源氏物語 26 常夏 とこなつ

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原文 現代文
26.1 六条院釣殿の納涼
いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。
さうざうしくねぶたかりつる、折よくものしたまへるかな」
とて、大御酒おおみき参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。
風はいとよく吹けども、日のどかに曇りなき空の、西日になるほど、蝉の声などもいと苦しげに聞こゆれば、
「水の上無徳なる今日の暑かはしさかな。無礼の罪は許されなむや」
とて、寄り臥したまへり。
「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに、暮らしがたきこそ苦しけれ。宮仕へする若き人びと堪へがたからむな。帯も解かぬほどよ。ここにてだにうち乱れ、このころ世にあらむことの、すこし珍しく、ねぶたさ覚めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁びたる心地して、世間のこともおぼつかなしや」
などのたまへど、珍しきこととて、うち出で聞こえむ物語もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、皆いと涼しき高欄に、背中押しつつさぶらひたまふ。
たいへん暑い日、東の釣殿に出て、夕涼みをする。夕霧もやってきた。親しい殿上人もたくさん参上して、桂川で取れた鮎、近い川のはぜの類を、御前にて調理して差し出す。例の内大臣の息子たちも、夕霧がいる所を尋ねて参上していた。
「退屈で、眠かったのだ、折りよくわざわざ来てくれたな」
とて、酒をくみ、氷水を召し上がり、水飯をそれぞれはしゃぎながら食べた。
風はよく吹いていたが、陽はのどかで曇りない空の、西日になって、蝉の声も堪えがたく聞こえて、
「水の上も効果のない今日の暑さだな。ご無礼は許してもらえようか」
とて横になった。
「まったくこう暑くては、管弦の遊びもする気がしないし、日を過ごすのがつらいね。宮仕えする若い人びともつらいだろう。帯も紐も解かずではな。ここでは遠慮はいらない、この頃世間で起きたことで少し珍しく、目も覚めるような話はないか。何となく翁びた気持ちがして、世間のこともおぼつかない」
と源氏が仰せになるが、珍しいことと言っても話すにたる物語などもおぼえていないので、皆かしこまって、涼しい高欄に背中を押し付けている。
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26.2 近江の君の噂
いかで聞きしことぞや、大臣のほか腹の娘尋ね出でて、かしづきたまふなるとまねぶ人ありしかば、まことにや
と、弁少将に問ひたまへば、
「ことことしく、さまで言ひなすべきことにもはべらざりけるを。この春のころほひ、夢語りしたまひけるを、ほの聞き伝へはべりける女の、『われなむかこつべきことある』と、名のり出ではべりけるを、中将の朝臣なむ聞きつけて、『まことにさやうに触ればひぬべきしるしやある』と、尋ねとぶらひはべりける。詳しきさまは、え知りはべらず。げに、このころ珍しき世語りになむ、人びともしはべるなる。かやうのことにぞ、人のため、おのづから家損なるわざにはべりけれ」
と聞こゆ。「まことなりけり」と思して、
「いと多かめる列に、離れたらむ後るる雁を、強ひて尋ねたまふが、ふくつけきぞ。いとともしきに、さやうならむもののくさはひ、見出でまほしけれど、名のりももの憂き際とや思ふらむ、さらにこそ聞こえね。さても、もて離れたることにはあらじらうがはしくとかく紛れたまふめりしほどに、底清く澄まぬ水にやどる月は、曇りなきやうのいかでかあらむ」
と、ほほ笑みてのたまふ。中将の君も、詳しく聞きたまふことなれば、えしもまめだたず。 少将と藤侍従とは、いとからしと思ひたり。
朝臣や、さやうの落葉をだに拾へ。人悪ろき名の後の世に残らむよりは、同じかざしにて慰めむに、なでふことかあらむ」
と、弄じたまふやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲の、昔よりさすがにひまありける。まいて、中将をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさを思しあまりて、「なまねたしとも、漏り聞きたまへかし」と思すなりけり。
かく聞きたまふにつけても、
「対の姫君を見せたらむ時、またあなづらはしからぬ方にもてなされなむはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる人にて、善し悪しきけぢめも、けざやかにもてはやし、またもて消ち軽むることも、人に異なる大臣なれば、いかにものしと思ふらむ。おぼえぬさまにて、この君をさし出でたらむに、え軽くは思さじ。いときびしくもてなしてむ」など思す。
「どうして聞いたのか、内大臣が妾腹の娘を尋ね出して、大事にしていると言う人がいたのだが、それは本当か」
と弁少将に問うと、
「大げさに言い出すことでもありませんが、この春の頃、父が夢見のことを語ったことがございまして、それを人伝てに聞いたある女が、『わたしにはお訴え申すべき仔細があります』と、名乗りでたので、柏木が聞きつけて、『本当にそう言いたてる証拠があるのだろうか』と尋ねて行きました。詳しいことは知りません。実際、この頃の珍しい世間話として、人々が噂し合っているようです。このようなことは、父のために、自然と家名に傷がつくことでございます」
と言う。「ほんとうなのか」と思って、
「数の多い子の群れから離れた子まで、あえて探しあてるのは、欲深いですな。わたしは子どもも少ないので、そのような娘を見つけ出したいけれど、名乗り出るに値しない家門と思っているのか、そのような話もない。それにしても、お門違いということでもないさ。昔はやたらにお忍びで出かけていたから、底が清くない水に映る月は、どうして美しい月影になろうか」
とにやにやしている。夕霧も詳しく聞いていたので、真面目な顔もできずついにやりとする。弁の少将と藤侍従も、きつい批評だと思う。
「夕霧、そのような落し種でも拾ったらどうだ。体裁の悪い名を後世に残すよりは、同じ姉妹で満足して何の悪いことがあろうか」
と源氏はからかった。源氏と内大臣は、表面は仲が良さそうだが、昔からしっくりしないところがあって、まして、夕霧をみじめにさせ、嘆かせている内大臣の無情さには腹を据えかねて、「わたしの憎まれ口を聞いてくやしがるがよい」と思う。
