なし難し
南伝 相応部経典38-16 難為
漢訳 雑阿含経 18-1 難等かようにわたしは聞いた。ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪ねてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にみちた慇懃なる談話をまじえて、やがてその傍らに座した。傍らに座したジャンプカーダカは、長老サーリプッタにいった。「友サーリプッタよ、この教えにあっては、なにが難しいのであろうか」「友よ、この教えにあっては、まず出家するということが難しい」「友よ、では、出家したものにあっては、なにごとが難しいのであろうか」「友よ、出家したものにあっては、まず何よりも、それを楽しむということが難しい」「では、友サーリプッタよ、すでに楽しむことができたものにあっては、なにごとが難しいのであろうか」「友よ、すでに楽しむことができたものにとっては、よく法にしたがって修行するということが難しい」「友よ、では、すでに法にしたがって修行している比丘にあっては、やがて久しゅうして阿羅漢となりうるであろうか」「友よ、そのような比丘は、久しからずして阿羅漢となることをうるであろう」注解この経の題目は「なし難し」(Dukkara=difficult to do)とある。この教えにおいては、なにが難しいかを、ジャンプカーダカの問いにしたがって、サーリプッタが説いているのである。