イエス伝

4 洗礼者ヨハネの出現

イエスはおよそ三十歳になっていました。ある時、ヨルダン川のほとりに預言者が現われたといううわさがユダヤ地方一帯に広まり、 ガリラヤのナザレにも聞こえてきました。大勢の人たちがユダヤ各地から集まってきて、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けている ということであった。この預言者は人々から洗礼者ヨハネと呼ばれていた。ヨハネのことを詳しく聞くにつけ、 ヨハネは正しい人であるように思われた。ヨハネは実在の人物であり、ユセフスも「ヨハネは立派な人であり、 ユダヤ人に正しい生活をおくり、同胞に対する公正を、神に対する敬虔を実行し、洗礼に加わるよう教え勧めた」 ✽1と書いている。 また伝承によれば、ヨハネはイエスと同年齢で、ヨハネが6ヶ月早く生まれていた。ヨハネの出現の様子は、次のように書かれている。

3 1そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 3 これは預言者イザヤに よってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 4ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 5そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、 人々がヨハネのもとに来て、6罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。(『マタイ伝』3:1-3:6)

イエスがこのうわさを、ガリラヤのどこで聞いたのか、あるいは何をしている時に聞いたのかは分からない。 一体どんな思いで聞いたのだろうか。うわさを聞いてから、しばらく時間をかけて考えることをしたのか、 あるいは一気にイエスの胸の奥底に感応するものがあったのか、 それは分からない。しかしイエスは、そのうわさに即座に呼応するかのように、ガリラヤからヨルダン川の向こう側に行き、 ヨハネから洗礼を受けるのである。ヨハネはイエスを見ると、 ただちに自分よりはるかに優れた存在であることを認めて洗礼することを躊躇しますが、イエスに促がされて洗礼を施します ✽2。 ヨハネには弟子たちもいて、一派を形成していましたが、イエスはヨハネと行動を共にすることはありませんでした。 洗礼を受けるとすぐにヨハネのそばを離れます。このとき二人の弟子がヨハネのもとを離れて、イエスに従ったと述べている 福音書もあります✽3

イエスと洗礼者ヨハネは、外見はまったく似通ったところがありません。洗礼者ヨハネは荒れ野に住み、 「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」し、まさに旧約の世界の預言者然としていました。 しかしその発想と説く内容は、イエスとかなり近いものがあります。「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説く第一声は、 イエスの宣教の初めの言葉とまったく同じです。ヨハネは激しい口調で既存の司祭階級の体制を批判しますが、 これもイエスの批判と酷似しています。集まってきた大衆が下層階級の人たちが多かったのも、イエスが説いた群集と同じ階層です。 イエスは洗礼者ヨハネに大いに共感するものを感じ取っていたと思います。つぎのようなヨハネの教えは、もう一歩踏み込めば、 まさにイエスが説いていることに近いでしょう。

310 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、 だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。(『ルカ伝』3:10-14)

洗礼者ヨハネには、明らかには終末に対する強い期待と予感があったようです。神から選ばれたユダヤ人たちが、 神の律法にもとる生活をしていれば、またそのような社会体制を形成していれば、いつまでもそのような生ぬるさを神が許す はずがない、やがて神の怒りの時が来て、ユダヤ人たちをことごとく滅ぼすだろう。そのときは近い。人々はその罪の許しを得るために、 悔い改めて洗礼を受けよ、そうすればその時が来たら救われる、とヨハネは説いています。この洗礼という儀式は、 水で身体を清めるという意味では古くからのユダヤの 考え方のなかにあったようですが、罪を悔い改めてそのしるしとして洗礼する行為は、ヨハネ独自の方法のようです。このことも ヨハネに人気が集まった理由のひとつでしょう。また社会的不公正・不正義に対するヨハネの弾劾も、ヨハネは真正な人だと民衆に 思われたことでしょう。ただし、ヨハネ自身ははっきり自覚して、自分はメシアでも預言者でもなく、来るべき方の先に遣わされた者 だといっています。そして神の怒りの時は近い、それ故メシアは来ると考えていました。

またヨハネは極めて雄弁であったようです。福音書の断片的描写にもそれはうかがえます。そのため多くの群集が彼のもとに 集まりました。また批判の矛先は、神への信仰にもとるすべての者たちに向けられます。当時のエルサレムの神殿を治めていた 司祭階級に、信仰の薄いユダヤ人たちに、そして当時ガリラヤとペレアの領主であったヘロデ・アンティパス にも向けられました。アンティパスは弟の妻であったヘロディアを自分の 妻にしたが、洗礼者ヨハネはこの婚姻を不義と断定して激しく非難しました。そのため、捕えられて投獄されます。 また、歴史家の目から見てヨセフスは、ヨハネが捕らえられた理由を、 「ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)はヨハネの民衆に対する大きな影響が騒乱をひき起こしはしないかと 恐れた」✽4ためとし、 その反乱の芽を摘むために先手をうってヨハネを捕らえた書いております。それほど多くの群集がヨハネのもとに押しかけたという ことでしょう。のちに、ヨハネは獄中で斬首の刑に処せられ、 その首はお盆に載せてヘロディアに差し出されます。

イエスは、ヨハネから洗礼を受けてから、何故かしばらく身を隠します。そしてヨハネが捕えられたという知らせを聞いて、 イエスはガリラヤへ戻り、遂に宣教を開始します。


✽1 『ユダヤ古代誌』18:116-119 資料編「フラウィウス証言」参照
✽2 『マタイ伝』3:13-15
✽3 『ヨハネ伝』1:35-42
✽4 『ユダヤ古代誌』18:116-119 資料編「フラウィウス証言」参照
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公開日2007年9月3日
最終更新2009年7月23日