様々な思想


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一手を深く掘り下げよ

藤井さんは以前、NHKEテレの特集で、「中盤での経験が課題」というナレーションのあとにこう語っていたことがある。
「どうしても中盤になると、一つの手を深く掘り下げてしまう傾向があるので、適当なところで読みを切り上げて形勢判断に移るようにしたい」
形勢判断とは、ある局面における優勢劣勢の差を見極めることを指す。勝負どころの中盤戦で思わず読みにふけってしまう自らの傾向を藤井さんも自覚しているが、確かにどこまで一つを深く掘り下げていくかは考えるべき問題である。
一般的に言えば、若いうちは局面全体を見渡す視野が狭くても、一手を深く掘り下げていく傾向がある。年齢を重ねて経験を積むにしたがって、読みと形勢判断のバランスがうまく取れてきて、広く浅く見るようになっていく。その意味で、十八歳の藤井さんが、浅くても深く掘り下げていくことは、ごく自然なことだと思う。
将棋の場合、一つの局面における指し手の選択肢は平均八十通りと言われている。棋士はその中から直感で九割以上を捨て去って三つから五つの候補手に絞り、それらを深く掘り下げていき、比較・検討して最終的に次の一手を決断する。
プロ棋士でも、せいぜい十手先が読めれば良いほうだろう。と言っても、一つの局面で三つの候補手があれば、二手先は九通り三手先は二十七通りに分かれ、十手先には六万手弱に枝分かれする。細かい枝葉の部分は素早く刈り取り、どの木が一番太くてまっすぐ伸びているかのかを見極める力が必要になる。いわゆる「大局観」である。
指し手の良し悪しを洞察するプロ棋士の直感は、知識、経験、個性などを集約して生み出されるものだ。それが大きく外れることは少ない。というよりも、直感の精度が低い人は最初からプロになれない。

全部読み切ってやろう

そうなると、読みとは直感が正しいかを検証する作業と言えるだろう。中盤になると、一手の選択肢が数十通り、場合によっては数百通りに分かれる。先にも述べたように、そこから直感、大局観で三つか五つに絞る。
一手ごとにっ選択肢が広がるため、実際にはすべて読み切れるものでもない。これが本筋と見定めた手が、実はそうではないこともある。
それでも「読み切ろう」という気持ちはとても大切だ。例えば二十手先まで読むところを大局観で判断して十手先で打ち切り、ある程度のところで結論を出すのは、年齢を重ねてからいくらでもできる。若いうちは「全部読み切ってやろう」というくらいの気持ちで局面に臨むべきだろう。
序盤と中盤の構想段階で持ち時間を使って懸命に考えることは、その対局では必ずしも生きないかもしれない。終盤で時間が足りなくなって、悪手を指してしまうこともあるだろう。しかし、それは間違いなく将来に向けた大きな財産になる。
羽生さん、佐藤康光さん、森内俊之さん、郷田真隆さんをはじめとする、いわゆる「羽生世代」の棋士は、若い頃から持ち時間を決して残さなかった。とくに羽生・佐藤戦、羽生・郷田戦のタイトル戦では、お互いに序盤から長考を重ね、新しい定跡を作り上げようという気概をもって対局に臨んでいた。
一局を経験しても、勝ち負けの結果にかかわらず、持ち時間を残してしまうと、それは将来の蓄積にはならない。羽生世代の棋士が四十代を過ぎても第一線で活躍しているのは、若い頃からの長考で蓄えた財産が大きく生かされているからだと思う。
羽生世代と共通する覚悟を私は藤井さんにも感じる。若いうちから時間のペース配分を考えて終盤に時間を残しておこうと考えるよりも、彼に時間の使い方のほうが伸びしろがあるはずだ。いまは深く読んでいく姿勢を変える必要のない時期だと思う。
そのことは彼自身も自覚しているようだ。中盤に時間を使うことに躊躇せず、長考を避けないことについて、
「わからないまま指してしまうと、結局考えた意味がなくなってしまうと思っているんです。時間がなくなってしまうと多少そういうのも仕方ないんですけど、なるべく考えたところで自分なりに判断の根拠を持って指したいと思っています」

棋士も経験する「ゾーン」状態

人間が集中して考えられるのは二時間が限度だとも言われる。しかし、プロ棋士は小学生の頃から、一般の人に比べて集中して考える訓練を重ねてきている。
幼い頃の藤井さんについてお母さんが、
「将棋のことを考えながら歩いていて、溝に落ちたことが二、三回あった」
と振り返っていたが、それも決して大げさではないだろうと思うほどに、彼は並外れた集中力を持っている。
対局の時に彼はカロリー補給のためにチョコレートを持参するが、集中すると食べるのを忘れてしまうそうだ。「意識して食べるようにしている」と言う。
王位戦七番勝負で藤井さんに四連敗した木村一基王位も対局後、藤井さんの印象について、やはり同じような感想を述べていた。
「ミスが少ないということとよく考えるなということを感じましたね。考えたい人なんだな、と思いましたね。あと、時間が減ることを気にしていないのかなという感じはしましたね」(第70期王位リーグ特集「棋士とニューノルマ」、LivedoorNEWS、2020年9月20日)
藤井さんと二日制で持ち時間八時間のタイトル戦を戦っているのは、2021年四月の時点で木村さんだけだ。それだけに実感を伴ったその言葉には信憑性がある。
考えることに没頭すると、人はどうなるか。羽生さんや囲碁の井山裕太二十六世本因坊は、対局中に「ゾーン」と呼ばれる極限の集中状態に入ると語っている。羽生さんによれば、「時間の観念も記憶も薄いので言葉で説明するのは難しい」と言う。
一流のスポーツ選手が時に経験するゾーンに入ると、思考や感情ばかりか周囲の景色や音が意識から消失し、圧倒的にハイレベルなパフォーマンスが発揮できる。感覚が研ぎすまされて、ボールがゆっくり動いて見えたリ、時間間隔がゆがんだりすることがあると言われる。
1996年、私は羽生さんに七冠目(当時のタイトルは七つ)となる王将を奪取された後、竜王戦七番勝負で羽生さんから竜王を奪取してリベンジを果たした。その第二局の終盤八十手目で、羽生さんの読みになかった捨て駒「△7七桂(先手は▲、後手は△)を打って一気に流れを引き寄せた。
「△7七桂」は、これまでの公式戦約二千二百三十局の中で最高と自負できる一手である。それだけ気が充実していた。信じてもらえるかどうかわからないが、打つ前に盤上の7七のマス目が光って見えた。いま思えば、この時、私はゾーンに入っていたのかもしれない。
藤井さんもおそらくゾーンに入ることがあるのだろう。彼はインタビューに対して、こんなふうに語っている。
「一番集中できている時は、集中しているという実感すらないような状態になり、一分が長く感じる」

『藤井聡太論』谷川浩司著 講談社+α新書

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公開日2022年3月16日