源氏は、こういう話を聞くにつけても、
「玉鬘を見せたら、これには大切な扱いをされることであろうよ。内大臣は、性格がはっきりして、けじめをつけたがる人なので、善し悪しののけじめや、誉めたりけなしたりするにも、人とは違って激しいので、どんなに腹立たしく思うであろぅ。予期せぬときに、この君を差し出したら、軽く思うことはないだろう。きびしく育てなければ」と源氏は思うのだった。
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26.3 源氏、玉鬘を訪う
夕つけゆく風、いと涼しくて、帰り憂く若き人びとは思ひたり。
「心やすくうち休み涼まむや。やうやうかやうの中に、厭はれぬべき齢にもなりにけりや」
とて、西の対に渡りたまへば、君達、皆御送りに参りたまふ。
たそかれ時のおぼおぼしきに、同じ直衣どもなれば、何ともわきまへられぬに、大臣、姫君を、
「すこし外出でたまへ」
とて、忍びて、
「少将、侍従など率てまうで来たり。いと翔けり来まほしげに思へるを、中将の、いと実法の人にて率て来ぬ、無心なめりかし
この人びとは、皆思ふ心なきならじ。なほなほしき際をだに、窓の内なるほどは、ほどに従ひて、ゆかしく思ふべかめるわざなれば、この家のおぼえ、うちうちのくだくだしきほどよりはいと世に過ぎて、ことことしくなむ言ひ思ひなすべかめるかたがたものすめれど、さすがに人の好きごと言ひ寄らむにつきなしかし
かくてものしたまふは、いかでさやうならむ人のけしきの、深さ浅さをも見むなど、さうざうしきままに願ひ思ひしを、本意なむ叶ふ心地しける」
など、ささめきつつ聞こえたまふ。
御前に、乱れがはしき前栽なども植ゑさせたまはず、撫子の色をととのへたる、唐の、大和の、ませいとなつかしく結ひなして、咲き乱れたる夕ばえ、いみじく見ゆ。皆、立ち寄りて、心のままにも折り取らぬを、飽かず思ひつつやすらふ。
有職どもなりな。心もちゐなども、とりどりにつけてこそめやすけれ。右の中将は、ましてすこし静まりて、心恥づかしき気まさりたり。いかにぞや、おとづれ聞こゆや。はしたなくも、なさし放ちたまひそ」
などのたまふ。
中将の君は、かくよきなかに、すぐれてをかしげになまめきたまへり。
「中将を厭ひたまふこそ、大臣は本意なけれ。交じりものなく、きらきらしかめるなかに、大君だつ筋にて、かたくななりとにや
とのたまへば、
来まさば、といふ人もはべりけるを
と聞こえたまふ。
「いで、その御肴もてはやされむさまは願はしからず。ただ、幼きどちの結びおきけむ心も解けず、年月、隔てたまふ心むけのつらきなり。まだ下臈なり、世の聞き耳軽しと思はれば、知らず顔にて、ここに任せたまへらむに、うしろめたくはありなましや」
など、うめきたまふ。「さは、かかる御心の隔てある御仲なりけり」と聞きたまふにも、親に知られたてまつらむことのいつとなきは、あはれにいぶせく思す。
暮れゆくままに吹く風が涼しく、若い人々は帰りたがらない。
「気楽にくつろいで涼んでください。そろそろ若い人たちの中で、嫌われる齢になりました」
とて、西の対へ渡ろうとすると、君達、皆送りについてくる。
たそがれ時の薄暗いなかで、同じ直衣を着ているので、だれがだれか見分けられない中で、大臣は姫君を、
「すこし外に出なさい」
と言って、ひそひそと、
「弁少将、藤侍従をお連れしましたよ。彼らは飛んででも来たかったろうが、夕霧がきまじめで連れてこないのは、無風流だ。
この人たちは、皆恋心がないのではない。身分の低い家でも、未婚のときには、それぞれに応じて、心惹かれるものなので、この家の評判は、内実はごたごたした割には、世間は過分に、大げさに言いまた思っているのだろう。この邸に女君たちはいらっしゃるが、さすがに恋心を語るには似つかわしくない。
こうしてあなたがこの邸におられる間、どうかしてそんな若い人々の思いの深浅を見ようと、退屈紛れに思いましたので、本意に思います」
などと、玉鬘に言うのだった。
前庭には雑多な前栽などは植えずに、撫子の色の美しいのばかりそろえて、唐の、大和の撫子が、美しく結われたまがきに咲き乱れる夕暮れはすばらしかった。皆が立ち寄って、どうして心のままに手折っていかないのだろうと、物足りなく思う。
「皆見識のある連中だ。心構えなども、それぞれ立派なものだ。柏木は、もう少し落ち着きがあって、人を恥ずかしく思わせる気品がある。文を返しているか。面目をつぶすようなことはしないように」
などと仰せになる。
夕霧は、そうした立派な連中の中にいても、際立って品位があった。
「夕霧を厭うなんて、大臣も困ったお方だ。藤原一門の血筋が続いて繁栄しているなかに、皇孫が混じるのが嫌なのか」
と源氏が仰せになると、
「ぜひおいで下さいという人もおられるのに」
と玉鬘が言う。
「いや、そんな御肴で歓迎されることは願っていない。ただ幼い同士が心結んだまま、年月を隔てているやり方が薄情なのだ。まだ身分が低い、世間から軽く見られているとお思いなら、知らん顔をしてわたしに任せてくれたら、心配ないようにするのに」
などと、嘆息する。「さて、こんなに隔てあるお二人の仲なのか」聞いていて、実の親に知られるのはいつのことになるのか、玉鬘はすっかり悲しくなるのだった。
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26.4 源氏、玉鬘と和琴について語る
月もなきころなれば、燈籠に御殿油参れり
「なほ、気近くて暑かはしや。篝火こそよけれ」
とて、人召して、
「篝火の台一つ、こなたに」
と召す。をかしげなる和琴のある、引き寄せたまひて、掻き鳴らしたまへば、律にいとよく調べられたり。音もいとよく鳴れば、すこし弾きたまひて、
「かやうのことは御心に入らぬ筋にやと、月ごろ思ひおとしきこえけるかな。秋の夜の月影涼しきほど、いと奥深くはあらで、虫の声に掻き鳴らし合はせたるほど、気近く今めかしきものの音なり。ことことしき調べ、もてなししどけなしや
このものよ、さながら多くの遊び物の音、拍子を調へとりたるなむいとかしこき。大和琴とはかなく見せて、際もなくしおきたることなり。広く異国のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる。
同じくは、心とどめて物などに掻き合はせて習ひたまへ。深き心とて、何ばかりもあらずながら、またまことに弾き得ることはかたきにやあらむ、ただ今は、この内大臣になずらふ人なしかし。
ただはかなき同じ菅掻きの音に、よろづのものの音、籠もり通ひて、いふかたもなくこそ、響きのぼれ」
と語りたまへば、ほのぼの心得て、いかでと思すことなれば、いとどいぶかしくて
