源氏物語 25 螢 ほたる

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原文 現代文
25.1 玉鬘、養父の恋に悩む
今はかく重々しきほどに、よろづのどやかに思ししづめたる御ありさまなれば、頼みきこえさせたまへる人びと、さまざまにつけて、皆思ふさまに定まり、ただよはしからで、あらまほしくて過ぐしたまふ。
対の姫君こそ、いとほしく、思ひのほかなる思ひ添ひて、いかにせむと思し乱るめれ。かのげんが憂かりしさまには、なずらふべきけはひならねど、かかる筋に、かけても人の思ひ寄りきこゆべきことならねば、心ひとつに思しつつ、「様ことに疎まし」と思ひきこえたまふ。
何ごとをも思し知りにたる御齢なれば、とざまかうざまに思し集めつつ、母君のおはせずなりにける口惜しさも、またとりかへし惜しく悲しくおぼゆ。
大臣も、うち出でそめたまひては、なかなか苦しく思せど、人目を憚りたまひつつ、はかなきことをもえ聞こえたまはず、苦しくも思さるるままに、しげく渡りたまひつつ、御前の人遠く、のどやかなる折は、ただならずけしきばみきこえたまふごとに、胸つぶれつつ、けざやかにはしたなく聞こゆべきにはあらねば、ただ見知らぬさまにもてなしきこえたまふ。
人ざまのわららかに、気近くものしたまへば、いたくまめだち、心したまへど、なほをかしく愛敬あいぎょうづきたるけはひのみ見えたまへり。
源氏は今は重々しい身分になって、何事によらず穏やかな落ち着いた生活なので、源氏を頼みとする婦人方も、それぞれに皆思い通りに落ち着いて、何の不安もなく、申し分のない日々を過ごしていた。
西の対の姫君こそ、かわいそうで、思いがけない心配が一つ加わって、どうしようと思い惑うのだった。あの大夫の監が疎ましかった程には比べるべくもないが、ありえないことと誰もが思っているので、自分ひとりで悩みながら、「ひどく嫌なこと」と思うのだった。
何事も分別しわきまえるべき年齢なので、あれこれとわが身の不運を思い、母君がいないくやしさを思い、また改めて悲しい思いに沈むのだった。
源氏も、一旦打ち明けてからは、かえって安からぬ気持ちだったが、人目をはばかり、ちょっとした言葉もかけられずに、苦しい胸のうちをかかえたまま、足しげく通って、女房たちが近くにいず、物静かな時には、気持ちが高ぶって気色ばんで仰せになる度に、玉鬘は胸がつぶれる思いがし、きっぱりとお断りもできず、ただ気がつかない風をしていた。
玉鬘は人柄が快活で、人なつっこかったので、真面目に構えて用心していたけれど、なおかわいらしく愛敬のある気配を見せていた。
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25.2 兵部卿宮、六条院に来訪
兵部卿宮ひょうぶきょうのみやなどは、まめやかにせめきこえたまふ。御労のほどはいくばくならぬに、五月雨になりぬる愁へをしたまひて
「すこし気近きほどをだに許したまはば、思ふことをも、片端はるけてしがな」
と、聞こえたまへるを、殿御覧じて、
「なにかは。この君達の好きたまはむは、見所ありなむかし。もて離れてな聞こえたまひそ。御返り、時々聞こえたまへ」
とて、教へて書かせたてまつりたまへど、いとどうたておぼえたまへば、「乱り心地悪し」とて、聞こえたまはず。
人びとも、ことにやむごとなく寄せ重きなども、をさをさなし。ただ、母君の御叔父なりける、宰相ばかりの人の娘にて、心ばせなど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとりたまへる、宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたも大人びたる人なれば、さるべき折々の御返りなど書かせたまへば、召し出でて、言葉などのたまひて書かせたまふ。
ものなどのたまふさまを、ゆかしと思すなるべし。
正身は、かくうたてあるもの嘆かしさの後は、この宮などは、あはれげに聞こえたまふ時は、すこし見入れたまふ時もありけり。何かと思ふにはあらず、「かく心憂き御けしき見ぬわざもがな」と、さすがにくされたるところつきて思しけり
殿は、あいなくおのれ心懸想して、宮を待ちきこえたまふも知りたまはで、よろしき御返りのあるをめづらしがりて、いと忍びやかにおはしましたり。
妻戸の間に御茵参らせて、御几帳ばかりを隔てにて、近きほどなり。
いといたう心して、空薫物心にくきほどに匂はして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見えたまふ。宰相の君なども、人の御いらへ聞こえむこともおぼえず、 恥づかしくてゐたるを、「埋もれたり」と、ひきつみたまへば、いとわりなし
兵部卿宮ひょうぶきょうのみやなどは、熱心に文を送って迫っている。名乗りを上げてからまだいくばくもないのに、五月雨の頃になったと泣き言を言って、
「もう少しお側近くに寄れたら、もっとよく心の内も少しは晴らせるものを」
とおおせになるのを、殿は見て、
「よし、このお方が言い寄られるのは、いいでしょう。そっけないご返事はなさるな。時々は返事を出しなさい」
と教えて書かせようとするが、ますます嫌なことと思われて、「気分が悪い」とて、文を出そうとしない。
お付きの女房たちの中に家柄もよく声望のある家の出といった者もほとんどいない。夕顔の叔父で宰相であった人の娘に、たしなみなど相当ある者が、落ちぶれてひとり暮らしをしていたのを、呼び寄せて、宰相の君といって、筆跡などもよく、そのほかにも大人びているので、このような折々に代筆させていたのを、呼び寄せて、今回は口述で書かせた。
兵部卿の宮が口説かれるさまを、見たいと思ったのだろう。
玉鬘は、源氏に言い寄られた泣きたいような厭わしさのあとでは、この宮などの愛情をこめた文を、見入る時もあった。宮を特に好んだのではなく、「このように嫌な源氏の振舞を見ないですむ」と、さすがに女らしい考えが働いて思った。
源氏は、わけもなくひとりでわくわく興奮して、宮は仕組まれているとも知らず、良い返事があったのを珍しいことと思い、ひそかにやって来た。
妻戸の間に御座を敷き、几帳だけを隔てにして、宮の座を用意した。
