様々な思想

   

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藤井四段と私は年の差で四十歳。親子以上の差だが、実は「旧知の仲」である。

盤に覆いかぶさった少年

2010年11月のことだ。藤井聡太少年はまだ八歳、小学二年生だった。
私は彼と将棋を一局指している。この年の「将棋の日」にちなんで、名古屋で開かれたイベントでのことだ。
将棋の日は、11月17日だ。旧暦のこの日、将棋の名人らが江戸城に上り、第八代将軍・徳川吉宗とくがわよしむねの御前で将棋を指した。以後、この日が「御城将棋の日」となったことに由来する。
名古屋の会場で私は、アマチュアの方と多面指しと呼ばれる指導将棋を行った。盤を行ったり来たりしながら私一人で五人と同時に対局するイベントである。
その中に藤井少年がいた。アマチュア初段ぐらいの実力だと思った私は、二枚落ちの手合いで指した。私の方が飛車と角を落とすハンディギャップ戦だ。いい勝負になるはずの手合いだった。
藤井少年はうまく指したが、途中で攻め損なった。
私の王将が捕まらなくなり、少年の陣地にまで逃げ込んだ。「入玉」と呼ばれる将棋になったのだ。二枚落ちのハンディ戦ではなかなかないことで、指してもかなり長くなった。
指導対局は時間が決まっているので、勝負がつかないまま終わらざるを得ないことも多い。時間切れの際は「これは引き分けですね」とか「この後、こう指されると私の負けですね」といった話をアマチュアの方として終わりにすることが多い。
藤井少年との将棋は、そのまま進めば最後は私の勝ちになる将棋だった。とはいえ、相手は小学校二年生だ。頑張って指し続けているので、「引き分けということにしようか」と私は提案した。
その時だった。
藤井少年は盤の上に突然、覆いかぶさった。手で盤を抱きかかえるようにし、頭を盤の上に乗せんばかりに身を乗り出し、そのまま動かなくなった。
引き分けが嫌というより、負けを察していて、その負けを認めたくなかったように見えた。
盤に覆いかぶさった少年は、やがて火が付いたように泣き声を上げ始めた。
私は、局面をいくつかのポイントとなる所に戻して、感想を述べて指導したいと思っていたが、泣き続ける少年の様子はそれどころでない雰囲気だった。
彼の後の師匠となる杉本昌隆七段がたまたまそばにいたので、泣き続ける藤井少年の世話を任せ、私は残り四人のアマチュアの方への指導に戻った。
子ども含め、指導対局は長年やってきている。将棋に負けると泣く子は今までにもいたが、引き分けの提案を拒み、盤の上に覆いかぶさって泣くような激しい子を見たのは初めてだった。
藤井四段の母、裕子ゆうこさんによると、この時だけでなく、将棋に負けて泣き続ける藤井少年を、裕子さんがなだめながら家に連れて帰るということは何度もあったという。
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ともに詰将棋を愛する

その次の彼との「再会」は詰将棋だった。
詰将棋とは、一種のパズルと書いたが、パズルといっても、江戸時代からあり、十八世紀に作られた伊藤宗看いとうそうかんの「将棋無双」、伊藤看寿かんじゅの「将棋図巧」などの詰将棋作品集は現在も傑作として残る。一種の伝統芸術でもある。
将棋好きだった数学者の岡潔氏は「宗看、看寿の存在だけで、江戸の文化は世界に誇れる」と言っている。私も「宗看、看寿はモーツァルト並みに評価されるべきだ」と書いたことがある。それほどに「無双」「図巧」は傑作なのだ。
詰将棋の世界では、問題の難解さ、正解手順の意外さ、形の美しさ、手順の長さなどを競い、現在も「詰将棋作家」と呼ばれる人たちが新たな作品を発表し続けている。私も「月下推敲」という詰将棋作品集を発表しており、詰将棋作家の一人である。
藤井少年は私との指導対局から約一年後の九歳の時、詰将棋専門誌「将棋世界」の「詰将棋サロン」という欄に、作品を投稿してきたのだ。
九歳の子どもが、専門誌に詰将棋作品を投稿してくること自体するが異例だったが、その作品は採用されて掲載されただけでなく、年間優秀作品として、私の名を冠した「谷川賞」を受賞している。
九歳の受賞者として、詰将棋の世界で早くも藤井少年は注目された。
藤井四段と私は、同じ中学生で棋士になった者であるだけでなく、詰将棋を愛するという共通点があるのだ。
その後、「藤井聡太」の名がさらに鮮烈に私の記憶に刻まれたのは、2015年の春、彼が小学校六年生、十二歳にして「詰将棋解答選手権」で優勝した時だった。
これは史上最年少で棋士になったことと並ぶほどの大変な偉業である。他の世界にたとえれば、数学の難問を解くスピードを競う大会で、大人の数学者をさしおいて小学生が優勝するようなものだ。
以来、彼は現在まで三年連続で優勝している。詰将棋を作るだけでなく、詰将棋を解くことに関し、現在、日本一の実力者なのだ。
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『中学生棋士』谷川浩司 角川新書

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公開日2022年3月19日