今月の言葉抄 2008年3月

デカルトの『方法序説』を読む

ルネ・デカルト(1596年-1650年)の『方法序説』を読んだ。

この本の正式な題名は『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話〔序説〕。加えて、その方法の試みである 屈折光学、気象学、幾何学』という長いものであり、デカルト41歳の時に初めて公刊された著作である。当時住んでいたオランダから 匿名で出版された。全体で五百頁を超える大著であり、最初の七十八頁が『方法序説』で、三つの科学論文の短い序になっている。 今では科学論文の方はほとんど読まれず、フランスでも専らこの序文として書かれた部分を独立して読んでいる。

17世紀の科学論文は、今では科学史を専攻する専門家しか読むことはないであろが、デカルトとしては当時の世に新しい知見を問う 形で三つの科学論文の方を発行主体と考えており、その中の見解がどのような方法で探求されたかを世間に紹介する ために序文を書いたのである。しかしデカルトが近代西洋哲学の祖といわれるようになったのは、その序文の故である。 科学論文の序文として『方法序説』が書かれたいうことが、ここでは留意すべき点である。 当時、哲学というと、神学を除く学問全般を意味し、特に自然哲学(自然科学一般)をさして言うことも多かったのである。 そしてデカルトが真理という場合、大半は物理法則ないし科学的事実関係のことを指している。

学業を終えたデカルトは、学んだことのなかに真理が含まれていないと感じて幻滅していた。そのため文字による学問を捨てて、 世間という書物から学ぶ決心をして、旅に出る。23歳のとき、ドイツのある冬営地に滞在していたとき、終日ひとり炉部屋にこもって 思索にふけり、自分の人生の流儀を決める。一種の処世訓であるが、哲学をはじめるに充分な年齢に達するまでに期間をおき、その間 自分をそれに習熟させてゆく期間とするのである。そして九年が経過し、32歳になって、隠棲するようにしてデンマークに住んだとき、 初めて哲学の思索に専念する。「われ思うゆえにわれあり」の認識を得たのは、そのときのことである。それを発表するのはさらに 九年後の41歳のときである。こうして、デカルトは慎重に時間をかけて自分の主題を追求してゆくのである。

理性について

『方法序説』の書き出しは次のようにはじまる。
良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良識なら十分身に具わっている と思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良識については、自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ。この点で みんなが思い違いをしているとは思えない。むしろそれが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、 ほんらいの良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に具わっていることだ。だから、 わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を 異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである。
ここで私は、デカルトというよりも、この理性という言葉を取り上げたい。ここに述べられた理性についての考え方は、 当時の共通認識であったようである。そして西洋では、この言葉は尊重され、独り歩きして、西洋思想の中核にまでなった。 デカルトも当然の前提のように理性に言及し、「結局のところ、われわれは、目覚めていようと 眠っていようと、理性の明証性による以外、けっしてものごとを信じてはならないのである」(第4部)とまで言い切っている。
若い頃読んだときも同じように違和感を感じたものだが、人間の認識能力のなかで、なぜこの理性だけを 持ち上げるのだろうか。人間は理性だけで理解し判断するのではないことは、誰もが本能的に感じていることである。人間に 本来的に備わっている感性を排除しては、人間の理解力の少なくとも半分を切り捨ててしまうことになる。 人間はまず感性で感じ、理解し、判断し、そして推論する。言葉の習得がその典型的な例である。 この理性という西洋語は、まだ充分日本語になっていないし、なじんでもいないと思われる。あえて言えば、人は感覚と理性と 両方を使って、感じそして考えるのである。考えの行き詰るところ、最後は直感で理解し分かることも多い。 デカルトの方法は、少なくとも科学探究の方法としては使えるかも知れないが、人間の研究には向いていないと思われます。 しかしデカルトは理性やその推論について、次のような楽観的なしかし徹底した信念を持っていた。
きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も達成する。 それはわたしに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、 真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、 どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる、と。(同書「第二部」)