源氏がたいそう気を配って、香の物を心にくいほどくゆらして用意するさまは、親ではなく面倒なことをする人ではあるが、さすがに親身に世話をしているように見えた。宰相の君が、宮へのご返事の取り次ぎの忘れて、引っ込んでいたのを、「気が利かぬ」とつねるので、困っていた。
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25.3 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る
夕闇過ぎて、おぼつかなき空のけしきのくもらはしきにうちしめりたる宮の御けはひも、いと艶なり。うちよりほのめく追風も、いとどしき御匂ひのたち添ひたれば、いと深く薫り満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはひを、心とどめたまひけり。
うち出でて、思ふ心のほどをのたまひ続けたる言の葉、おとなおとなしく、ひたぶるに好き好きしくはあらで、いとけはひことなり。大臣、いとをかしと、ほの聞きおはす。
姫君は、東面に引き入りて大殿籠もりにけるを、宰相の君の御消息伝へに、ゐざり入りたるにつけて、
いとあまり暑かはしき御もてなしなり。よろづのこと、さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若びたまふべきさまにもあらず。この宮たちをさへ、さし放ちたる人伝てに聞こえたまふまじきことなりかし。御声こそ惜しみたまふとも、すこし気近くだにこそ」
など、諌めきこえたまへど、いとわりなくて、ことづけてもはひ入りたまひぬべき御心ばへなれば、とざまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋の際なる御几帳のもとに、かたはら臥したまへる。
夕闇がすぎて、月がぼんやりしてはっきりしない曇りがちの空に、物思わしげな宮の気配は、風情があった。内からただよってくる風に、一段と高い香りが加わって、深く満たしているので、宮は予想したよりすばらしい玉鬘の気配を心に止めた。
宮が口に出して、思いのたけを打ち明ける言の葉も、落ち着いて、ただ好き好きしくはなく、まったく真面目な口調であった。源氏は、風情があるな、と聞いておられた。
姫君は東面に籠ってお寝みになっていたが、宰相の君が宮の消息を伝えにいざり入ると、源氏も一緒に入ってきて、
「嫌がっているようなもてなしですな。何事にもその時々の状況に応じて対応しなさい。子どもっぽく振舞う年でもないでしょう。この宮には、遠ざけて人づてに伝え聞くべきものではありません。直接声を交わさずとも、もう少し近くに寄っていなければ」
などと、諭すのだが、玉鬘は困り果ててしまい、源氏がつけこんで割り込んできそうな気配なので、どちらにしてもつらくなって、にじり出て、母屋の端にある几帳の所に、横になるのだった。
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25.4 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる
何くれと言長き御応へ聞こえたまふこともなく、思しやすらふに寄りたまひて御几帳の帷子を一重うちかけたまふにあはせて、さと光るもの。紙燭をさし出でたるかとあきれたり。
蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて
にはかにかく掲焉けちえん光れるに、あさましくて、扇をさし隠したまへるかたはら目、いとをかしげなり。
「おどろかしき光見えば、宮も覗きたまひなむ。わが女と思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。人ざま容貌など、いとかくしも具したらむとは、え推し量りたまはじ。いとよく好きたまひぬべき心、惑はさむ」
と、かまへありきたまふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしも、もて騷ぎたまはじ、うたてある御心なりけり。
こと方より、やをらすべり出でて、渡りたまひぬ。
あれこれを言葉を尽くして口説かれる宮に、お答えすることもなく、思いまどっていると、源氏が寄って来て、几帳の帷子を一重かけ上げて、さっと光るものがあった。紙燭を出したかと驚いた。
この夕方蛍を薄い布にたくさん包んで、光を隠しておいて、さりげなく、なにくれとなく身辺の世話をする風によそおって、
突然、はっきりと明るく光るものがあり、驚いて扇で隠したその横顔が、とても美しい。
「光で驚かせば、宮も見るだろう。わたしの娘と思っているからこそ、かくも口説くのだろう。人柄や容貌など、このように見事にそろっているとは、想像していないだろうな。ほんとうに惚れた心を惑わしてやろう」
と、たくらんであれこれするのだった。ほんとうの自分の娘なら、これほど騒いだりしないだろう、困ったものである。
宮は他の出口から、こっそり帰って行かれた。
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25.5 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す
宮は、人のおはするほど、さばかりと推し量りたまふが、すこし気近きけはひするに、御心ときめきせられたまひて、えならぬうすものの帷子の隙より見入れたまへるに、一間ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見たまふ。
ほどもなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、艶なることのつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥したまへりつる様体のをかしかりつるを、飽かず思して、げに、このこと御心にしみにけり。
鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに
人の消つには消ゆるものかは

思ひ知りたまひぬや」
と聞こえたまふ。かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたれば、疾きばかりをぞ。
声はせで身をのみ焦がす蛍こそ
