イエス伝

12 弟子たちを宣教に出す

イエスのうわさはすでにパレスティナ全土に広がっていた。しかしガリラヤに限っても、 まだ足を踏み入れていないところがたくさんあった。イエスは、一刻も早くガリラヤの人々にそしてユダヤの人々に、この福音を 伝えなければならないと思っていたし、これまで、どれだけの民衆に自分の教えを 伝えられただろうか、もっと早くそして多くの人々に伝える必要がある、と感じていた。また、 自分の教えがどれくらい浸透しているか、疑問でもあった。同行している弟子たちでさえ、イエスの説くことが分からず、 いつもその意味するところを聞いてきたからである。 初めの頃は、安息日に会堂で教えることが多かったが、今では人々が集まればその場で説教をするようにしていた。 集まってくる群衆は、ほとんどがイエスの病気治癒の奇跡が目当てであったことはイエスもよく承知していた。 もっとユダヤの人々に、「天の国」が近いことを伝えなければならない。こうしてイエスは、十二人の弟子たちを宣教に 送り出すのである。

すでにイエスの一行はかなりの大所帯になっていた。イエスのほかに、十二人の弟子たちと、一行の身の回りの 世話をする女性たちが三・四人くらい同行していた。しかしイエスに信奉する弟子たちの数は、実はもっと多かったような記録がある。 ルカでは、弟子たちを宣教に二回送り出している。一回目は十二人そして二回目は、イエスは「七十二人を任命し、 自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」✽1と書いている。このような多数の弟子たち は、その後どこへ行ってしまったのだろう。

ともあれ、イエスは十二人の弟子たちを次のようにして送り出している。

6 7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。 11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、 彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 (『マルコ伝』6:7-12)

イエスは弟子たちを宣教に出すとき、色々と細かい指示を与えているが、大きな目的はただ二つであった。 ひとつは、上記引用句の最後の行にある「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した」の文言、つまり天の国は 近づいた悔い改めよと告知すること、もうひとつは悪霊を追い出して病気を治すことであった。そのためイエスは、悪霊を追い出す 権能を弟子たちに授けている。このような霊能が他人(ひと)に授けられるものかどうか疑問に思うが、弟子たちは これによって病気治癒の権能をもつようになる。これは天の国の到来を宣言している弟子たちが、正統な根拠をもっていることを 証明するために必要であったのである。

イエスの教えが人々を峻別するものであることを、イエスは十分承知していた。 イエスの教えは、聞くものに、それを信じるか信じないか、イエスかノウを迫っており、中間はない。逡巡しあとで考える時間の 余裕はないのだ。時を経ずして、天の国は到来するだろう。イエスの告知を聞いた瞬間に決断しなければならない。 弟子たちを受けいれない町や村には、「足についた埃さえも払い落として」出て行くように言っている。その町や村の住人たち に、埃を払うという絶縁を宣言することによって、弟子たちを拒絶したものたちは、この時点で天の国へ入ることを拒絶されたのである。 そのような意味を弟子たちがどこまで理解していたかどうか分からないが、イエスの教えは真に迫っていたから、 弟子たちの布教も真剣だったであろう。

弟子たちの布教がどのくらいの期間であったのか定かではないが、旅はおおむね成功だったようです。 イエスは弟子たちが宣教の旅から帰ってきたときは、それぞれの報告をよく聞き、労をねぎらって人里離れたところで休ませている。 イエスの周辺は相変わらず群集でごった返していたからである。


✽1 『ルカ伝』10:1
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公開日2009年8月17日
更新11月23日