今月の言葉抄 2006年8月

虐殺 なぜ防げなかった

ルワンダ共和国

生きながらに地獄を見た。なすすべもなく、目の前で蛮行が繰り返された。ルワンダ内戦の停戦監視にあたった国連ルワンダ支援団(UNAMIR)が、80万人ともいわれる大量虐殺を防げずに撤収してから、今年で10年。ルワンダの惨劇から、国際社会はどんな教訓を学びとったのか。紛争が絶えない世界で、国益と人道のはざまで、私たちは何をなすべきなのか。支援団の司令官だったロメオ・ダレール氏に聞いた。(オタワ=木村伊量)

―ルワンダの大量虐殺をいま、どう振り返りますか。
「私が見たものは敵国の兵士同士が戦う古典的な戦争ではない。隣人が隣人を手おのや鎌で襲い、少年が少年を殺す。人道や国際法もない、おぞましい狂気と蛮行が支配する世界だ。叫び声や吐き気をもよおす臭気は、年々鮮鋭に思い出され、スローモーション画面のように繰り返し私をさいなむ。あの状況を止める手立てはなかったのかと」
―なぜ、ルワンダでの平和維持活動は失敗したのでしょうか。
「司令官のだれもが、部隊の運用には明確な目的、指揮命令系統、出口戦略が必要だと口をそろえるだろう。だが、ルワンダでは明確なものはなにひとつなく、平和維持活動という枠組みにおさまらない未知の領域だった。全体状況がつかめず、極限状態でどうやって人道に立った予防行動を行なうべきか途方にくれた。一人前の兵士がいない平和維持部隊など何の役にも立たない」
「同時に、停戦監視は複雑な任務であり、戦闘倫理をわきまえた有能な兵士であるだけでも十分ではない。武力に訴える前に、紛争の本質を根本から理解することが重要であり、人間学、社会学、哲学を学ぶべきだろう」
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―国際社会がルワンダを見殺しにした、とは考えないのですか。
「93年、ソマリア紛争への国連多国籍軍の武力介入で多くの米兵が殺され、当時のクリントン政権は撤退を命じた。米国は人間の価値は同じではなく、救うべき人たちの命よりも自国兵士の命が尊い、という心理をつくりあげた。今もベルギーでは、ルワンダで80万人が虐殺されたことよりも、停戦監視にあたった自国兵10人の犠牲に関心が払われている」
「自国の国益や安全保障のためではなく、純粋に人道目的のための介入で、なぜ自国の兵士が血を流さなければならないのか。それは重苦しい問いだ。しかし、例えばスーダンのダルフールですでに20万人以上が犠牲になっている事実を、黙殺すべきだろうか」
―だれが人道に基づく強制介入を判断し、武力行使の正当性を主張しうるのでしょう。
「判断の透明性と正当性を担保できる機関は国連以外にない。一国主導の有志連合は信頼性を欠く。米国が国連の総意を経ずにイラクに侵攻したのは誤りだった。独裁者とその手先を倒したことは評価できても、米国はイラクにとどまらず、治安回復と国家再建を国際社会の手にゆだねるべきだった。」
―米国は国連に行動を縛られるのを嫌います。国連の権威をどう回復するのですか。
「米国の単独行動主義は、9.11の同時多発テロで見えた超大国の脆弱性の表れでもある。時間はかかるだろうが、米国も国際社会での合意形成を尊重せざるを得まい。世界も米国抜きでは成り立たない。ただ、今後の国連再生のカギを握るのは、ドイツや日本、カナダ、北欧諸国など、知的資産があり、技術力の高い『ミドルパワー』の国々だろう」
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―日本に何が可能だと考えますか。
「昨年秋ドイツ議会に招かれ、私は新時代のドイツの任務について、日本やカナダとともに、紛争処理や破綻国家の再建に指導力を発揮することだと話した。『2度の世界大戦を引き起こしたドイツには、無理な注文だ』という声があった。私はこうコメントした。『あなた方は、60年前の歴史の陰にいつまで身をひそめているつもりですか』と」
「国際社会が期待する任務から尻込みするための方便に、憲法を持ち出すのは間違っている。ドイツの優れた統治システムや、軍事知識、外交技術を、紛争解決や国連機能の効率化に役立ててほしい。同じことは日本にも言えると思う。」
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―人間の残酷さをいやというほど見て、あなたはなお理性に、人類の未来に、希望を託しているのですか。
「ルワンダで私が知ったのは、もっとも邪悪な殺人者でも彼らの家族の平穏を願ってやまない、ということだ。希望がある限り、一歩でも前に進もうと思う。苦しみは癒えないが、もう自殺は考えないだろう。この地上には、生きたくても生きられない人が、満ち満ちているのだから」

ロメオ・ダレール

オランダ生まれ。元カナダ陸軍准将。1993年、国連ルワンダ支援団の司令官として、内戦が続いたルワンダでの停戦監視活動に当たった。だが、国連や国際社会の対応が揺れ動く中、翌年に内戦が再発。100日間で80万人ともいわれる大量の犠牲者を出し、支援団にも被害が出て、約2年半で撤収を余儀なくされた。
ダレール氏は退役後、虐殺を防げなかった自責の念や悲惨な戦場体験から、強度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。たびたび自殺願望にとらわれ、2000年6月にはアルコールと薬物の混用から、オタワ近くの公園のベンチで昏睡状態となっているところを発見された。
その後、体調を回復。03年にはルワンダでの体験を記録した著書「Shake Hands with the Devil(悪魔と握手)」を発表、国際的なベストセラーとなった。05年から自由党所属のカナダ上院議員。世界各地で戦争被害を受けた子供の救済活動などに取り組んでいる。60歳。

『朝日新聞 2006年8月17日朝刊』から

更新2006年8月18日