「このわたりにて、さりぬべき御遊びの折など、聞きはべりなむや。あやしき山賤などのなかにも、まねぶものあまたはべるなることなれば、おしなべて心やすくやとこそ思ひたまへつれ。さは、すぐれたるは、さまことにやはべらむ」
と、ゆかしげに、切に心に入れて思ひたまへれば、
「さかし。あづまとぞ名も立ち下りたるやうなれど、御前の御遊びにも、まづ書司ふみのつかさを召すは、人の国は知らず、ここにはこれをものの親としたるにこそあめれ。
そのなかにも、親としつべき御手より弾き取りたまへらむは、心ことなりなむかし。ここになども、さるべからむ折にはものしたまひなむを、この琴に、手惜しまずなど、あきらかに掻き鳴らしたまはむことやかたからむ。ものの上手は、いづれの道も心やすからずのみぞあめる。
さりとも、つひには聞きたまひてむかし」
とて、調べすこし弾きたまふ。ことつひいと二なく、今めかしくをかし。「これにもまされる音や出づらむ」と、親の御ゆかしさたち添ひて、このことにてさへ、「いかならむ世に、さてうちとけ弾きたまはむを聞かむ」など、思ひゐたまへり。
貫河ぬきがわ瀬々せぜのやはらた」と、いとなつかしく謡ひたまふ。「親避くるつま」は、すこしうち笑ひつつ、わざともなく掻きなしたまひたる菅掻きのほど、いひ知らずおもしろく聞こゆ。
「いで、弾きたまへ。才は人になむ恥ぢぬ「想夫恋」ばかりこそ、心のうちに思ひて、紛らはす人もありけめ、おもなくて、かれこれに合はせつるなむよき」
と、切に聞こえたまへど、さる田舎の隈にて、ほのかに京人と名のりける、古大君女教へきこえければ、ひがことにもやとつつましくて、手触れたまはず。
「しばしも弾きたまはなむ。聞き取ることもや」と心もとなきに、この御琴によりぞ、近くゐざり寄りて、
「いかなる風の吹き添ひて、かくは響きはべるぞとよ」
とて、うち傾きたまへるさま、火影にいとうつくしげなり。笑ひたまひて、
「耳固からぬ人のためには、身にしむ風も吹き添ふかし」
とて、押しやりたまふ。いと心やまし
月もない頃なので、吊るし燈籠に明かりをともした。
「近すぎて、暑苦しいな。篝火がいい」
とて人を呼んで、
「篝火の台をひとつ持ってきてくれ」
と持ってこさせた。優雅な和琴があったので、引き寄せて掻き鳴らせば、よく律の調子に合わされていた。音もよく鳴るので、少しばかりかき鳴らしてから、
「このようなことは好みではないのかと、思っていました。秋の夜の月影が涼しい頃、部屋の奥ではなく、虫の声に合わせられるほどの所で弾けば、親しみもあり今風の音がでます。改まった演奏には、和琴は扱いもきちんと決まらないものです。
この楽器は、多くの楽器の音や拍子に合わせられるのがいいのです。大和琴などと軽く言っているが、自在に鳴るよう作ってあります。広く異国のことを知らぬ女のためと思います。
どうせ習うのなら、他の楽器に合わせて習いなさい。難しい手といってもなに程のこともないのですが、ほんとうにうまく弾くのは難しいです、現在はこの内大臣に勝る人はいますまい。
ただちょとした同じ菅掻すががきの音にしても、よろずのものの音が籠っていて、いうに言われ響きがあります」
と源氏が語ると、少しは心得ていて、上達したいと思い、もっとお聞きしたくて、
「このお邸で管弦の遊びがあるときなどは、聞くことができましょうか。卑しい山賎などのなかにも、学ぶものがたくさんいるということなので、 おしなべて易しいと思っておりました。では、上手の人の演奏は、格別なものでしょうね」
と、聞きたそうに、切に心から思ったので、
「そうですよ。あづまと言って名も田舎びていますが、御前の遊びにも、まず書司を呼ぶのは、他国はいざ知らず、この国は和琴をものの親としたからでしょう。
そのなかでも第一人者の演奏からじかに学び取られたら、すばらしいことでしょう。ここにも何か事あるときはお越しになるでしょうが、この琴を技を尽くして、全力で弾き鳴らす機会などは滅多にないでしょう。名人といわれた人は、どの道でも極めるのは難しいものです。
しかし、いずれはお聞きできるでしょう」
とて、曲を少し弾いた。比類なく、今風で、すばらしい。玉鬘は「内大臣ならもっとすばらしい音でしょう」と、親に会いたい気持ちが加わり、和琴につけても、「いつになったら、打ち解けて琴を弾くのを聞けるだろう」などと、思った。
「貫河の瀬々のやはらた」と源氏は親しみをこめて謡った。「親避くるつま」は、少し笑いながら、格別気取らずに平然とした様子で弾いているのは、まことに趣があった。
「さあ、弾いてごらん。芸事は恥ずかしがっては上達しません。しかし「想夫恋」は、内心弾きたくても、隠す人がいますが、他の曲は誰とでも合奏するのがよい」
としきりにお勧めになるが、あの片田舎で何やら京人と名のる皇族筋の老女に教えてもらったので、間違いがあってはと気が引けて、手を触れることもしない。
「もう少し弾いてほしい。耳で覚えることもできるかも」とおぼつかず、この琴につけて、近くへ寄って、
「どんな風にのって、こんなに響くのでしょうか」
と、傾いている様は、火影に美しく映えるのだった。源氏は笑って、
「耳の聡い人には、身にしみる風が吹くのです」
と仰せになって、琴を押しやった。もっと聞いていたい。
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26.5 源氏、玉鬘と和歌を唱和
人びと近くさぶらへば、例の戯れごともえ聞こえたまはで、
「撫子を飽かでも、この人びとの立ち去りぬるかな。いかで、大臣にも、この花園見せたてまつらむ。世もいと常なきをと思ふに、いにしへも、もののついでに語り出でたまへりしも、ただ今のこととぞおぼゆる」
とて、すこしのたまひ出でたるにも、いとあはれなり。
撫子のとこなつかしき色を見ば
もとの垣根を人や尋ねむ

このことのわづらはしさにこそ、繭ごもりも心苦しう思ひきこゆれ」
とのたまふ。君、うち泣きて、
山賤の垣ほに生ひし撫子の
もとの根ざしを誰れか尋ねむ

はかなげに聞こえないたまへるさま、げにいとなつかしく若やかなり。
「来ざらましかば」
とうち誦じたまひて、いとどしき御心は、苦しきまで、なほえ忍び果つまじく思さる。
女房たちが近くにいるので、例の冗談を言うこともなく、
「撫子を十分堪能せずに、人々は立ち去るのか。どうかして内大臣にもこの花園を見せてやりたい。世は無常と言うが、昔、内大臣がふとあなたのことを語ったのも、昨日のことのようだ」
と少し語りだしたのも、感無量であった。
(源氏)「撫子のような美しいあなたを見たら
母上を尋ねたくなるでしょう
それが面倒で、あなたを隠しているのだが、心苦しく思っている」
と仰せになる。玉鬘は泣いて、
(玉鬘)「山賤の垣根に生いた撫子の
母のことなど誰が尋ねてくれるでしょうか」
