私の万葉集 巻第二十

4349

百隈ももくまの 道はにしを またさらに 八十島やそしま過ぎて 別れかかむ

右の一首は助丁刑部直三野じょていおさかべのあたひみの

東国から、山を越え、川を渡り、はるばる難波まで来たが、ここから更に船に乗って瀬戸内の海をわたり筑紫まで行く感慨を詠ったもの。遠い遠い道のり。
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百隈の―クマは物影にあって周囲から見えにくい所。ここは道のカーブをいう。
助丁刑部直三野―伝未詳。東国の防人。

昔年さきつとし相替あひかはりし防人さきもりが歌一首

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やみの く先知らず われを 何時来いつきまさむと 問ひしらはも

何時帰れるかわからない自分に、無邪気に若い娘が声をかけた。なんともやるせない思い。
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闇の夜の―行ク先知ラズの枕詞。
解説にあり。「防人は、唐・新羅の侵略に備えて、対馬・壱岐及び北九州の沿岸に配置された兵士。人員約三千人、一交代約千人かという。・・・所定の武具や難波までの旅費は各自自弁で、各国司に引率されて難波津に集結し、その後、専使が領して大宰府に至り、防人司の管轄下に入って勤務に就いた。この当時、東国兵士をもって専ら充てていた」
白村江の戦い(663年―天智2)に敗れた大和朝廷は、唐・新羅軍に攻め込まれる危機を感じ、北九州の防備を固め、都も近江大津に移したのである。その時招集されたのが防人である。天智天皇の治世である。
東国とは、万葉集に具体的に出ている国は、遠江国(とほたふみのくに―静岡県西部)、相模国(さがむのくに―神奈川県の全域)、駿河国(静岡県中央部)、上総国(かみつふさのくに―千葉県中部)、常陸国(ひたちのくに―茨城県の南西部を除いたほぼ全域)、下野国(しもつけのくに―栃木県にあたる)、下総国(しもふさのくに―千葉県北部と茨城県南西部にあたる)、信濃国(しなぬのくに―長野県にあたる)、上野国(かみつけのくに―群馬県にあたる)武蔵国(むさしのくに―東京都・埼玉県および神奈川県川崎市・横浜市の大部分を含む)である。
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巻第二十終了。2首採集―全224首。

更新2007年8月24日