今月の言葉抄 2006年7月

アインシュタインへのインタビュー

●人間は自由行為者だと思うか。
いや、私は決定論者だ。私はあたかも自由意志が存在するように行動することを強いられている。文明社会に住みたければ、責任ある行動をしなければならないからだ。哲学的にいえば、殺人犯は自分の犯した罪に責任がないと思うが、彼とお茶を飲むのは遠慮したい。疑いもなく、私の生涯は自分ではどうにもならない。さまざまな要因によって決定されている。その要因は、おおむね神秘的な分泌腺のようなもので、自然はそのなかに人生のまさにエッセンスをたくわえる。ヘンリー・フォードならそれを内心の声と呼ぶだろうし、ソクラテスはダイモンになぞらえた。二人とも独自のかたちで、人間は自由ではないという事実を説明している・・・あらゆることが定められており、終わりだけでなく、始まりも、われわれにはどうにもならない力で決定されている。虫も星も同じことだ。人間、植物、宇宙塵、われわれ自身。すべてのものが、眼に見えない演奏者が遠くで奏でる不思議な調べにあわせて躍っている。

●自分の発見をどう説明するか?直感かそれともインスピレーションか。
両方だ。ときおり自分は正しいと「感じる」が、「知っている」のではない。[星の光を写真に撮影して]私の理論を確かめるために、科学者を中心とする二つの観測隊が派遣されたとき、私は彼らが自分の理論を確認してくれると信じていた。観測の結果が私の直感を証明したときも驚かなかった。だが、もし私が間違っていたら、さぞかし驚いたことだろう。私は想像しながら自由に描く画家で充分だ。 そのほうが知識よりも大切だろう。知識には限界がある。想像は世界をすっぽりと包む。

●自分はドイツ人だと思うか。あるいはユダヤ人だと?
どちらでもあることは可能だ。私は自分を人間だと考えている。民族主義など子供の病気にすぎない。人類のはしかだ。

●では、あなたの主張するユダヤ民族主義をどう正当化するのか。
民族主義の実験であるにもかかわらず、私がシオニズムを支援するのは、それによってユダヤ人が共通の関心をもてるからだ。シオンはあまりにも小さく、帝国主義的な構想まで発展する力はない。

●同化も信じないのか?
われわれユダヤ人は、性急に順応しようとするあまり、独自性を犠牲にしてきた。他の集団や民族は特有の伝統をつちかっている。なぜ、われわれは自分の伝統を犠牲にしなければならないのか。すべての人種グループから独自の伝統を奪えば、世界はフォードの巨大なひとつの工場に変わってしまう。自動車の規格化は必要だろうが、人間の規格化などありえない。

●民族主義に変わるものとして、人種の存在を信じるか
人種はまやかしだ。現代人は、誰もが非常に多くの人種が混血してできた複合体 で、純粋な人種は残っていない。

●あなたはフロイトに反対か?
無意識の世界を探求するのは、必ずしも有用ではない。われわれの足の働きは100個の異なる筋肉によって調整されている。脚を分析して、それぞれの筋肉の正確な目的と、その筋肉の働く順番を調べれば、歩く時に役立つだろうか。フロイトの研究は、人間行動の科学にはかりしれない貴重な貢献をした。だが、私は彼の結論をすべて受け入れるわけではない。彼は心理学者としてよりも、作家として、いっそう偉大だと思う。彼の華麗な文体にまさる名文を書ける者は、ショーペンハウアー以降、一人もいない。

●あなたはスピノザの神を信じるか?
単純にイエスかノーでは答えられない。私は無神論者ではないし、汎神論者を称することもできない。われわれはさまざまな言語で書かれた蔵書であふれる図書館にいる、小さな子供のようなものだ。子供は誰かがその本を書いたことはわかっている。だが、本が書かれている言語を理解できない。また、子供は本が不思議な順番に並んでいることもおぼろげに感じる。どんな聡明な人間でも、そのような姿勢で神にむきあうのではないだろうか。宇宙が不思議な並び方をしており、ある法則に従っていることはわかるが、その法則はおぼろげにしか理解できない。われわれの限られた頭脳では、星座を動かす不思議な力を理解できないのだ。私はスピノザの汎神論に魅せられるが、それよりも、彼の現代思想への貢献に感嘆する。なぜなら、彼は哲学者として初めて、霊魂と肉体を別々の二つのものではなく、一つのものとして扱ったからだ。

●あなたはキリスト教の影響をどの程度、受けたか?
子供のころに聖書とタルムードを教わった。私はユダヤ人だが、キリストという聡明な人物に魅了された。エーミール・ルートヴィヒが書いたイエスの本[原注:エーミール・ルートヴィヒは数多くの伝記を残しており、イエス・キリストのほかにナポレオン、リンカーン、セオドア・ローズヴェルトなどもある]はうわべだけだ。イエスはあまりにも大きな人物で、いかに技巧を凝らしても、美辞麗句を並べる作家は太刀打ちできない。キリスト教を名文句で片付けることは誰にもできない。福音書を読めば、イエスが現実にそこにいると感じずにはいられない。どの言葉にもイエスの人格が息づいている。神話には、そのような生命に満ちあふれた力がない。

●あなたは不滅を信じるか。
信じない。それに、人生は一度でたくさんだ。すべての人間が二人の個人の結びつきから生まれることは理解できる。だが、新しく生まれるものがいつ、どこで魂を与えられるのかはわからない。人類は、芽がたくさん萌えでた木のようなものだ。すべての芽、すべての枝に、別々の魂が宿っているとは思えない。

(「第二十一章 統一場理論 1929年、50歳」から)
『アインシュタイン』(三田出版会 1998年)デニス・ブライアン著 鈴木主税訳

この本はニ段組で600余ページあり、通勤途上で読んだが二週間かかった。物理学者が書いたものではないので相対性理論やその科学史上の背景には詳しくはない。人としてのアインシュタインに焦点を絞って書いたものである。アインシュタインは有名になってから、ジャーナリストたちからさまざまなインタビューを受けまたそれに悩まされもした。これはアインシュタインの人柄をよく表している代表的なインタービューである。
相対性理論を一言でいうと何ですか、という類いの質問はいたるところでなされ、彼を途惑わせたが、1921年4月ニューヨークに着いた時の説明が有名である。「以前は、あらゆる物質が宇宙から消えても、時間と空間は残ると信じられていた。私の新しい相対性理論によれば、物質とともに時間も空間も消える。」(管理人)

更新2006年7月1日