はかなげにお答えする様子は、いかにも親しみやすく若々しかった。
「もしここに来なかったなら」
と源氏は口ずさむのだったが、気持ちはひどく苦しく、堪えがたかった。
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26.6 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩
渡りたまふことも、あまりうちしきり、人の見たてまつり咎むべきほどは、心の鬼に思しとどめて、さるべきことをし出でて、御文の通はぬ折なし。ただこの御ことのみ、明け暮れ御心にはかかりたり。
「なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの思ひをすらむ。さ思はじとて、心のままにもあらば、世の人のそしり言はむことの軽々しさ、わがためをばさるものにて、この人の御ためいとほしかるべし。限りなき心ざしといふとも、春の上の御おぼえに並ぶばかりは、わが心ながらえあるまじく」思し知りたり。「さて、その劣りの列にては、何ばかりかはあらむ。 わが身ひとつこそ、人よりは異なれ見む人のあまたが中に、かかづらはむ末にては、何のおぼえかはたけからむ。 異なることなき納言のうごんの際の、二心なくて思はむには、劣りぬべきことぞ
と、みづから思し知るに、いといとほしくて、「宮、大将などにや許してまし。さてもて離れ、いざなひ取りては、思ひも絶えなむや。いふかひなきにて、さもしてむ」と思す折もあり。
されど、渡りたまひて、御容貌を見たまひ、今は御琴教へたてまつりたまふにさへことづけて、近やかに馴れ寄りたまふ。
姫君も、初めこそむくつけく、うたてとも思ひたまひしか、「かくても、なだらかに、うしろめたき御心はあらざりけり」と、やうやう目馴れて、いとしも疎みきこえたまはず、さるべき御応へも、馴れ馴れしからぬほどに聞こえかはしなどして、見るままにいと愛敬づき、薫りまさりたまへれば、なほさてもえ過ぐしやるまじく思し返す。
さはまた、さて、ここながらかしづき据ゑて、さるべき折々に、はかなくうち忍び、ものをも聞こえて慰みなむやかくまだ世馴れぬほどの、わづらはしさにこそ、心苦しくはありけれおのづから関守強くとも、ものの心知りそめいとほしき思ひなくて、わが心も思ひ入りなば、しげくとも障はらじかし」と思し寄る、 いとけしからぬことなりや
いよいよ心やすからず、思ひわたらむ苦しからむ。なのめに思ひ過ぐさむことの、とざまかくざまにもかたきぞ、世づかずむつかしき御語らひなりける。
玉鬘のところに通うことが度重なって、人に不審に思われないよう、しっかり自制して、用事を作り出し、文を途切れなく通わせていた。ただこのことばかりを、明け暮れ心にかかるのだった。
「どうしてこう、余計な恋をして、あれこれ悩むのだろう。悩まずに、思いのままに振舞えば、世間の人のそしりを受ける軽率さ、自分の評判は措くとして、この人がかわいそうだ。限りなく愛すると言っても、紫の上の寵愛に並ぶほどのことは、自分ながら、ありえない」と承知している。「さて、その劣った妻の座では、大したものでもあるまい。わたしの身分こそ太政大臣で別格だが、女君がたくさんいる中での末席では、世間体も大したことではなかろう。ざらにいる納言程度の身分の者が、玉鬘ひとりを後生大事にするのには及ばないだろう」
と、自分で思い知っているので、玉鬘が可哀そうになり、「蛍兵部卿や髯黒の大将に結婚を許そうか、離れて他家へ行ったら、思いも絶えるだろう、成り行きだ、そうしよう」と思うこともあった。
しかし、通って行って、容貌を見てしまうと、今は琴を教えることにかこつけて、近くに寄るのであった。
姫君は、初めはとても嫌だと思っていたが、「口で言っても、穏やかで、心配はないのだ」と段々馴れてきて、それほど嫌がらなくなり、その折の返歌も、馴れ馴れしくならぬ程度に交わしていたので、会うたびに可愛らしくなり、美しさが増しているので、やはりそうやって結婚させてはいけないと思い返すのだった。
「さてまた、ここで大切に世話をして婿を迎え、夫のいない折々に忍んで、自分の気持ちを告げて心を晴らそうか。まだ男を知らぬ娘に策を弄するのは、気の毒ではあるが、夫の警戒が強くなっても、男女の情が分かるようになり、わたしがすっかりその気になったら、人目がしげくても気にならないだろう」と、実にけしからんことを考えている。
そうなったらいよいよ気持ちが騒ぎ、思いがつのるであろう。適当に思い過ごすことが、とにかく難しいので、あまり例のない二人の間柄である。
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26.7 玉鬘の噂
内の大殿は、この今の御むすめのことを「殿の人も許さず、軽み言ひ、世にもほきたることと誹りきこゆ」と、聞きたまふに少将の、ことのついでに、太政大臣の「さることや」ととぶらひたまひしこと、語りきこゆれば
「さかし。そこにこそは、年ごろ、音にも聞こえぬ山賤の子迎へ取りて、ものめかしたつれ。をさをさ人の上もどきたまはぬ大臣の、このわたりのことは、耳とどめてぞおとしめたまふや。これぞ、おぼえある心地しける
とのたまふ。少将の、
「かの西の対に据ゑたまへる人は、いとこともなきけはひ見ゆるわたりになむはべるなる。兵部卿宮など、いたう心とどめてのたまひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなむ、人びと推し量りはべめる」
と申したまへば、
「いで、それは、かの大臣の御女と思ふばかりのおぼえのいといみじきぞ。人の心、皆さこそある世なめれ。かならずさしもすぐれじ。人びとしきほどならば、年ごろ聞こえなまし。
あたら、大臣の、塵もつかず、この世には過ぎたまへる御身のおぼえありさまに、おもだたしき腹に、女かしづきて、げに疵なからむと、思ひやりめでたきがものしたまはぬは。
おほかたの、子の少なくて、心もとなきなめりかし。劣り腹なれど、明石の御許おもとの産み出でたるはしも、さる世になき宿世にて、あるやうあらむとおぼゆかし。
その今姫君は、ようせずは、実の御子にもあらじかし。さすがにいとけしきあるところつきたまへる人にて、もてないたまふならむ」
と、言ひおとしたまふ。
「さて、いかが定めらるなる。親王こそまつはし得たまはむ。もとより取り分きて御仲よし、人柄も警策なる御あはひどもならむかし
などのたまひては、なほ、姫君の御こと、飽かず口惜し。「かやうに、心にくくもてなして、いかにしなさむなど、やすからずいぶかしがらせましものを」とねたければ、位さばかりと見ざらむ限りは、許しがたく思すなりけり。
