様々な思想


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華と新鮮味がある将棋

藤井将棋の魅力は圧倒的な強さだけではない。その将棋について先輩棋士は口々に「非常に面白い」「ワクワクする」「興奮する」などと表現する。
中原誠十六世名人は、私との全対局集『中原VS谷川全局集』(マイナビ出版)に収録した対談の中で藤井将棋について「まず将棋自体が面白い。(略)全体的に新鮮味がある、という印象です。谷川さんや羽生さんが出てきたときも同じでしたが、プロが観ても将棋が面白いんです」
対して私もこのように答えた。
「将棋に華があります。びっくりするような捨て駒ですとか、才能を感じさせる一手が出てきます。もちろんそういう作りの将棋を指しているということはあるんでしょうが、魅せる将棋を指すということは素晴らしいと思います」
藤井将棋が面白いのは、一つには藤井さんが詰将棋の世界でも傑出した才能を示している点と関係がある。
詰将棋とは攻方と玉方の駒が配置された局面から王手の連続で相手の王将を詰ます一種のパズルだ。
詰める側の「攻方」は持ち駒と取った駒を使ってよく、詰められる側の「玉方」は最善、最長手数になるよう王手を回避する手を指す。無駄な駒は配置されておらず、最終的には攻方の持ち駒は残らない。数手詰めから百手、千手を超えるものまである。
詰将棋作家としても活躍されていた内藤國雄先生の影響もあり、私も子供の頃から詰将棋を解くことに夢中になった。やがて詰将棋を作るようになり、2011年には『月下推敲』(マイナビ出版)という自作の詰将棋作品集も出した。詰将棋とは浅からぬ縁があり、その醍醐味、功罪については人よりも通じているつもりだ。
この章では藤井将棋の魅力と詰将棋との関係について考えていきたい。

「AI越え」の一手

藤井さんはプロ棋士になる前から、まず詰将棋の世界で名前を轟かせていた。
詰将棋を解くスピードと正確性を競う「詰将棋解答選手権」では、並み居るプロ棋士とアマ強豪を制して、小学校六年生の時から五連覇している(2020年、2021年の選手権はコロナ禍のため中止)。詰将棋創作の面でも十代とは思えない芸術性の高い作品もいくつか発表している。
詰将棋の中には必ず予想外の一手、将棋における常識や価値観を超える一手が織り込まれている。例えば、駒損を無視して攻めの駒を相手に渡す捨て駒や、一見損に思える不成ならず、玉から遠く離れた位置から飛、角、香を打つなど、意表を突いた手筋や構想がある。
だから私を含めて詰将棋を解いたり創ったりするのが好きな棋士は、実践でもどうしても派手な手がまず見えてしまうという傾向がある。
そのこと自体は長所と短所があり、必ずしもいいことばかりではない。実際の対局ではそれほど派手な手がいつも転がっているわけではなく、自然な手、平凡な手を、積み重ねて勝てればそれに越したことはない。
駒がぶつからずに睨み合って、局面の均衡が保たれているのは当たり前のことだ。しかし、プロの棋士や将棋ファンが見て面白い将棋、魅力に富む将棋は、大きな駒の交換があったり、大駒が派手に飛び交ったりと、動きが大ぶりでありながら、なおかつ局面のバランスが取れている対局である。
そういう意味で、藤井将棋はプロが見ても、どんな手が飛び出すかわからない魅力にあふれている。しかし派手と言っても闇雲に繰り出す手ではなく、いまの局面を正確に理論立てたうえで、さまざまな条件をクリアして初めて成立する手でもある。
例えば、2018年6月の竜王戦ランキング戦五組決勝で、藤井さんが石田直裕さんを相手に指した「△7七同飛成」という一手だ。藤井さんが不利と思われていた局面で、飛車を相手の歩と交換して相手玉に迫る驚愕の大技だった。
日本将棋連盟がその年度に功績を残した棋士に与える将棋大賞の選考部門で「升田幸三賞」を受賞した絶妙の一手である。
一見すると、飛車を捨てて歩しか得られない極端に駒損の一手だが、藤井さんは飛車を渡しても自分の玉が詰まず、相手の玉を受けなしに追い込めることを完全に読み切っていた。しかも、この局面を数手から十手ほど前から想定していたのである。
AIにこの数手前で検索させても、なかなか「△7七同飛成」までたどり着かないという。この「△7七同飛成」に関する記者の質問に、藤井さんは「人間は条件を整理し、条件に沿った手を考えていくのが得意。この将棋ではその長所が出た」と語った。
のちに「AI超え」と表現される一手である。