言ふよりまさる思ひなるらめ

など、はかなく聞こえなして、御みづからは引き入りたまひにければ、いとはるかにもてなしたまふ愁はしさを、いみじく怨みきこえたまふ。
好き好きしきやうなれば、ゐたまひも明かさで、軒の雫も苦しさに、濡れ濡れ夜深く出でたまひぬ。時鳥などかならずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きも止めね
「御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君に似たてまつりたまへり」と、人びともめできこえけり。昨夜、いと女親だちてつくろひたまひし御けはひを、うちうちは知らで、「あはれにかたじけなし」と皆言ふ。
宮は、女がいる辺りの見当をつけて、少し近すぎる気がしたが、心をときめかして、すばらしい薄物の帷子の隙から覗き見ると、一間ばかり隔てた向こう側に、思ってもいなかった光が突然明るくほのめくのを、すばらしい光景と見た。
まもなく女房たちが見えないように隠した。しかしほのかな光は、恋のきっかけになりそうに見えた。ほのかな明かりの下に、すらりと臥している姿を、忘れがたく思い、実際、宮の心にしみた。
(蛍兵部卿)「声も聞こえぬ蛍の思いは消せないでしょう
ましてわたしの胸の思いは
お分かりでしょうか」
と申し上げた。この場合のお返しも、思い惑うのもおかしいので、早いのが取り柄で。
(玉鬘)「声にださず身を焦がすばかりの蛍こそ
あなたのように口に出すより思いは深いのでしょう」
など、つれない返事をして、自らは奥へ引っ込んだので、よそよそしいもてなしをつらく思い、宮はひどく恨みがましい思いだった。
好色がましくなるので、夜明けまで居ず、軒の雫も苦しいので、露に濡れて夜も深いうちにお帰りになった。時鳥は必ず鳴いたことだろう。煩わしいので確かめなかったが。
「宮の気配などのなまめかしさは、源氏の君によく似ておられる」と、女房たちもほめるのだった。昨夜の女親の立場で世話をしたやり方は、内情は知らないが、「おやさしくもったいなかった」と皆言うのだった。
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25.6 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す
姫君は、かくさすがなる御けしきを
わがみづからの憂さぞかし。親などに知られたてまつり、世の人めきたるさまにて、かやうなる御心ばへならましかば、などかはいと似げなくもあらまし。人に似ぬありさまこそ、つひに世語りにやならむ」
と、起き臥し思しなやむ。さるは、「まことにゆかしげなきさまにはもてなし果てじ」と、大臣は思しけり。なほ、さる御心癖なれば、中宮なども、いとうるはしくや思ひきこえたまへる、ことに触れつつ、ただならず聞こえ動かしなどしたまへど、やむごとなき方の、およびなくわづらはしさに、おり立ちあらはし聞こえ寄りたまはぬを、この君は、人の御さまも、気近く今めきたるに、おのづから思ひ忍びがたきに、折々、人見たてまつりつけば疑ひ負ひぬべき御もてなしなどは、うち交じるわざなれど、ありがたく思し返しつつ、さすがなる御仲なりけり。
姫君は、このような二股かけた源氏の態度を、
「わが身の不運なのだ。内大臣が親として認知して、世間並みに大事にされて、その上で思いを寄せられるなら、不似合いでもないだろう。普通でない今の境遇では、世間の語り草になってしまう」
と日夜思い悩んでいる。とはいえ、「世間に、みっともない真似はしまい」と源氏は思っていた。やはり、困った女癖があるので、中宮などにも、きちんとけじめをつけて遇しているわけでもなく、事に触れて、穏やかならぬことを言って気を引こうとするが、高貴なご身分の方ゆえ、及びもつかぬ煩わしいことが懸念されるので、自ら動いて口説こうとはしなかったが、玉鬘は、人柄も気軽で今めいているので、源氏は自然と気持ちを抑えがたく、時々は、女房たちが見れば疑いそうな振る舞いがあるのだが、よく自制して、さすが何事もない仲であった。
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25.7 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問
五日には、馬場の御殿おとどに出でたまひけるついでに、渡りたまへり。
「いかにぞや。宮は夜や更かしたまひし。いたくも馴らしきこえじわづらはしき気添ひたまへる人ぞや人の心破り、ものの過ちすまじき人は、かたくこそありけれ
など、活けみ殺しみ戒めおはする御さま、尽きせず若くきよげに見えたまふ。艶も色もこぼるばかりなる御に、直衣なおしはかなく重なれるあはひも、いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世の人の染め出だしたると見えず、常の色も変へぬ文目あやめも、今日はめづらかに、をかしくおぼゆる薫りなども、「思ふことなくは、をかしかりぬべき御ありさまかな」と姫君思す。
宮より御文あり。白き薄様にて、御手はいとよしありて書きなしたまへり。見るほどこそをかしけれ、まねび出づれば、ことなることなしや
今日さへや引く人もなき水隠れに
生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ

例にも引き出でつべき根に結びつけたまへれば、「今日の御返り」などそそのかしおきて、出でたまひぬ。これかれも、「なほ」と聞こゆれば、御心にもいかが思しけむ、
あらはれていとど浅くも見ゆるかな
菖蒲もわかず泣かれける根の

若々しく」
とばかり、ほのかにぞあめる。「手を今すこしゆゑづけたらば」と、宮は好ましき御心に、いささか飽かぬことと見たまひけむかし。
楽玉くすだまなど、えならぬさまにて、所々より多かり。思し沈みつる年ごろの名残なき御ありさまにて、心ゆるびたまふことも多かるに「同じくは、人の疵つくばかりのことなくてもやみにしがな」と、いかが思さざらむ
五月五日には、騎射の殿舎に出かける途上、西の対へ立ち寄った。
「どうでしたか。宮は夜遅くまでいたのですか。厄介なところのある人ですよ。女の人の心を傷つたり、何かの間違いをしない人はめったにいませんからね」