大臣なども、ねむごろに口入れかへさひたまはむにこそは、負くるやうにてもなびかめと思すに男方は、さらに焦られきこえたまはず、心やましくなむ
内大臣の頭中将は、今問題になっている娘の近江の君を、「邸の女房たちも姫を軽んじ、世間でも馬鹿にしているる」と、聞いていて、弁の少将がことのついでに、太政大臣が「あれは本当か」と聞いてきたことを話したので、
「そうだろう。わたしの邸では、聞いたこともない山賎の子を迎えて、大事に育てている。人の悪口を滅多に言わない大臣が、この邸のことになると耳聡く、悪く言うのだ。これは認められているだからこそなのだろう」
と内大臣はおっしゃる。弁の少将が、
「あの西の対におられる姫は、まったくこれといった欠点などもない方のようにお見受けします。兵部卿の宮などが、いたくご執心だそうです。並の美しさではあるまいと、人々は想像しております」
と申し上げれば、
「さあそれはどうかな、源氏の君の娘と思うから評判が高いのだ。世間の評判などみなそんなものだ。かならずしも優れているわけではないだろう。それなりの身分なら、もうすでに噂になっているはずだ。
惜しいことに、太政大臣には欠点がなく、この世では過分の評判を得ていながら、歴とした腹に子を生ませて、大事に育てて、疵もなく立派に成長させた娘がいないとは。
大方は、子が少なくて、心もとないのだろう。身分は劣るが、明石の君の生んだ子は、またとない幸運で、しかるべき御方になるであろう。
この姫君は、ひょっとすると実の御子ではないかもしれない。さすがに大臣は、癖のあるお方だから、姫君を大切に育てているのだろう」
と悪口を言うのだった。
「さて、誰に決めるのだろう。親王がわが物にするだろう。元々二人は取り分け仲が良いし、人柄もご立派で婿としても相応しい人です」
などとおっしゃって、なお、雲居の雁のことが、残念だった。「こうして大切に育てて、婿取りを誰にしようかなどと、気をもませてやりたかった」と妬ましく、夕霧の職位が不十分なうちは、二人の結婚は許さんと思うのだった。
源氏の方から、丁重に口入があれば、それに負けた風にして承諾しようとも思うが、夕霧は一向に焦る様子もなく、内大臣としては面白くなかった。
2019.8.4/ 2021.9.29/ 2023.4.30
26.8 内大臣、雲井雁を訪う
とかく思しめぐらすままに、ゆくりもなく軽らかにはひ渡りたまへり。少将も御供に参りたまふ。
姫君は、昼寝したまへるほどなり。うすものの単衣を着たまひて臥したまへるさま、暑かはしくは見えず、いとらうたげにささやかなり。透きたまへる肌つきなど、いとうつくしげなる手つきして、扇を持たまへりけるながら、かひなを枕にて、 うちやられたる御髪おぐしのほど、いと長くこちたくはあらねど、いとをかしき末つきなり。
人びとものの後に寄り臥しつつうち休みたれば、ふともおどろいたまはず。扇を鳴らしたまへるに、何心もなく見上げたまへるまみ、らうたげにて、つらつき赤めるも、親の御目にはうつくしくのみ見ゆ。
「うたた寝はいさめきこゆるものを。などか、いとものはかなきさまにては大殿籠もりける。人びとも近くさぶらはで、あやしや。
女は、身を常に心づかひして守りたらむなむよかるべき。心やすくうち捨てざまにもてなしたる、品なきことなり。
さりとて、いとさかしく身かためて、不動の陀羅尼誦みて、印つくりてゐたらむも憎し。うつつの人にもあまり気遠く、もの隔てがましきなど、気高きやうとても、人にくく、心うつくしくはあらぬわざなり
太政大臣の、后がねの姫君ならはしたまふなる教へは、よろづのことに通はしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそ掟てたまふなれ。
げに、さもあることなれど、人として、心にもするわざにも、立ててなびく方は方とあるものなれば、生ひ出でたまふさまあらむかし。この君の人となり、宮仕へに出だし立てたまはむ世のけしきこそ、いとゆかしけれ」
などのたまひて、
「思ふやうに見たてまつらむと思ひし筋は、難うなりにたる御身なれど、いかで人笑はれならずしなしたてまつらむとなむ、人の上のさまざまなるを聞くごとに、思ひ乱れはべる。
試み事にねむごろがらむ人のねぎごとに、なしばしなびきたまひそ。思ふさまはべり」
など、いとらうたしと思ひつつ聞こえたまふ。
昔は、何ごとも深くも思ひ知らで、なかなか、さしあたりていとほしかりしことの騒ぎにも、おもなくて見えたてまつりけるよ」と、今ぞ思ひ出づるに、胸ふたがりて、いみじく恥づかしき。
大宮よりも、常におぼつかなきことを恨みきこえたまへど、かくのたまふるがつつましくて、え渡り見たてまつりたまはず。
あれこれと思案の末に、内大臣は不意に雲居の雁の部屋に渡った。弁の少将もお供した。
姫君は、昼寝をしていた。うすものの単衣を着て臥している様子は、暑そうには見えず、たいそう可愛らしくて小柄であった。透き通った肌で、可愛らしい手つきで扇を持ったままで、肘枕をしていて、上の方にうちやられた髪は長くて豊かでとはいえなかったが、末の方はきれいに刈りそろえてあった。
女房たちも物の陰に寄り臥して休んでいたので、すぐにもお目覚めにならない。扇を鳴らすと、何心なく見上げる目元が、可愛らしく、すこし顔を赤らめているが、親の目には美しく見えた。
「うたた寝はいけないと言っておるのに。どうして無用心な格好で、寝ているのか。女房たちも側におかないで、何としたことだ。
女は、身を常に用心して守るようにしなければ。気を許して無造作な格好をしているのは、品のないことです。
かと言って、小ざかしく身を固めて、不動明王の陀羅尼をとなえて、印を作ったりするのも憎らしい。日頃接する人にもあまりに、奥へ引っ込んで、上品であろうとするのも、小憎らしく可愛げがない。
太政大臣が、后候補にと育てている姫君の教えは、諸芸に通じるようにして、特定の技に上達するをせず、物事を知らないでまごつくことのないようにと、ゆとりの教育を心がけているようだ。
なるほどもっともなことであるが、人として、心にも技にも、好きこのむ方面というものはあるものだから、成長されるにつれて人柄がでてくるでしょう。この姫君が成人して、入内する時の姫君の気色こを見たいものだ」
と内大臣はおっしゃって、
「わたしがこうしたいと思っていた筋は、むつかしくなったけれど、どうにかして人に笑われないように育てたい思い、様々な人の身の上を聞くたびに迷っているのだ。
ちょっと気を引こうとやさしくする人の言葉を、信じたらいけないよ。わたしに考えがある」
など、可愛らしいと思いながら言うのだった。
「昔は、深くも知らず、かえって、あの時の困った騒ぎの最中にも、臆面もなく父上にお会いしていた」と、雲居の雁は今思っても胸がふさがり、ひどく恥ずかしく思うのだった。
