今月の言葉抄  2006年4月

桜のよしあし

ある世なれた料亭の女将に、「桜のよしあしを一口でわかるようにいえば?」と訊かれて、ふと私はこんな答えを したことがある。
「山桜を本場結城とすれば、里桜はまずお召しか縮緬に当たろうか。ソメイヨシノとなると、さしずめ、スフという ところだろう。」
そこでいったい、優秀な桜とはどんな桜を指していうのかということになる。これまで数えきれぬほど受けた質問である。 が、これに対する回答は容易ではない。が、私はこうもあろうかと思っている。
  1. 苗木の成長の速いこと、
  2. 風雪などの天災に堪え得ること、
  3. 喬木巨木となる可能性のあること、
  4. 花季のおくれぬこと、
  5. 花に気品のあること、
  6. 嫩葉の色、葉の形のよきこと、
まず、以上の諸点を欲をいえば兼ね備えたものが望ましいが、現実はそうも行くまいから、このうちの条件をいくらか多く 持ち合わせておる沢山の親木から、この条件に近い苗木を作り出そうとするのに、大きな苗圃が要ることになる。右の条件のうちで、 喬木巨木になる見込みのあること、生命量の多いこと、つまり長寿を保つことは、はなればなれのことではなく、大体は 関連性をもっている。天災に堪え得ることも同様である。
でも、花季のおくれぬことはそうは行かない。花は桜らしい季節に咲くのがいいと思う。飛んでもない季節に咲く桜も 喜ばれているが、これはちょっと珍しいというまでで、奇品と名品とは同じである場合もないではないが、大体は別であるべきであろう。 名のある桜で、花の甚だしくおそいのもあるが、前にも書いたように、桜は少なくとも額に汗して観るべきものではない。 季節それぞれに花はある筈である。
さて、最後の条件、気品のある花ということがなかなかむずかしいことである。東京の桜の会で、毎年きまって訊かれることは 桜の優劣の基準である。中には「ソメイヨシノだとて等しく生を日本に享けて花を見せておるのに、そう悪しざまに排撃されるのが なんだか可愛想になる。他の桜に較べてどこが悪いというのですか」などと畳みかけてくる人があるのに、私はこんな譬え話で 答えている。桜の会にならべられる桜品種の活けてある青磁色の花生を指して、
「これは東京都庁の出品で、まことに申しにくいが、これでも青磁といえば青磁である。名家の入札などにでる天竜寺 青磁も碪青磁も青磁である。等しく青磁たるに於いて何の変わりもないというのに、どうして何千何万倍も価がちがうというのと 同じではなかろうか。桜とは限らぬが、ものの鑑査には、あらゆる機会に優れたものをなるべく余計に観て、鑑識の訓練を重ねている 人が当たるべきであるというほかはない。も少し手近かな例を申せば、美人コンクールの審査に当たって、甲乙ともに眼が二つ 鼻一つと算えて、双方同点と採点するでしょうか。ベッピンとは何をいうのかというところに落ちるでしょう。」
と、これが答えだが、私にはこうでも答えるほかない。
(「桜談義 品さだめ」から)
『櫻男行状』(双流社)笹部 新太郎著
更新2006年4月25日