラーダよ、そのような人を呼んで、あまねく知れる人とはいうのである。注解ここに「知るべきもの」(Parinneyya=to be known, to be understood)と題する経がある。これは、問いによらずして、釈尊がラーダに説かれたものである。✽知らるべきもの(parinneyya) 漢訳では、所知法などと訳せられた。✽あまねく知ること(parinnâ=full understanding) 漢訳では、遍知と訳せられた。✽あまねく知れる人(parinnâtâvin=one who has correct knowledge) 漢訳では、遍知人などと訳せられた。