大宮からも、会いたいと常々恨み言をいってくるけれど、父君の仰せになることに遠慮して、お会いに行かなかった。
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26.9 内大臣、近江君の処遇に苦慮
大臣、この北の対の今姫君を、
「いかにせむ。さかしらに迎へ率て来て。人かく誹るとて、返し送らむも、いと軽々しく、もの狂ほしきやうなり。かくて籠めおきたれば、まことにかしづくべき心あるかと、人の言ひなすなるもねたし。女御の御方などに交じらはせて、さるをこのものにしないてむ。人のいとかたはなるものに言ひおとすなる容貌、はた、いとさ言ふばかりにやはある」
など思して、女御の君に、
「かの人参らせむ。見苦しからむことなどは、老いしらへる女房などして、つつまず言ひ教へさせたまひて御覧ぜよ。若き人びとの言種には、な笑はせさせたまひそ。うたてあはつけきやうなり
と、笑ひつつ聞こえたまふ。
「などか、いとさことのほかにははべらむ中将などのいと二なく思ひはべりけむかね言に足らずといふばかりにこそははべらめ。かくのたまひ騒ぐを、はしたなう思はるるにも、かたへはかかやかしきにや」
と、いと恥づかしげにて聞こえさせたまふこの御ありさまは、こまかにをかしげさはなくていとあてに澄みたるものの、なつかしきさま添ひておもしろき梅の花の開けさしたる朝ぼらけおぼえて、残り多かりげにほほ笑みたまへるぞ、人に異なりける、と見たてまつりたまふ。
「中将の、いとさ言へど、心若きたどり少なさに」
など申したまふも、いとほしげなる人の御おぼえかな
内大臣は、この近江の君を、
「どうしたものだろう。ひとり合点で迎えにいってつれてきて、他人が悪口をいうからと言って返すのも、まことに軽率で常軌を逸している。こうして邸から出さずにおけば、本当に育てる気があるのかと世間の人が言い立てるのも、癪だ。弘徽殿女御に仕えさせて、笑い者にしてしまおう。人がひどいと言っている容貌は、そんなにひどいだろうか」
などと思案して、女御の君に、
「あの娘を仕えさせよう。見苦しいところなどは、年とった女房などに、びしびしに言わせるんだな。若い女房たちの噂の種になって、笑い者にはさせるな。ひどく軽率なところがあるようだから」
と笑いながら言う。
「どうしてそんなことがありましょう。柏木の君が、すばらしく立派だと思って吹聴したものだから、それ程ではなかっのでしょう。 こうして周りが騒ぐので、当惑して、面映いと思っているのではないか」
と、こちらが気恥ずかしくなる程きっぱりと言った。この女御の容貌は、細かく整っているのではなく、高貴で澄んだ気配があり、やさしさいところもあって、美しい梅の花が開きかけた朝ぼらけのようで、たくさん言い残して微笑んでいる様子は、格別なお人、と見るのであった。
「柏木がそうは言っても、まだ若く世間も知らないから」
などとおっしゃる、お気の毒な近江の君の評判だこと。
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26.10 内大臣、近江君を訪う
やがて、この御方のたよりに、たたずみおはして、のぞきたまへば、簾高くおし張りて、五節の君とて、されたる若人のあると、双六をぞ打ちたまふ。手をいと切におしもみて、
「せうさい、せうさい」
とこふ声ぞ、いと舌きや。「あな、うたて」と思して、御供の人の前駆追ふをも、手かき制したまうて、なほ、妻戸の細目なるより、障子の開きあひたるを見入れたまふ。
この従姉妹も、はた、けしきはやれる、
「御返しや、御返しや」
と、筒をひねりて、とみに打ち出でず。中に思ひはありやすらむ、いとあさへたるさまどもしたり。
容貌はひちちかに、愛敬づきたるさまして、髪うるはしく、罪軽げなるを、額のいと近やかなると、声のあはつけさとにそこなはれたるなめり。取りたててよしとはなけれど、異人ことびととあらがふべくもあらず、鏡に思ひあはせられたまふに、いと宿世心づきなし。
かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどやある。ことしげくのみありて、訪らひまうでずや」
とのたまへば、例の、いと舌疾にて、
「かくてさぶらふは、何のもの思ひかはべらむ。年ごろ、おぼつかなく、ゆかしく思ひきこえさせし御顔、常にえ見たてまつらぬばかりこそ、手打たぬ心地しはべれ」
と聞こえたまふ。
「げに、身に近く使ふ人もをさをさなきに、さやうにても見ならしたてまつらむと、かねては思ひしかど、えさしもあるまじきわざなりけり。なべての仕うまつり人こそ、とあるもかかるも、おのづから立ち交らひて、人の耳をも目をも、かならずしもとどめぬものなれば、心やすかべかめれ。それだに、その人のむすめ、かの人の子と知らるる際になれば、親兄弟の面伏せなる類ひ多かめり。まして」
とのたまひさしつる、御けしきの恥づかしきも知らず、
「何か、そは、ことことしく思ひたまひて交らひはべらばこそ、所狭からめ大御大壺おおみおおつぼ取りにも、仕うまつりなむ
と聞こえたまへば、え念じたまはで、うち笑ひたまひて、
「似つかはしからぬ役ななり。かくたまさかに会へる親の孝せむの心あらば、このもののたまふ声を、すこしのどめて聞かせたまへ。さらば、命も延びなむかし」
と、をこめいたまへる大臣にて、ほほ笑みてのたまふ。
そのまま、女御に会ったついでに、近江の君の所にたたずんでのぞくと、簾を押し出して、五節の君という、気の利いた若い女御と、双六をやっていた。手をしきりにもんで、
「せうさい、せうさい」
という声が、実に早口だった。「ああ、だめだ」と思って、お供の者が前駆で先に行くのを手で制して、妻戸の隙間より、襖の開いたところから身を乗り出すように見入った。
このいとこも、同じく興奮して、
「御返しや、御返しや」
と筒をひねるが、なかなか振り出さない。胸に秘めた思いはあるのだろうが、実に浅はかな有様であった。
顔つきは小柄で、愛敬もあり、髪は美しく、前世の因縁も悪くないようだが、額の狭いのと、声が上ずっているのが、台なしにしている。取り立てて美人とは言えないが、他人だと言い切ることもできず、鏡の中の自分と同じだと思うと、気に入らなかった。
「この家でお暮らしになって、落ち着かずなじめないことがありますか。わたしは忙しく、お伺いもできませんで」
と内大臣がおっしゃると、例の早口で、
「ここにおりまして、何の心配もありません。年来、どんなお方か分からず、お会いしたいと思っていたお顔を、いつも拝見できないのがどうにかならないでしょうか」
と、近江の君は言うのだった。
