私の万葉集 巻第十八

天平感宝てんぴょうかんぽう元年閏五月六日より以来このかた小旱しょうかんを起こし、百姓の田畝稍でんぽやくやしぼむ色あり。六月朔日に至りて、たちまちに雨雲のを見る。りて作る雲の歌一首 短歌一絶

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天皇すめろきの 敷きします国 あめの下 四方よもの道は 馬のつめ いくすきわみ  船舳ふなのへの いつるまでに いにしへよ 今のをつつに 万調よろづつき まつるつかさと 作りたる その生業なりはひを 雨ふらず 日のかさなれば 植えし田も きしはたけも 朝ごとに しほく そを見れば 心を痛み みどりの 乳乞ちこふがごとく あまつ水 あふぎてそ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる あま白雲しらくも 海神わたつみの 沖つ 宮辺みやへに 立ち渡り とのぐもり合ひて 雨も賜はね

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馬の爪い尽くす極み船舳のい泊つるまでに―祝詞「新年祭」の「馬の爪至り留まる限り」「船の舳の至り留まる極み」による。国土の隅々までを具体的に示した語。
今の現に―今に至るまで。
万調―調(ツキ)は各国から朝廷に税として納める特産品。ここは稲を含めた献上物の総称。
つかさ―いろいろある物のうち最高のもの代表的なもの、産物をいう。
天つ水―雨。
たをり―峰続きのなかで低くなっている所。鞍部。
雨も賜はね―ネは希求の終助詞。希求表現にはモを伴うことが多い。
反歌
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この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足こころだらひに

右の二首、六月一日の晩頭ひめぐれに、守大伴家持かみおおとものやかもち、作る。

雨乞いの歌。雨が三週間以上降らなかったので詠んだもの。この歌からただちに源実朝の次の歌を思い出した。

建暦元年七月洪水天に漫り、土民愁嘆せむことを思ひて、一人本尊に向ひ奉り聊か祈念致して云ふ

時によりすぐればたみのなげきなり八大竜王雨やめたまへ

干ばつの心配と、雨が降りすぎる心配と、天皇の臣下と自ら統括する将軍と、状況は少し違うのであるが、歌の調子、その勢いの違いは時代精神の違いであろうか。天皇の臣たる貴族はたおやかでゆったりしており、、武家の将軍は直接的で若々しい。家持は祝詞から言葉を借用する余裕があるが、実朝はなりふりかまわず八大竜王に祈っている。
自分の一身にかけて感じる心が時代精神の若さであろうか。
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心足らひに―思う存分に。心が満足するまで。
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巻第十八終了。2首採集―全107首。

更新2007年8月17日