阿含経を読む

無常

南伝 相応部経典23-13 無常
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに座した。
傍らに座した長老ラーダは、世尊に申し上げた。
「大徳よ、無常、無常と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無常というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無常である。受(感覚)は無常である。想(表象)は無常である。行(意志)は無常である。識(意識)は無常である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。もはやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである」
注解
ここにまた「無常」(Anicca=impermanent)と題する経がある。釈尊は五蘊が無常であると教えられた。
更新2007年5月20日