初優勝「自戦記」

前述したように、藤井さんは2015年、小学六年生、十二歳で「詰将棋解答選手権」で優勝して以来、五連覇という前人未到の偉業を成し遂げている。
同じく幼い頃から詰将棋を解き、詰将棋を創ることを愛好してきた者にとって、このこと自体が畏怖すべき壮挙なのだが、同時に驚嘆したのは、彼が初優勝した時の「自戦記」だった。少し引用してみる。
「まず①にとりかかる。予定通り2分ほどで解けた。無駄のない詰め上がりが好印象だった。
続いて②へ。10分で解けなかったら、③へ行こうと思っていた・・・6分ほどで解けた。初手と4手目の逃げ方がポイント。
(略)残りは⑤のみ。
これは最も読みを要求される問題に見える。頑張るぞと自分を奮い立たせて挑んだ。
2分ほど考えて初手54龍があることに愕然。すぐ詰むかと思うが、そのすぐにたどり着くまでが長かった。12手目まではなんとかたどり着く。しかしそこからの合駒の組み合わせがややこしい。ややこしすぎる~。
ああ、腰がいたくなってきた。でもがんばるぞ!力ずくで合駒を特定したら後はすっと詰んだ。
でも詰め上りが・・・煙じゃない!
『どこで間違えた?』と不安になりつつも、腰をもみながら終了を待つ。第一ラウンドが終わった。」(詰将棋解答選手権実行委員会編『詰将棋解答選手権2015』角ブックス)
小学六年生が書いた文章である。初優勝なのだから自戦記を依頼されることは想定していなかったはずだ。にもかかわらず、詰将棋を解いていくプロセスを正確に記憶し、臨場感を伴って言語化している。他人の力を借りて書ける内容ではなく、編集者も一切手直しする必要がなかったそうだ。
このドキュメント全体からは軽妙なユーモアが伝わってくる。将棋仲間や友達と冗談を言い合って楽しんでいる十二歳の少年の姿が思い浮かぶ。
メディアを通じて私たちが見ることのできる藤井さんは、うつむき加減で言葉を慎重に選んで語る純朴な少年だが、家庭や学校では気楽にはしゃいだりふざけたりして、その将棋同様、けっこう面白いのではないだろうか。
常に注目される存在だが、本当は普通のどこにでもいる十八歳の青年の顔があるはずだ。
しかし、それは見せたくてもなかなか見せられない。その意味では、自分を抑えている部分もあるのではないか。
メディアが作り上げたイメージと現実とのギャップは私自身も覚えがある。藤井さんの場合は、次々と記録を更新し続ける天才棋士が負った宿命とも言えるものだろう。

九歳で打ち立てた最年少記録

では、詰将棋の創作についてはどうだろうか。
棋士の中でも創作を手掛けているのは一割程度ではないか。そして詰将棋作家は必ずしもトップ棋士にhなっていない。
私も詰将棋を創るが、中編や長編を創るようになったのは二十台に入ってからだった。十代までは短いものしか創れなかった。
藤井さんは小学二年生の時から創作を始め、「将棋世界」にも作品を投稿していた。九歳の時に投稿した作品は掲載されただけでなく、新人に与える賞として私の名前を冠した「谷川賞」を受賞した。
実はここでも藤井さんは九歳という「史上最年少記録」を打ち立てていて、卓越した詰将棋作家になることが期待されていたのである。
低学年の間はまだ子どもらしい作品だったが、高学年になって突如として洗練された作品を創るようになった。
これについては、「誰かの作品集に大きな影響を受けたのではないか」と詰将棋作家でもある浦野真彦八段と話したことがあった。私は英文学者(京都大学名誉教授)で詰将棋作家としても知られている若島正さんの作品集に出会ったことで詰将棋のセンスを身につけたのではないか、と想像している。
若島さんは藤井さんの詰将棋の才能をいち早く見いだした人でもある。私も若島作品のファンなのだが、少ない駒で濃密な手順を練り上げる短編や、打ち歩詰め打開をテーマとした中編を得意とされている。自らが創作した詰将棋解答選手権では毎回出題者として作品を提供している。
解答者として参加した2014年には見事優勝している。六十一歳という若島さんの年齢も驚きだった。そして、その翌年から藤井少年の連覇が続くことになる。

