様々な断章

   

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死後の世界はあるか

哲学や宗教では、霊魂があるかどうかがよく問題になります。死ねばからだは消えてしまいます。では、霊魂も消えてなくなるのか。 霊魂があるかどうかを客観的に証拠立てることはできません。死後の生存について問いを発せられたとき、ブッダは答えませんでした。 つまり、答えうる範囲の事柄ではない、知識の範囲を超えているということです。孔子も「われ、いまだ生を知らず、いずくんぞ死を 知らんや」と言ったわけですね。ニュアンスは違いましょうが、同じことを言わんとしていると思います。

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ですから広い視野から見ますと、霊魂の不死は決して道徳を基礎づけることにはなりません。カントは間違っています。そこで、 われわれの霊魂が不死であるかどうかということについての判断を中止したのが、ブッダや孔子などの思想です。

なぜ仏教が輪廻説をとったかと言いますと、当時のインドでは、もう自明の理として輪廻が認められていたからです。 その輪廻のために業という考えもでてきます。つまり、いいことをした人はいい報いを受け、悪いことをした人は悪い報いを受ける。 そしてその報いを受けながら生まれ変わる。それが輪廻だということになっていました。けれども厳密な意味で言いますと、 仏教では実体としての霊魂は想定しないのですから、輪廻説と矛盾します。そこで、それをどう説明するかということが大問題 になったわけです。

霊魂という実体は認めないけれども、それにふさわしいなんらかのフレイムワークframework(枠組み)があるのではないか ということが、仏教のいろいろな学派で論議されました。けれども派によって解釈が違うので、すべての仏教徒によって認められる 輪廻の説明というものはありません。なんとなく説いてはいますけど、突き詰めると必ずしも一致しないのです。

なぜ一致しないかと言いますと、最初にブッダが「死後に霊感があるかないか、身体と霊魂は同一か別か」と聞かれたとき に答えなかったからです。そもそも輪廻はブッダの教えを逸脱した論議ですから、どうにも一致した見解が得られないのです。 しかし、一致した見解が得られなくてもかまわないと思います。仏教の教えは「人々に対して慈しみをもち、無我の精神をもって 我執をなくして生きてゆけ」ということに尽きているわけですから、輪廻という形而上学的要請を立てなくてもかまわないのです。

『人生を考える』(青土社)中村 元著


   

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公開日2001年9月25日