などと、ほめたりけなしたりして忠告される様子は、すばらしく若く清らかに見える。艶も色もこぼれるような衣に、さりげなく直衣を着た色合いが、一体どこから加わった美しさなのであろうか、この世の人が染め出したとも思えず、いつもと変わらぬ色の文目あやめも、今日は見事で、衣の薫香も、「厄介なことがなければ、ほんとうにすばらしく見事だ」と姫君は思った。
宮から文があった。白の薄様で、筆跡は趣があって見事だった。当座はすばらしと思ったが、改めてお伝えすると、それほどでもない。
(蛍兵部卿)「今日でさえも引く人もない菖蒲の根のように
隠れて音にでて泣いています」
語り草になりそうな長い菖蒲の根に結んでいて、「この文には返事を」などと言いおいて、出かけた。女房たちは口々に、「是非に」と言うので、姫はどう思ったのか、
(玉鬘)「引き抜いて根を見ると浅く見えます
わけもなく声を上げて泣くあなたは
年甲斐もないですね」
とばかり、薄墨で書いている。「いま少し筆跡に趣があったら」と、宮は風情に秀でていたので、少しもの足りないとお思いだったことだろう。
楽玉など、美しく作って、あちこちのものがあった。不遇な時の名残もない今の暮らしぶりで、いろいろ気持ちにゆとりもできて、「どうせなら、源氏に後ろ指をさされないように」と、思わないことがあろうか。
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25.8 六条院馬場殿の騎射
殿は、東の御方にもさしのぞきたまひて、
「中将の、今日の司の手結てつがいひのついでに、男ども引き連れてものすべきさまに言ひしを、さる心したまへ。まだ明きほどに来なむものぞ。あやしく、ここにはわざとならず忍ぶることをも、この親王たちの聞きつけて、訪らひものしたまへば、おのづからことことしくなむあるを、用意したまへ」
など聞こえたまふ。
馬場の御殿は、こなたの廊より見通すほど遠からず。
「若き人びと、渡殿の戸開けて物見よや。左の司に、いとよしある官人多かるころなり。少々の殿上人に劣るまじ」
とのたまへば、物見むことをいとをかしと思へり。
対の御方よりも、童女わらわべなど、物見に渡り来て、廊の戸口に御簾青やかに掛けわたして、今めきたる裾濃すそごの御几帳ども立てわたし、童、下仕へなどさまよふ。菖蒲襲のあくめ二藍ふたあい汗衫かざみうすもの着たる童女ぞ、西の対のなめる。
好ましく馴れたる限り四人、下仕へは、おうちの裾濃の裳、撫子の若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり。
こなたのは、濃き一襲ひとえがさねに、 撫子襲の汗衫かざみなどおほどかにて、おのおの挑み顔なるもてなし、見所あり。
若やかなる殿上人などは、目をたててけしきばむ。ひつじの時に、馬場の御殿に出でたまひて、げに親王たちおはし集ひたり。手結ひの公事にはさま変りて、次将すけたちかき連れ参りて、さまことに今めかしく遊び暮らしたまふ。
女は、何のあやめも知らぬことなれど、舎人どもさへ艶なる装束を尽くして、身を投げたる手まどはしなどを見るぞ、をかしかりける。
南の町も通して、はるばるとあれば、あなたにもかやうの若き人どもは見けり。打毬楽たぎゅうらく」「落蹲らくそんなど遊びて、勝ち負けの乱声らぞうどもののしるも、夜に入り果てて、何事も見えずなり果てぬ。舎人どもの禄、品々賜はる。いたく更けて、人びと皆あかれたまひぬ。
源氏は、東の花散里にも顔を出して、
「夕霧が、今日の武徳殿での騎射のついでに、男たちを引き連れて来ると言っていたので、準備しておくように。まだ明るいうちにくると思う。不思議なことに、ここには目立たぬようにお忍びのつもりが、あの宮たちが聞きつけて、やって来れば、自ずと大げさになるから、用意しておきなさい」
などと仰せになる。
馬場の御殿は、ここから見通せて遠くはない。
「若い人たちは、渡殿の戸を開けて見物しなさい。左近衛府には、優秀な官人が多い。なまじ殿上人には劣らない」
と仰せになるので、見物をひどく楽しみにしていた。
玉鬘の西の対から、童女たちが物見にやってきて、廊の戸口に御簾を青やかに掛けて、今風の裾濃の几帳をたてかけ、童や下仕えなどが準備している。菖蒲襲のあくめ二藍ふたあい汗衫かざみうすものを着ているのは、西の対の童女だろう。
好ましいなれたものばかり四人、下仕えはおうちの裾濃の裳、撫子の若葉色の唐衣を着て、端午の節句の装いであった。
花散里の童女は、濃き一襲ひとえがさねに、撫子襲の汗衫かざみでおおらかな装いだが、相手と張り合っている様に、見所があった。
若い殿上人などは、目をつけて気色ばむのであった。午後二時頃、源氏は馬場の御殿に出てみると、現に親王たちは来ていた。競技の公のものとは様変わりで、少将たちも連れだって参加して、今風の遊びをして過ごした。
女には、わからなかったが、舎人たちでさえ着飾った装束をして、夢中になって技を尽くすのを見るのは、面白かった。
紫の上の南の町にもずっと続いているので、あちらでもこうした若い女房たちは見物していた。「打毬楽たぎゅうらく」「落蹲らくそん」などで遊んで、勝ち負けの度にそれぞれの楽曲を奏して騒がしく、夜も更けて何も見えなくなり終わった。舎人どもの禄、品々を賜った。夜も更けてから、人々は皆帰った。
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25.9 源氏、花散里のもとに泊まる
大臣は、こなたに大殿籠もりぬ。物語など聞こえたまひて、
「兵部卿宮の、人よりはこよなくものしたまふかな。容貌などはすぐれねど、用意けしきなど、よしあり、愛敬づきたる君なり。忍びて見たまひつや。よしといへど、なほこそあれ」
とのたまふ。
「御弟にこそものしたまへど、ねびまさりてぞ見えたまひける。年ごろ、かく折過ぐさず渡り、睦びきこえたまふと聞きはべれど、昔の内裏わたりにてほの見たてまつりしのち、おぼつかなしかし。いとよくこそ、容貌などねびまさりたまひにけれ。そちの親王よくものしたまふめれど、けはひ劣りて、大君けしきにぞものしたまひける
とのたまへば、「ふと見知りたまひにけり」と思せど、ほほ笑みて、なほあるを、良しとも悪しともかけたまはず。
人の上を難つけ、落としめざまのこと言ふ人をば、いとほしきものにしたまへば