面白すぎる創作はほどほどに

「藤井には詰将棋をあまり創らせない方がいいのでしょうか」
藤井さんが小学六年か中学一年の頃だったと思う。彼が熱中している詰将棋創りについて師匠の杉本さんから意見を求められたことがあった。自分では詰将棋を創らないので判断できないと言う。
「解くのはいいけれど、創るのはほどほどにしたほうがいいと思います」
そんなふうに答えたように記憶している。前述したように、いまは将棋の勉強方法が以前とまったく違ってきている。もちろん、詰将棋創作はプラスにはなると思う。しかし他の勉強とのバランスを考えた時に、そこまでのめり込むのは考えものである。
私自身の経験として、詰将棋創作は面白すぎるのだ。知らない間に一日が過ぎてしまう。いまもそれは変わらない。一日ずっと詰将棋の創作に時間をかけても、作品ができるかどうかはわからない。修業時代はしばらく離れたほうがいい、と判断した。
もう一つ私の場合は現実から逃避するために詰将棋の創作に走ってしまう傾向があった。二十代の頃、成績が悪い時に詰将棋の創作をしてしまうのだ。将棋盤に向かっているので将棋の勉強をしているようではあるが、どこまで役に立っているかはわからない。
将棋の成績が良くて勝っている時は、対局も増える。対戦相手の対局を調べたり、トップ棋士の棋譜を並べたりと必須の基本的勉強をしていると、詰将棋を創っている暇がない。
ところが、負けが込んで対局が少なくなってくると、時間があるため詰将棋創りに気持ちが向かってしまうことがあった。昔創った詰将棋を見ると、調子が悪かった当時のことを思い出す。
百手近い大作や難解作の創作を手掛けている時は、常に頭の片隅にそのことがある。駒の配置を少し変えてみたらどうか、と試行錯誤を繰り返している。対局の前日、前々日で対局相手について調べなければいけない時に、対局よりも創りかけの詰将棋に頭が行ってしまうこともままあった。
2017年に杉本さんの教室に伺ったのち藤井宅を訪問した時、実は私の『月下推敲』を持参した。
「藤井君への手土産は何がいいかなと思って、持っているとは思ったんですけど、これを持ってきました。同業者にはあまりサインしないんですが・・・」
と言ってサイン入りでプレゼントした。
藤井さんは「すごい」と一言。彼はすでに小学四年生の時に買って、ほとんど解いたそうだ。
その時に彼は話していた。
「詰将棋を解くのは、解こうと思えばいつでも解けますが、創作となると、ちょっと詰将棋を創ろうかと思って創れるものではありません。しっかり半日推敲してとなると、かなりの時間を要することが多いですね」
個人的には、対局が終わってからの帰り、新幹線の移動時などに詰将棋を創るのが一番いいように思う。スマホの小さな画面で対局中継を長時間見るのは目に良くないので、それよりも目をつぶって頭の中で創りかけの作品について考える。少し疲れているので、そのうち寝てしまうこともある。私にとっては至福の時間である。
藤井さんの自身、「詰将棋は趣味かもしれない」という位置づけだ。
「自分の場合、将棋の勉強というよりは、趣味としてやっているという部分が大きいです」
と話している。

鉄道好きで数字好き

藤井さんと私には、詰将棋を解くことも創ることも好きだという共通点がある。しかし、実はそれ以外にも、いくつか趣味、嗜好が重なっている。
一つは鉄道好きだ。藤井さんはいわゆる鉄道に乗るのが趣味の「乗り鉄」で知られ、棋士にならなければ、鉄道の運転士になりたかった」と言うほどのファンである。
一方、私は幼い時から時刻表を見るのが好きだった。国鉄の大きなダイヤ改正があると、時刻表の全ページを読み尽くして日本中を旅した気分になった。そして、駅間の距離や時間から、列車の時速を暗記することで、いつの間にか加減乗除の四則計算ができるようになっていた。
いまでもどの鉄道ルートをたどれば一番早く着けるかを考える。例えば大阪から新幹線で東京に行き、新宿まで行く場合、東京から中央線で新宿へ行くのと、品川で降りて山手線に乗るのとではどちらが早いか。あるいは品川から大崎で降りて埼京線に乗り換えればどうか。二、三分早く着いてもどうということはないが、それを考えるのが好きなのだ。
もう一つの共通点は数字好きである。藤井さんは幼稚園の時にはすでに九九を習得し、四つの数字を足したりかけたりして合計十にする「メイクテン」を日常的に楽しんでいた。車に乗っていても、周りの車の四桁のナンバーを見て考えてしまうという。
その延長にあるのかどうか、藤井さんは全国の積雪量や標高をよく調べたそうだが、私は気圧を調べることが好きだった。鉄道好きと関係があるのかも知れないが、地理が好きなことも共通している。
だからどうだ、という話ではない。そこに計算力、思考力などを見いだせるのかもしれないが、それが将棋の強さにそのままつながるとは言えない。同好の士としてちょっとうれしく、「趣味が似ているね」というだけの話である。
ただ、子どもの時に好きな世界や得意なことを見つけると、それだけ自分の世界が広がり、成長につながる。子どもたちには将棋に限らず、自分が好きなことをぜひ見つけてほしいと思っている。

『藤井聡太論』谷川浩司著 講談社+α新書

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公開日2022年3月15日