「わたしの身辺の世話をする女房もほとんどいないので、そのような係りをしてもらおうと、一度は思いましたが、そうもいかない事情もありまして。 普通の侍女であれば、どんなときでも大勢のなかに交じっているので、他人の耳目も集まることはないので、気が楽でしょう。その場合でも、あの人の娘、かの家の子と知られる身分になれば、親兄弟の面目をつぶす類も多いようだ。まして」
と言いかけた父大臣の、気恥ずかしい様子も気づかず、
「いえ、それはたいそうに思って交わるから大変なのです。御用の時には、便器の大壺をもご用意しましょう」
と言うので、我慢できずに笑って、
「似つかわしくないお役ですね。こうしてたまには会える親の孝行をする気があるのなら、すこしゆっくり喋ってください。そうすればわたしの寿命も延びるでしょう」
と、おどけたところのある大臣は、微笑んで言った。
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26.11 近江君の性情
「舌の本性にこそははべらめ。幼くはべりし時だに、故母の常に苦しがり教へはべりし。妙法寺の別当大徳の、産屋うぶやにはべりける、あえものとなむ嘆きはべりたうびし。いかでこの舌さやめはべらむ」
と思ひ騒ぎたるも、いと孝養の心深く、あはれなりと見たまふ。
「その、気近く入り立ちたりけむ大徳こそは、あぢきなかりけれ。ただその罪の報いななり。唖、言吃ことどもりとぞ、大乗誹りたる罪にも、数へたるかし」
とのたまひて、「子ながら恥づかしくおはする御さまに、見えたてまつらむこそ恥づかしけれ。いかに定めて、かくあやしきけはひも尋ねず迎へ寄せけむ」と思し、「人びともあまた見つぎ、言ひ散らさむこと」と、思ひ返したまふものから、
「女御里にものしたまふ時々、渡り参りて、人のありさまなども見ならひたまへかし。ことなることなき人も、おのづから人に交じらひ、さる方になれば、さてもありぬかし。さる心して、見えたてまつりたまひなむや」
とのたまへば、
「いとうれしきことにこそはべるなれ。ただ、いかでもいかでも、御方々に数まへしろしめされむことをなむ、寝ても覚めても、年ごろ何ごとを思ひたまへつるにもあらず。御許しだにはべらば、水を汲みいただきても、仕うまつりなむ」
と、いとよげに、今すこしさへづれば、いふかひなしと思して、
「いとしか、おりたちて薪拾ひたまはずとも、参りたまひなむ。ただかのあえものにしけむ法の師だに遠くは」
と、をこごとにのたまひなすをも知らず、同じき大臣と聞こゆるなかにも、いときよげにものものしく、はなやかなるさまして、おぼろけの人見えにくき御けしきをも見知らず、
「さて、いつか女御殿には参りはべらむずる」
と聞こゆれば、
「よろしき日などやいふべからむ。よし、ことことしくは何かは。さ思はれば、今日にても」
とのたまひ捨てて渡りたまひぬ。
「舌は生まれつきです。幼い頃から、亡き母がいつも気にしてやめるように言われました。妙法寺の別当大徳が産屋に詰めていて、大徳の早口がうつったと、嘆いていました。 何とか早口をなおしましょう」
と気にしているのも、孝行の心は深く、あわれと父大臣は見た。
「その産屋に入った大徳こそは、とんでもなかったね。その僧の前世の罪の報いでしょう。唖や吃は、大乗を誹った罪にも数えられています」
とおおせになって、「わが子ながら気おくれするほど立派な女御に、見せるのも恥ずかしい。どんな調べ方をして、こんな変わった娘を引き取ったのか」と思い、「女房たちも、噂を言い散らすだろう」と、宮仕えを思い直そうとして、
「女御が里にいる間、折々に、そばに侍させて、女房たちの所作も見習いなさい。並みの者でも、自ずから人に交じらって、その場になれば、何とかやれるものです。そういう心づもりでお目通りされませんか」
とおっしゃると、
「たいへんうれしいことです。ただ何としても、御方々に姉妹として認めていただくことを、寝ても覚めても思っておりまして、年来他に思い続けたことはありません。お許しをいただければ、水を汲んで頭上に載せて運びましょう」
と調子よく一段と早口で喋ると、内大臣はお手上げだと思って、
「まあそんな、下りて薪を拾わずとも、お行きなさい。あの習いついた法師の早口だけは止めてください」
と冗談交じりに言ったのも分からず、同じく大臣といっても、大層美しく堂々としていて、きらびやかなご様子で、並の人が御前にでるのも気おくれするくらになのも知らず、
「女御殿にはいつ参るのがよろしいでしょうか」
と聞くと、
「よろしい日などないな。いや何、仰々しくするすることもない。そう思えが、今日にでも」
と言い捨てて部屋へ帰っていった。
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26.12 近江君、血筋を誇りに思う
よき四位五位たちの、いつききこえてうち身じろきたまふにも、いといかめしき御勢ひなるを見送りきこえて、
「いで、あな、めでたのわが親や。かかりける胤ながら、あやしき小家に生ひ出でけること」
とのたまふ。五節、
あまりことことしく、恥づかしげにぞおはする。よろしき親の、思ひかしづかむにぞ、尋ね出でられたまはまし
と言ふも、わりなし
例の、君の、人の言ふこと破りたまひて、めざまし今は、ひとつ口に言葉な交ぜられそあるやうあるべき身にこそあめれ
と、腹立ちたまふ顔やう、気近く、愛敬づきて、うちそぼれたるは、さる方にをかしく罪許されたり。
ただ、いと鄙び、あやしき下人しもびとの中に生ひ出でたまへれば、もの言ふさまも知らず。ことなるゆゑなき言葉をも、声のどやかに押ししづめて言ひ出だしたるは、打ち聞き、耳異におぼえ、をかしからぬ歌語りをするも、声づかひつきづきしくて、残り思はせ、本末惜しみたるさまにてうち誦じたるは、深き筋思ひ得ぬほどの打ち聞きには、をかしかなりと、耳もとまるかし。
いと心深くよしあることを言ひゐたりとも、よろしき心地あらむと聞こゆべくもあらず、あはつけき声ざまにのたまひ出づる言葉こはごはしく、言葉たみて、わがままに誇りならひたる乳母の懐にならひたるさまにもてなしいとあやしきに、やつるるなりけり
いといふかひなくはあらず、三十文字あまり、本末あはぬ歌、口疾くうち続けなどしたまふ。
立派な四位五位たちが、うやうやしく仕えて、ちょっとのお出かけにも、内大臣の堂々たる権勢をお見送りして、
「まあ、何と立派なお父さまだこと。こんな家系に生まれて、わたしはひどく卑しい家に育った」
と言う。五節が、
「あまりに立派すぎて、気おくれします。程々の親で、大事に育ててくれるお人に、見つけれたらよかった」
と言うが、無理な注文だ。
「また、あなたはわたしの言うことを壊すのね、あきれたわ。もう、友達みたいな口をきかないでちょうだい。将来ある身ですから」
と腹立ちまぎれの顔つきは、親しみがあり愛らしく、ふざけているところは、それなりに美しく、大目に見られた。