右大将などをだに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある。 近きよすがにて見むは、飽かぬことにやあらむ
と、見たまへど、言に表はしてものたまはず。
今はただおほかたの御睦びにて、御座なども異々にて大殿籠もる。「などてかく離れそめしぞ」と、殿は苦しがりたまふ。おほかた、何やかやともそばみきこえたまはで、年ごろかく折ふしにつけたる御遊びどもを、人伝てに見聞きたまひけるに、今日めづらしかりつることばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしと思したる。
その駒もすさめぬ草と名に立てる
汀の菖蒲今日や引きつる

とおほどかに聞こえたまふ。何ばかりのことにもあらねど、あはれと思したり。
鳰鳥におどりに影をならぶる若駒は
いつか菖蒲に引き別るべき

あいだちなき御ことどもなりや。
「朝夕の隔てあるやうなれど、かくて見たてまつるは、心やすくこそあれ」
戯れごとなれど、のどやかにおはする人ざまなれば、静まりて聞こえなしたまふ。
床をば譲りきこえたまひて、御几帳引き隔てて大殿籠もる。気近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき筋に、思ひ離れ果てきこえたまへれば、あながちにも聞こえたまはず。
源氏は、花散里の対に泊った。物語などして、
「兵部卿の宮は、他の人よりずっと立派な方だ。容貌などはそれほどでもないが、心配りや風采など、趣があり、魅力的だ。こっそりご覧になりましたか。立派だが今一だね」
と仰せになる。
「弟君でいらっしゃいますが、大人びて見えます。年来、このような折は欠かさずお越しになられ、親しくされているとお聞きしますが、昔ちらっと内裏でお見かけした後は、ずっとお見かけしておりません。ずいぶん、容貌なども立派におなりになりました。帥の親王もご立派でしたが、気配は少し劣ります、諸王並みでしょうか。」
と花散里が言ったので、「一目で見抜いた」と思ったが、微笑んで、取り得のない人については、良いとも悪いとも仰せにならない。
人の難癖をつけ、おとしめることを言う人を、困ったものだとお思いになるので、
「髯黒の右大将などは、立派な人と評判のようだが、どうでしょうか。近き縁者として見れば、物足りない」
と思っていたが、口にだしてはおっしゃらない。
今はただ花散里とは表向き夫婦というだけで、床も別々でおやすみになる。「どうしてこうよそよそしくなったか」と源氏は切ない気持になっている。花散里は、大体が何やかやと嫉妬めいたことを言わず、年頃こうした季節の催しを、人伝てに聞くだけ で、今日のように直接見るのは珍しく、東の対にとって名誉と思っている。
(花散里)「馬も食べない草なのに節句だからでしょうか
今日は菖蒲を引き立てて下さった」
とおっとり詠うのだった。何ということもないのだが、源氏は胸を打たれた。
(源氏)「鳰鳥におどりのようにいつも連れ添っている若駒は
どうして菖蒲と別れることがありましょう」
色気のない歌ですね。
「朝夕いつも疎遠にしているが、こうしてお会いすると、しみじみします」
たわむれごとであるが、のどやかなお人柄なので、しんみりとしてお話になる。
花散里は、床をお譲りになって、几帳を引き寄せて寝むのだった。共寝することは、まったく似合いではないと花散里はあきらめていたので、君は強いてお誘いならなかった。
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25.10 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中
長雨例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々、絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の御方にたてまつりたまふ。
西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読みいとなみおはす。つきなからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上などを、真にや偽りにや、言ひ集めたるなかにも、「わがありさまのやうなるはなかりけり」と見たまふ。
『住吉』の姫君のさしあたりけむ折はさるものにて今の世のおぼえもなほ心ことなめるに主計頭かぞえのかみが、ほとほとしかりけむなどぞ、かのげんがゆゆしさを思しなずらへたまふ。
殿も、こなたかなたにかかるものどもの散りつつ、御目に離れねば、
「あな、むつかし。女こそ、ものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらのなかに、真はいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」
とて、笑ひたまふものから、また、
「かかる世の古言ならでは、げに、何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さても、この偽りどものなかに、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るに、かた心つくかし。
また、いとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた聞くたびぞ、憎けれど、ふとをかしき節、あらはなるなどもあるべし。
このころ、幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふものの世にあるべきかな。虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど、さしもあらじや」
とのたまへば、
「げに、偽り馴れたる人や、さまざまにさも汲みはべらむ。ただいと真のこととこそ思うたまへられけれ」
とて、硯をおしやりたまへば、
「こちなくも聞こえ落としてけるかな。神代より世にあることを、記しおきけるななり。『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」
とて、笑ひたまふ。
