今月の言葉抄 2006年7月

英語の学習 you について

2003年の全米オープンゴルフには、大変に思いがけないことがあった。ベン・カーティスという26歳の無名のルーキーが優勝したのだ。これはゴルフ界にとってはかなりショッキングなことなので、オハイオ州に住むベン君の両親までもが、マスコミの注目を浴びた。リポーターに「親としてのお気持ち」を訊かれた父のボッブ・カーティス氏は、こう父親らしく答えた。

"This is something you always dream about, but you never know it will happen untill it does. It's like a dream, and you don't want to wake up."(<メジャーで優勝するなど>いつも夢見てはいますが、いざ起こるまでは、実際に起こるなんて、わからないものです。夢のような感じです―目を覚ましたくない夢ですね)

また、トーナメント直後の、息子との国際電話について、カーティス氏はこう語った。

"He was very tired, but you could hear kind of a giggle in his voice as he talked."(息子はとても疲れてはいたのですが、声には、抑えきれない嬉しさのようなものが感じられました)(イタリック引用者)

カーティス氏は you ばかりで、I という代名詞を一度も使わずに話しているのだが、伝えているのは、自分の気持ちや、感じたことである。つまり、この you は、言うまでもなく目の前にいるリポーターを指している言葉ではなく、どの英和辞書でも、「<総称用法>(一般的に)人、誰でも<通常日本語には訳さない>」などのように説明されている「一般論の you」 である。

これは英語圏の人間が無意識のうちに選ぶ言い方だ。カーティス氏のように you を使うことによって、話は自分のこととは限らず、誰でも同じ立場にたったら同じことになるだろう、といったニュアンスをもつ「一般論」になって、なんとなくやわらかい感じがする。もちろん、時制を多少調整すれば、"... something I always dreamt about, but I never knew it would happen untill it did. ... I don't want to wake up.... I could hear..." などのように、自分の気持ちや、感じたことをすべて I で表現する方法もあるのだが、「自分本位」の印象が強いから、こうした言い方は、しばしば無意識のうちに避けられるものだ。

いづれにしても、「一般論の you 」は、会話・文章を問わず、頻度のきわめて高い、ごく普通の言い方なので、「二人称の you 」との区別も、英語の基礎として学ぶべきことである。が、なぜか、私が教えている大学生の多くは、区別するどころか、「一般論の you 」の存在すら知らないようだ。学生に "you never know." (<先のことなど>誰も予想できないものだ)などと言ったら、"I never know???" と変な顔をされてしまう可能性が高い。

(「ヘンな日本語に、にんまり」から)
『ニホン語、話せますか?』(新潮社 2004年)マーク・ピーターセン著 

私がこの文章を引用したのは、英語では人称代名詞が頻繁に使われるのだが(主語がなければ成り立たないのが英語)、「自分本位」に聞こえるのを避けるための言い方が英語にもあることに、新鮮さを感じたからである。日本語の特徴は主語を省いても文章が成り立つことだが、さらにあえて主語を意図的に使わない文章を私も時々心がけて書いてみる。日本語では自分を表に出さないで、さりげなく自己表現が成り立つ文章を書きたいと思う。特に、私は、ぼくは、はうるさい。(管理人)

更新2006年7月6日