様々な思想


思想とはもの思うことの言いである
   

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死の恐怖は存在しない

死について考えることは大切だと散々述べてきました。しかし、だからといって、死んだらどうなるというようなことで悩んでも仕方が無いのです。死について考えるといっても、自分の死について延々と悩んでも仕方が無いのです。そんなのは考えても答えがあるわけではない。したがって「死の恐怖をいかに克服するか」などと言ったところでどうしようもない。
それについてあえて答えるならば、「寝ている間に死んだらどうするんだ」と言うしかありません。寝ている間に死んでしまったら、克服も何もあったもんじゃありません。意識がないのですから。
そこで悩むのは、そもそも「一人称の死体」が存在していると思っているからでしょう。死ぬのが怖いというのは、どこかでそれが存在していると思っている、一人称の死体を見ることが出来るのではとうい誤解に近いものがあります。
極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。そうすると「(自分の)死とは何か」というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。これは「口」と似ています。
「口」とは何かというと、実は実体がない。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、実際に解剖学の用語からは削られてしまっています。
少し考えればおわかりいただけるはずです。たとえば唇は存在しています。それを指させばそこにあります。舌も存在しています。では唇でも舌でもない「口」はどこのあるのか。それは穴でしかない。実体がないのです。
建物の出入り口もそれと似ています。入口は玄関だというかもしれません。しかし玄関の扉を取り外しても入口はあります。かえって入りやすくなるくらいです。
こんな風に自分の死というものには実体がない。それが極端だというのならば、少なくとも今の自分が考えても意味が無いと言ってもよい。・・・

考えても無駄

死んだらどうなるのかは、死んでいないからわかりません。誰もがそうでしょう。しかし意識が無くなる状態というのは毎晩経験しているはずです。眠るようなものだと思うしかない。
そんなわけで私自身は、自分の死で悩んだことがありません。死への恐怖というものも感じない。自分の死よりは、父親の死のほうがよほど私に与えた影響が大きかった。・・・
死というのは勝手に訪れてくるのであって、自分がどうこうするようなものではない、それを考えるのは猿知恵で良くないと思っているのです。きっときちんと考える人もいるのでしょう。しかし私はそうではない。だから自分の死に方については私は考えないのです。
無駄だからです。

『死の壁』養老猛司著 新潮新書

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公開日2022年2月3日