例年よりも長雨が続いて、晴れることがなく所在ないので、ご婦人方は、絵物語などの遊びで、日々を過ごしていた。明石の御方はそのようなこともとても上手になさって、姫君を相手にして差し上げるのだった。
玉鬘の西の対には、そのような遊びは珍しく、明け暮れ書いたり読んだりしていた。これが上手な若い女房もたくさんいた。さまざまな珍しい身の上のなかで、本当なのか嘘なのか、集めた中にも、「わたしのような波乱に富んだ物語はないな」 と思った。
『住吉物語』の姫君が、その当時は評判だったのは当然として、今もすごく人気があるので、主計頭かぞえのかみがほとんど入手しそうだった場面は、例のげんの恐ろしさを思い出した。
源氏も、あちらこちらに散在する絵物語の写しが、目にとまるので、
「あら、難しいものだ。女こそ、面倒がらずに、人に欺かれるために生まれてきたのか。この中には、本当のことは少なくて、それでも承知の上で、このようなつまらぬものに夢中になって騙されて、暑い五月雨のなか髪が乱れるのもかまわず、書いているよ」
と笑いながらもまた、
「このよう世の昔話がなければ、実に、紛れることのないつれづれをどうやって慰められようか。さてこの偽りどものなかに、まったくそうだと同感し、もっともらしく続けて、たわいもないと知りながら、むやみと感動し、かわいい姫君が物思いに沈む姿に、心が引かれたりする。
またありえないと思いながらも、大げさな書きぶりにすっかり驚いて、静かにまた再び聞いてみると、嘘だと思いながらも、実に感動的な節が現れることもあるでしょう。
このころ、明石の姫君に読み聞かせる女房を立ち聞いていると、口のうまい者が世の中にはいるものですね。嘘をつきなれた口つきで言っているのですが、そうじゃないですか」
と仰せになると、
「実に、偽りなれた人は、さまざまに人の気持ちに入り込むでしょう。でもわたしにはまことのことと思われます」
とて玉鬘は硯を押しやったので、
「ぶしつけに悪く申し上げてしまった。神代の昔から伝わるものを、書き記したものです。『日本書紀』などは、わずかな片端です。物語の方にこそ道理にかなった詳しい話があるのでしょう」
とて笑うのだった。
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25.11 源氏、玉鬘に物語について論じる
「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、 見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり。善きさまに言ふとては、善きことの限り選り出でて、 人に従はむとては、また悪しきさまの珍しきことを取り集めたる、 皆かたがたにつけたる、この世の他のことならずかし。
人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば、昔今のに変はるべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに虚言と言ひ果てむも、ことの心違ひてなむありける。
仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなきものは、ここかしこ違ふ疑ひを置きつべくなむ。『方等経』の中に多かれど、言ひもてゆけば、ひとつ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人の善き悪しきばかりのことは変はりける
よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」
と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ
「さて、かかる古言の中に、まろがやうに実法じほうなる痴者しれものの物語はありや。いみじく気遠きものの姫君も、御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」
と、さし寄りて聞こえたまへば、顔を引き入れて、
「さらずとも、かく珍かなることは、世語りにこそはなりはべりぬべかめれ」
とのたまへば、
「珍かにやおぼえたまふ。げにこそ、またなき心地すれ」
とて、寄りゐたまへるさま、いとあざれたり。
思ひあまり昔の跡を訪ぬれど
親に背ける子ぞたぐひなき

不孝なるは、仏の道にもいみじくこそ言ひたれ」
とのたまへど、顔ももたげたまはねば、御髪をかきやりつつ、いみじく怨みたまへば、からうして、
古き跡を訪ぬれどげになかりけり
この世にかかる親の心は

と聞こえたまふも、心恥づかしければ、いといたくも乱れたまはず。
かくして、いかなるべき御ありさまならむ
「その人物の身の上も、ありのままに言い出すことはないでしょうが、良いことも悪いことも、世に生きた人の、見るに飽きず、聞くにもっと知りたい思いを、後の世に伝えておきたい節々を、心にめずに、言い出したものです。良いことばかりを言おうと、良いことを選び出して、また読者の気に入るように、悪さも珍しいことを集めて、それぞれ誇張するのは、世にありえない事ではない。
異朝では、やり方がわが国とは違いますが、同じ大和の国のことで、昔と今は違いもあり、深い浅いのけじめもありますので、一概に嘘と言い切ってしまうのも、実情にあわないでしょう。
仏が、尊い御心で説いて下さった御教えも、方便ということがあって、悟らない者には、経典のあちこちで教えが違うという疑いをだくでしょう。大乗経典の中に多いが、煎じ詰めれば、ひとつの趣旨で、悟りも迷いも、人の善悪とは程度の差なのです、同じこの世ですから。
よく言えば、すべて何事も空しくはないのだ」
と物語をその価値があるようにおっしゃった。
「さて、そんな昔物語の中に、わたしのように馬鹿正直な間抜けがいますか。ずいぶん人情味のない姫君でも、あなた程つれなくて空とぼけている人はいないでしょう。さあ、二人の珍しい物語を、世間に伝えさせましょう」
と源氏が寄って仰せになると、玉鬘は顔を襟に引き入れ、
「そうしなくても、こんなありえないことは、自然と世間に知れるでしょう」
と言えば、
「ありえないこととお思いですか。わたしは本気ですよ」
と源氏は、寄って行く様子は、ふざけている。
(源氏)「思い余って昔の物語を捜しましたが
親に背いた子の例がありません
