阿含経を読む

世間

南伝 相応部経典35-82 世間
漢訳 雑阿含経 9-2 三弥離提
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、サミッディ(三弥離提)という比丘がいて、世尊のいますところに居たり、せ尊を礼拝して、その傍らに座した。
傍らに座したサミッディは、世尊に申し上げた。
「大徳よ、世間、世間と申しますが、大徳よ、いったい、なんの意をもって、世間と申すのでありましょうか」
「比丘よ、破壊するがゆえに、世間というのである。なにが破壊するのであろうか。
比丘たちよ、眼は破壊する。色は破壊する。眼の認識は破壊する。眼の接触は破壊する。また、耳は破壊する。・・・鼻は破壊する。・・・舌は破壊する。・・・身は破壊する。・・・意は破壊する。法は破壊する。・・・意の認識は破壊する。意の接触は破壊する。あるいは、意の接触を縁として生ずるところの受(感覚)の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものをも、すべてまた破壊する。
比丘よ、そのように、破壊するがゆえに、世間というのである」
注解
この経は「世間」(Loka=space,world)とある。そこでの世間(loka)と「破壊」(rujati=to break)の結合は、単なる音韻の類似によるものにすぎないが、それが、おのずから、世間無常の理に通ずるところから、後世にいたるまで、「世為遷流」(世を遷流と為す)などと語られるにいたった。
更新2007年5月22日