ただ、そうとうな田舎で、卑しい下人のなかで育ったので、物の言い方を知らない。あまり意味のない言葉でも、落ち着いた声で静かに言い出せば、ふと聞いて格別にも思われ、面白くない歌物語をしても、声づかいがが良く、余情を思わせ、上の句下の句を最後まで言い切らずに口ずさめば、歌の深い趣を感じなくても、ちょっと聞くには、面白く聞こえるものだ。
たいそう深い趣があり風情のあることを言っていても、相当なたしなみがあるとは聞こえぬものだし、声は上ずっていて言葉はごつごつして、訛があり、わがまま放題したいままに乳母の懐で習っただけなので、態度はひどく無作法で悪く見えるのだった。
まったく取柄がないのではなく、三十一文字の上下の句の合わない歌を、即座にものしたりする。
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26.13 近江君の手紙
「さて、女御殿に参れとのたまひつるを、しぶしぶなるさまならば、ものしくもこそ思せ。夜さりまうでむ。大臣の君、天下に思すとも、この御方々のすげなくしたまはむには、殿のうちには立てりなむはや」
とのたまふ。御おぼえのほど、いと軽らかなりや
まづ御文たてまつりたまふ。
「葦垣のま近きほどにはさぶらひながら、今まで影踏むばかりのしるしもはべらぬは、勿来の関をや据ゑさせたまへらむとなむ知らねども、武蔵野といへばかしこけれども。あなかしこや、あなかしこや」
と、点がちにて、裏には、
「まことや、暮にも参り来むと思うたまへ立つは、厭ふにはゆるにや。いでや、いでや、あやしきは水無川にを
とて、また端に、かくぞ、
草若み常陸の浦のいかが崎
いかであひ見む田子の浦波

大川水の
と、青き色紙一重ねに、いと草がちに、いかれる手の、その筋とも見えず、ただよひたる書きざまも下長に、わりなくゆゑばめり。行のほど、端ざまに筋交ひて、倒れぬべく見ゆるを、うち笑みつつ見て、さすがにいと細く小さく巻き結びて、撫子の花につけたり。
「さて、女御殿にお会いしなさいと仰せになったのに、ぐずぐずしては、気を悪くされる。夜になったら行こう。父の大臣がわたしを大事に思ってくださっても、この姉妹方に冷たくされたら、この邸にはいられない」
と言う。邸内の君の評判はまことに軽いのです。
まず文を差し上げる。
「近くにおりながら、今までご対面の光栄に預からなかったのは、勿来の関を設けているのでしょうか。お会いしたこともなく、血縁ゆかりがあるとは恐れ多いですが。あなかしこ。あなかしこ」
と、おどり字を多く使った書き方で、裏には、
「実は今晩にもお目にかかりたい、厭われると思いがつのります。いえ、いえ、見苦しい手は大目に」
とて、また端に書いて、
「田舎者ですが、なんとかして女御様に
お会いしたく
並の思いではありません」
と、青い色紙一重ねに、草書がちにくずして、角ばった筆跡が誰の書風ともわからずあいまいで、下に長くくずして、いやに由緒ありげだった。行の末は、横に出て倒れそうに見えるのを、本人は笑って見て、さすがに女らしく、細く小さく折って、撫子の花につけた。
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26.14 女御の返事
樋洗童ひすましわらわしも、いと馴れてきよげなる、今参りなりけり。女御の御方の台盤所に寄りて、
「これ、参らせたまへ」
と言ふ。下仕へ見知りて、
「北の対にさぶらふ童なりけり」
とて、御文取り入る。大輔の君といふ、持て参りて、引き解きて御覧ぜさす。
女御、ほほ笑みてうち置かせたまへるを、中納言の君といふ、近くゐて、そばそば見けり。
「いと今めかしき御文のけしきにもはべめるかな」
と、ゆかしげに思ひたれば、
「草の文字は、え見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」
とて、賜へり。
「返りこと、かくゆゑゆゑしく書かずは、悪ろしとや思ひおとされむ。やがて書きたまへ」
と、譲りたまふ。もて出でてこそあらね、若き人は、ものをかしくて、皆うち笑ひぬ。御返り乞へば、
「をかしきことの筋にのみまつはれてはべめれば、聞こえさせにくくこそ。宣旨せんじ書きめきては、いとほしからむ」
とて、ただ、御文めきて書く。
近きしるしなき、おぼつかなさは、恨めしく
常陸なる駿河の海の須磨の浦に
波立ち出でよ筥崎の松

と書きて、読みきこゆれば、
「あな、うたて。まことにみづからのにもこそ言ひなせ」
と、かたはらいたげに思したれど、
「それは聞かむ人わきまへはべりなむ」
とて、おし包みて出だしつ。
御方見て、
「をかしの御口つきや。待つとのたまへるを」
とて、いとあまえたる薫物の香を、返す返す薫きしめゐたまへり。紅といふもの、いと赤らかにかいつけて、髪けづりつくろひたまへる、さる方ににぎははしく、愛敬づきたり。御対面のほど、さし過ぐしたることもあらむかし。
使いに来た樋洗童ひすましわらわは、物馴れて可愛いのだが、新参者であった。女御の台盤所に来て、
「誰か、お願いします」
と言う。下仕えの女が知っていて、
「北の対にいる童です」
とて、文を受け取る。大輔の君という者が、持ってきて、封を開いてお見せする。
女御は微笑んで置かせたので、中納言の君が、近くに侍していて、横からちらりと見た。
「たいへん今めかしい文のようね」
と、見たいと思っていると、
「草書の文字がよく見えないせいか、本末が合わないですね」
とて、お預けした。
「返事は、このように思わせぶりに書かなければ、なってないと軽蔑されましょうか。あなたがお書きなさい」
と譲った。表には出さないが、若い女房たちは、くすくすと皆笑った。童が返書を乞うので、
「風流な場所をつらねていますので、詠いづらいのです。代筆と分かれば、お気の毒でしょうし」
とて、直筆の文めいて書く。
「お側にいてお会いできないのは、残念です。
(中納言の君)常陸の駿河の海の須磨の浦にお出でください
箱崎の松よろしくお待ちしています」
と書いて、読み聞かせると、
「あら、嫌だ。ほんとうにわたしの文と言いふらしたら」
と、迷惑そうに思ったが
「それは読んだ人が分かりますよ」
とて、紙に包んで渡した。
近江の君は文を見て、
「しゃれた歌だこと、お出でを待つといってるわ」
とて、実に甘い香りの薫物をくりかえして薫きしめるのだった。紅というものを頬に赤くつけて、髪をといてつくろう様は、それなりにはでやかで、可愛らしく愛嬌があった。ご対面の時は、さぞ出すぎたこともあるであろう。
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読書期間2019年7月27日 - 2019年8月13日