不孝は、仏の道にも厳しく戒めています」
と仰せになると、玉鬘は顔ももたげないので、髪を撫でながら恨み言を強く言うと、ようやく、
(玉鬘)「昔の物語を訪ねてもございません
この世にこんな親がいるなんて」
と玉鬘の返歌に、源氏は恥ずかしくなって、乱れたこともしなかった。
これから、二人はどうなるのでしょう。
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25.12 源氏、紫の上に物語について述べる
紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて、物語は捨てがたく思したり。『くまのの物語』の絵にてあるを、
「いとよく描きたる絵かな」
とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝したまへるところを、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。
「かかる童どちだに、いかにされたりけり。まろこそ、なほ例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」
と聞こえ出でたまへり。げに、たぐひ多からぬことどもは、好み集めたまへりけりかし。
「姫君の御前にて、この世馴れたる物語など、な読み聞かせたまひそ。みそか心つきたるものの娘などは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと、見馴れたまはむぞ、ゆゆしきや」
とのたまふも、こよなしと、対の御方聞きたまはば、心置きたまひつべくなむ。
上、
心浅げなる人まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。『宇津保』の藤原君の女こそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちなかめれど、すくよかに言ひ出でたることもしわざも、女しきところなかめるぞ、一様なめる」
とのたまへば、
「うつつの人も、さぞあるべかめる。人びとしく立てたる趣きことにて、よきほどにかまへぬや。よしなからぬ親の、心とどめてほしたてたる人の、子めかしきを生けるしるしにて、後れたること多かるは、何わざしてかしづきしぞと、親のしわざさへ思ひやらるるこそ、いとほしけれ。
げに、さいへど、その人のけはひよと見えたるは、かひあり、おもだたしかし。言葉の限りまばゆくほめおきたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることのなかに、げにと見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。
すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ」
など、ただ「この姫君の、点つかれたまふまじく」と、よろづに思しのたまふ。
継母の腹ぎたなき昔物語も多かるを、このころ、「心見えに心づきなし」と思せば、いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描かせたまひける。
紫の上も、明石の姫君に必要なものとして、物語は必須だと思っていた。『くまのの物語』の絵物語を、
「よく描けてますね」
と源氏は ご覧になる。小さい女君が、無心に昼寝しているところを、昔の自分に思い合わせて、見ている。
「こんな子ども同士でさえ、どんなにませていたことか。わたしこそ、先例にもなるほど、おっとりしていました」
と源氏は仰せになる。まことに、先例のない珍しい恋をたくさんやって来たものです。
「姫君の前では、この色恋沙汰の物語は、読み聞かせてはいけません。内緒事をするようになった物語の娘が、素敵だとは思わぬまでも、このようなことが世にあるのだと、見馴れてしまうのが問題です」
と仰せになり、雲泥の差だ、対の御方(玉鬘)が聞けば、心証を悪くするだろう。
紫の上は、
「浅はかにも物語の人物を真似る人は、見るに堪えません。『宇津保物語』の藤原君の娘こそ、落ち着いてしっかりした人で、過ちもないが、愛想のない歌を返すやり方も、女らしいところがなく、人並のものです」
とおっしゃると、
「実際の人もそのようなものです。人それぞれの考えが違うので、ほど良い程度ということを知らないのだ。立派な親が、注意して育てた娘が、子供らしいのが唯一の取柄で、劣ったことが多いと、どんな育て方をしたのかと、親のやり方さえ思いやられるのは、まことに残念だ。
そうは言っても、その人なりの気配だと見えるときは、甲斐があり、自慢もしたいだろう。女房たちが言葉を尽くして誉めたたえ、実際娘のすることが、誉め言葉のとおりだと思われないのは、実にがっかりさせられる。
すべて、程度の低い者には、人を誉めさせてはいけない」
など、ただ「この姫君が非難されない様に」と、事につけて思うのであった。
継母の意地悪い昔物語も多いので、このころは「意地の悪さが見えて好かない」と思い、じっくり物語を選んで、書き写させて、絵も描かせた。
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25.13 源氏、子息夕霧を思う
中将の君を、こなたには気遠くもてなしきこえたまへれど、姫君の御方には、さしもさし放ちきこえたまはずならはしたまふ。
「わが世のほどは、とてもかくても同じことなれど、なからむ世を思ひやるに、なほ見つき、思ひしみぬることどもこそ、取り分きてはおぼゆべけれ」
とて、南面の御簾の内は許したまへり。台盤所、女房のなかは許したまはず。あまたおはせぬ御仲らひにて、いとやむごとなくかしづききこえたまへり。
おほかたの心もちゐなども、いとものものしく、まめやかにものしたまふ君なれば、うしろやすく思し譲れり。まだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人の、もろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくしたまひて、折々にうちしほたれたまひけり。