われ思うゆえにわれあり

デカルトは、当時の最高の教育を受け、学ぶべきことはすべて学んだのだが、それらが真理に至っていないばかりか、 真理にいたる道筋も示しているとは思えなかった。「哲学は幾世紀もむかしから、生を享けたうちで最もすぐれた 精神の持ち主たちが培ってきたのだが、それでもなお哲学には論争の的にならないものはなく、したがって疑わしくないものは 一つもない。・・・」(第一部)と説明している。当時は中世のスコラ哲学や神学が中心で、科学はまだ黎明期であった。 そうした環境のなかで、デカルトは真理を探究することに渇望し、そのための確かな足場を築きたいと切望していた。 デカルトは慎重にしかし大胆に不確かなもの疑わしいと思われるものをどんどん切り捨てていく。最後になにが残るのか。
だが当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことを しなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、 わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時に わたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純な ことがらについてさえ、推論を間違えて誤謬推理をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、 以前には論証と見なしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべて そのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分 の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、 次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に 何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕」 というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、 この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(同書「第4部」から)
有名なくだりである。「われ思うゆえにわれあり」とは、真理を探求しようとして、疑いのなかで第一歩が踏み出せず、 霧のなかを模索していたデカルトが、確かに自分は存在している、と知ったときの喜びの宣言である。何もかも疑っていた最中に、 霧が晴れて、自分の目でものが見えるようになった。自分は迷っているのではなく、しっかりした足場の上に立っていると知った のである。これで自分は自信をもって踏み出せると確信したのである。読者はこのことから、なにか哲学上の新しい発見か なにかのように考え、そこから発展する基本命題かなにかのように考えがちだが、そのようなものではない。自分の考えに 自信を持ったという以上の意味はないのである。自分の目で見、自分の頭で考えていいのだ、とデカルトは知ったのである。 このことから、デカルトは次のような結論を引き出す。
そして、「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っている と保証するものは、考えるためには存在しなければならないことを、わたしがきわめて明晰にわかっているという以外には まったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰に捉えることはすべて真である、これを 一般的な規則としてよい。(同書「第四部」)
つまり自分が(明晰に)正しいと認めたことは、正しいとする、といっているのである。自分に自信をもったという以上のことを いっているのではない。自分の考えを、自分の方法を、自分自身を肯定するということである。

デカルトの神の存在証明

上記の引用箇所にすぐ続いて、デカルトは神に言及する。デカルトは次のように、あっさりと神の存在を証明しようとする。
続いてわたしは、わたしが疑っていること、したがってわたしの存在はまったく完全ではないこと— 疑うよりも認識することのほうが、完全性が大であるとわたしは明晰に見ていたから—に反省を加え、自分よりも完全である 何かを考えることをわたしはいったいどこから学んだのかの探求しようと思った。そしてそれは、現実にわたしより完全な本性から 学んだにちがいない、と明証的に知った。・・・・けれども、わたしの存在よりも完全な存在の観念については、同じでは ありえなかった。それを無から得るのは明らかに不可能だし、また、わたし自身から得ることもできなかった。完全性の高いものが、 完全性の低いものの帰結でありそれに依存するというのは、無から何かが生じるというに劣らず矛盾しているからだ。そうして 残るところは、その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、ということだった。その本性は しかも、わたしが考えうるあらゆる完全性をそれ自体のうちに具えている、つまり一言でいえば神である本性だ。 (同書「第四部」)
デカルトはこういっているのである。自分は不完全な存在であるが、完全無欠というものの観念は持っている。 してみるとこの観念はどこから来たのであろう。不完全な自分からではないことははっきりしている。すると自分より高次な 完全な存在から与えられたと考える他はない。このように簡単な推論で説明されると、実にあっけない気がする。デカルトの 推論は存在証明になっていないと思う。明らかに、デカルトは神はすでに存在しているという前提に立って考えているのである。 なぜなら、証明する以前に、すでにデカルトの頭ないし心に、完全なるものが存在しているという観念があるからである。 この前提から、デカルトはあれこれと説明を繰り返しており、つまりはトートロジー(同語反復)のなかで堂々巡りをしているのである。 それは証明になっていないし、いつか証明できる可能性があるとも思えない。既存の知識が、そのままデカルトのなかに残っている のである。育った環境や時代の影響は、人が通常考えるよりはるかに大きいのである。デカルトは書いてはいないが、 このように考えていたと思われます、この世界はどのようにしてできたのか説明ができない以上、神が創造したと考えるほかはない、と。 この点において、パスカルのデカルト批判は鋭く的を得ていると考えます。 しかし神の恩寵が臨んだそのパスカルにしても、・・・・・・

神とは、人間にはその存在証明ができないもの、と私は知るのである。

※使用テキスト『方法序説』ルネ・デカルト著 ワイド版岩波文庫 谷川多佳子訳
更新2008年3月1日
最終更新3月15日