阿含経を読む

一人の道にあらず

南伝 増支部経典3,60
漢訳 中阿含経143
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、サンガーラヴァ(傷歌邏)なる婆羅門の若者は、午後のそろぞ歩きに、世尊のいますところに到り、到るとたがいに挨拶をかわして、その傍らに座した。
傍らに座したサンガーラヴァなる婆羅門の若者は、世尊に申しあげた。
「友ゴータマ(瞿曇)よ、わたしはお訊ねしたいことがございます。お許しがあれば申しあげたいと思います」
「婆羅門の若者よ、もし疑いがあるならば、遠慮なく問うがよろしい」
そこでサンガーラヴァなる婆羅門の若者は問うていった。
「友ゴータマよ、われらは婆羅門でありまして、みずから供犠(くぎ)をいとなみ、また他のひとびとをして供犠をいとなましめます。友ゴータマよ、そのように、みずから供犠をいとなみ、また他の人々をして供犠をいとなましめることは、それはすなわち多くの人々のための福(さいわ)いを修することであります。それが供犠というものであります。しかるに、友ゴータマよ、あなたの弟子たちは、鬚髪を剃りおとし、僧衣をまとい、良家より出家して家なきものとなり、自己一人を調御し、自己一人を安らげ、自己一人の苦愁を滅するという。かくのごとくなれば、出家の道はすなわち一人のための福いの道でございましょう」
「婆羅門よ、しからば、そのことにつき、わたしからも、そなたに問いたい。そなたの思うがままに答えるがよい。婆羅門よ、そなたは、このことをいかに思うか。この世に如来・応供・正等覚者・明行足・善逝・世間解・無上師・調御丈夫・天人師・仏・世尊があらわれ、彼はかくのごとく説く。いわく、<これが道である。これが実践である。わたしは、この道をゆき、この実践をおさめて、無上の梵行の消息を、みずから知り、証し、そして説いていう。«来れ、汝らもまたこのように修行せよ。汝らもまた修行して、無上の梵行の消息を、みずから知り、証し、その身に具するがよい»と>。そのように、この師が法を説き、そして、他の人々もおなじように修行し、それらが数百、数千、数万にいたるならば、婆羅門よ、そなたはこれをいかに思うであろうか。以上のごとくである時にも、なお、出家の道は一人のための福いの道であろうか。それとも、多くの人々のための福いの道であろうか」
「友ゴータマよ、そのようであるとするならば、出家の道は、多くの人々のための福いの道であります」

― 以下2,3とあるが、省略 ―

開題より
ここに、サンガーラヴァ(Sangârava)とは、サーヴァッティー(舎衛城)に住む一人の婆羅門の若者の名である
わたしは、この婆羅門の若者の「出家の道は自己一人のための福いを修する道ではありませんか」という、詰問的質疑に、ただならぬ関心をかきたてられる。なんとなれば、彼のいうところは、かならずしも無辜の詰問とは思われないからである。さらに思いめぐらせば、やがて、仏教そのものの歴史のなかにおいて、大いなる論争を巻き起こしたものも、また、このような釈尊と弟子たちの歩いた道にたいする、おなじ疑問にほかならなかった。
それは他でもない。かの「大乗」(Mahâyâna)と名のる新しい道を主張する人々と、彼らによって「小乗」(Hinayâna)と貶称せられた伝統的な道を保持する人々との間においておこなわれた永年にわたる論争がそれである。
注解
婆羅門の若者(mâηava=a youth, a young Brahmin) 漢訳では「摩納)と音写し、また「儒童」と意訳している。ただし、南伝には"mâηava"という文字は見えない。
供犠(yañña=a brahmanic sacrifice) 婆羅門たちの行なう犠牲をささげる儀式である。
実践(patipadâ=means of reaching the goal) 目標にいたる方法。古来は「行道」と訳した。「目標にむかっての歩み」というほどの意。
更新2007年6月18日