さもありぬべきあたりには、はかなしごとものたまひ触るるはあまたあれど頼みかくべくもしなさずさる方になどかは見ざらむと、心とまりぬべきをも、強ひてなほざりごとにしなしてなほ「かの、緑の袖を見え直してしがな」と思ふ心のみぞ、やむごとなき節にはとまりける
あながちになどかかづらひまどはば倒ふるる方に許したまひもしつべかめれど「つらしと思ひし折々、いかで人にもことわらせたてまつらむ」と思ひおきし 、忘れがたくて、正身ばかりには、おろかならぬあはれを尽くし見せておほかたにはられ思へらず
兄の君達なども、なまねたしなどのみ思ふこと多かり。対の姫君の御ありさまを、右中将は、いと深く思ひしみて、言ひ寄るたよりもいとはかなければ、この君をぞかこち寄りけれど、
「人の上にては、もどかしきわざなりけり」
と、つれなく応へてぞものしたまひける。昔の父大臣たちの御仲らひに似たり。
中将の夕霧を、紫の上の所には近づけないように注意していたが、明石の姫君の所には、遠ざけることなく出入りさせている。
「わたしが生きている間は、どちらにしても同じことだが、死んだあのことを思いやるに、普段よく会って愛着がある方が、親しみもわくことだろう」
とて、南面の御簾の内への出入りは許していた。女房たちの詰所の台盤所も許していない。たくさんいない子どもなので、たいへん大切にお育てになっている。
夕霧は、何事につけ物の考え方なども、たいへん思慮深く、真面目一方なので、安心して姫の相手を任せている。まだ幼い雛遊びを好む様子がうかがえるので、雲居の雁と一緒に遊び過ごした年月がまず思い出され、雛遊びをしているときなど、よく相手などして、時折は涙ぐんでいた。
気心の知れた女房のいる所では、軽口をたたいたりする者もたくさんいたが、本気にはさせない。愛人として世話してもいいと、気に入った女も、強いて冗談めかして、今でも「あの緑の袖で侮蔑されたのを、見返してやりたい」と思う心ばかりが、重大事なのだった。
夕霧がしつこくつきまとって嘆いて見せれば、内大臣も根負けして許してくれるかも知れないが、「仲をさかれてつらかった折々に、内大臣に非を分からせる」と決心したことを忘れず、雲居の雁には文を欠かさず思いを告げていて、表向きはいらいらしたところを見せなかった。
雲居の雁の兄たちも、夕霧を小憎らしいと思うことがおおかった。玉鬘のことを、右大将の柏木は深く心にかけて、文の仲介者も頼りないので、夕霧を頼りにしたけれど、
「人のことは、なんともうまくいかないね」
とつれなく応じるのだった。昔の父大臣たちの間柄に似ていますね。
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25.14 内大臣、娘たちを思う
内の大臣は、御子ども腹々いと多かるに、その生ひ出でたるおぼえ、人柄に従ひつつ、心にまかせたるやうなるおぼえ、御勢にて、皆なし立てたまふ。むすめはあまたもおはせぬを、 女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ姫君も、かくこと違ふさまにてものしたまへば、いと口惜しと思す。
かの撫子を忘れたまはず、ものの折にも語り出でたまひしことなれば、
「いかになりにけむ。ものはかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行方知らずなりにたること。すべて女子といはむものなむ、いかにもいかにも目放つまじかりける。さかしらにわが子と言ひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。とてもかくても、聞こえ出で来ば」
と、あはれに思しわたる。君達にも、
「もし、さやうなる名のりする人あらば、耳とどめよ。心のすさびにまかせて、さるまじきことも多かりしなかに、これは、いとしか、おしなべての際にも思はざりし人の、はかなきもの倦むじをして、かく少なかりけるもののくさはひ一つを、失ひたることの口惜しきこと」
と、常にのたまひ出づ。中ごろなどはさしもあらず、うち忘れたまひけるを、人の、さまざまにつけて、女子かしづきたまへるたぐひどもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く、本意なく思すなりけり。
夢見たまひて、いとよく合はする者召して、合はせたまひけるに、
もし、年ごろ御心に知られたまはぬ御子を、人のものになして、聞こしめし出づることや
と聞こえたりければ、
「女子の人の子になることは、をさをさなしかし。いかなることにかあらむ」
など、このころぞ、思しのたまふべかめる。
内大臣は、夫人たちに子供が多かったが、その母方の身分や人柄に応じて、それぞれが思い通りに出世して、権勢のままに、皆お引き立てになった。娘はたくさんはいなかったが、女御は、思った通りには立后できなかったし、姫君もこうして思惑と違ってしまったので、残念な思いであった。
あの夕顔の子を忘れることなく、何かの折につけ話をするのであったが、
「どうなっただろうか。頼りない母親の料簡のために、かわいらしい娘を行方不明にしてしまった。すべて女の子というものは、決して目を離してはならないものだ。勝手にわたしの子だと言って、みじめな境遇に落ちぶれているのではないか。ともかむも、名乗り出てくれさえすれば」
と、気にかけている。息子たちにも、
「もしそのように名のる人があれば、聞き逃すな。わたしも若い頃は好き心のままに、感心しない女出入りもたくさんしたが、この母親は、ごく普通の並の女とは思わなかったが、つまらぬことで悲観して姿を隠したので、惜しいことに元々少ない大事なものを失ってしまった」
といつも言っていた。その後しばらくは忘れていたようだが、源氏などがいろいろな機会に、女子を大事に育てている様子を聞くにつけ、自分の思いがかなわないのが、残念で情けなく思った。
夢を見て、よく解くというものを召して、その意味を問わせると、
「もしかして、 長年忘れていた子が、人の養女になっているとお聞きになったことはございませんか」
と夢占いが言ったので、
「女子が人の養女になることはめったにないことだ。一体どうしたことだろう」
などと、この頃は言っておられるようだ。
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読書期間2019年7月8日 - 2019年7月27日