様々な思想


思想とはもの思うことの言いである
   

HOME      様々な思想目次

自爆テロと特攻

自爆テロと特攻のことを同じだという人もいれば、一緒にするなと怒る人もいます。「国のため、家族のために戦った日本人とテロリストを一緒にするなというかもしれません。しかし人間の頭の動きだけを見ればどちらも一緒です。
もちろん動機は違うのでしょう。入口、情報の入力ほうを分析したら相当違うはずです。しかし、少なくとも、出口、脳からの出力= 行動から見ていったら同じことです。自らの命を捨てて突っ込んでいくという行動は同じです。
入口が違うというのは、信じていることも、状況も、時代も違う。そもそも細かく見れば、同じ特攻隊にいた人でも入口はそれぞれ異なるかもしれません。だたしそれを言い出すと話はややこしくなるだけです。
そこに区別があるとかないとかいうよりも、むしろ、出口が同じならばそちらを考えなくてはいけない。この出口のところで、どうブレーキをかけるかが大切なのです。ある種の考え方の持ち主はそのブレーキがかかりません。
そのブレーキのかからない考え方というのが、一元論的な考え方ということです。つまり「バカの壁』に阻まれて、その向こうのことを想像しない。それ以外の考え方を考慮しない。こうなるとアクセルしか踏まなくなるのです。
だから私はいつも「あんたの考えが100%正しいということはないだろう。せいぜい、60%か70%だろう」と言っているのです。その程度に思っていれば、まさか爆弾を抱えて突っ込まないだろうということです。日本の場合もあそこまで戦争を続ける必要はなかった。もっと前に降伏することができたはずです。
自分の考えがせいぜい60~70%だと思っていれば、60~70%負けたところで白旗をあげられた。それが100%正しい思っているものだから、途中でやめられなかったのです。99%負けるところまで 粘ったあげく原爆が二発落とされてしまった。
それで取り返しのつかないくらい大きな損害をこうむったのです。それは自分が100%と思うところから始まっている。

テロは倫理問題

出口のところでブレーキを踏む、コントロールするのは何でしょうか。それが「倫理」です。出口のところで行動を規制する。
イエス・キリストによれば「汝姦淫するなかれ」という場合、「みだらな思いで他人の妻を見る」ことだけでも「姦淫」にあたるとしています。これは出口よりも随分元へ戻って感覚についてまでコントロールしようとしている。普通は倫理というのは「汝殺すなかれ」というように行動を規制するものです。「汝殺すなかれ」のことを仏教でも「不殺生の戒」としています。この点ではキリスト教も仏教も同じです。
倫理というと、ついつい頭の中での抽象的な戒めだと思われるかもしれません。しかし、実は出力=行動の規制なのです。
つまり単純に言ってしまえば、テロというのは倫理問題なのです。「そういうことはしちゃいけないよ」ということをしている人たち、規制が利かない人たちがいる。それは彼らに倫理がないからです。
倫理が大切だというのは人間社会で生きていくのにわかりきった話です。だからあまり偉そうなお説教をしない仏教においても、不殺生の戒があるのです。///
昨今は倫理問題と言われても、それこそ「いやらしい想像をするな」というふうな戒めだと思われがちです。どちらかというと倫理や道徳というのはその手前の規制のように思われやすい。しかし異性を見ていやらしい想像をすることは、ある程度仕方のないことです。それをイエスのように、出口に到達するよりもはるか手前で規制しようとしても無理です。大切なのは実行に移さないことです。
9・11テロで突っ込んでいったテロリストは、苑」抑制が完全に外れた状態にありました。酷いことをしたと思いますが、ある意味でこれは、極めて人間的な行為です。動物は普通そんなことはしません。元からそんなことはしてはいけないyという抑制がかかっているからです。
「飛んで火に入る夏の虫」というけれども、その虫は間違って火の中に入っているだけです。危ないとわかっていて突っ込む虫はいません。完全に本能に逆らう自爆テロのような行為は極めて人間的な行為だということがおわかりになるでしょう動物的感覚を無視しているからこそ出来ることです。
結局、こういうテロに対して個人レベルで何かできることがあるか、「どうしたらいいでしょうか」と聞かれれば、個人のレベルでは何かする必要なんかないと言わざるをえない。自分がテロをやらなければいい。それけです。
倫理とは個人の問題なのです。

『超バカの壁』養老猛司著 新潮新書

HOME    様々な思想 目次;

   
公開日2022年1月27日