今月の言葉抄 2007年12月

『コヘレトの言葉』

『「空の空」―知の敗北』(中沢洽樹著 山本書店1985年)を読んだ。著者は旧約聖書学の学者であり、この本は旧約聖書のなかの『コヘレトの言葉』を解説したものである。この書は、明治以来『伝道の書』という書名で呼ばれていたものであるが、新共同訳(1987年刊行)から『コヘレトの言葉』に書名変更された。聖書のなかの書名を変えるということは、大変なことである。その趣旨がいまいちはっきり理解できなかったのであるが、この書に次のような解説があり納得した。

・・・そこで昔からこの書の作者はイスラエルの王、かの知恵と栄華を極めたソロモンである、と考えられたこともありましたが、「ダビデの子」云々という句は後の編集者がつけた表題であって、作者自身の自己紹介ではありません。仮にこれが作者自身の言葉であったとしても、それは彼が自らをソロモンに擬した文学的虚構であります。
それからまた「伝道者」という名称・訳語が問題です。これはヘブライ語の「コーヘレス」という語をギリシャ語七十人訳で「エクレシアステース」と訳して以来、エクレシアすなわち集会で語る者というふうに解され、ドイツ語訳の聖書ではルター以来Prediger(説教者)と訳されてきました。しかし最近では、コーヘレスをヘブライ語のカーハール(集会)からきた普通名詞と見る従来の解釈はすたれ、ほとんどの学者がこれを固有名詞あるいはペンネームと見て、原語のままコーヘレスと呼んでおります。(P.9-10)

また著者は「はしがき」で、「伝道の書はヨブ記と同じく、一般には最初と最後の章のほかニ、三の有名な句が知られているだけで、全部を読む人はあまりいないと思う」と書いている。この書を読む人は少数派であるらしい。私は若い頃からこの書を愛読し、折に触れて読んできた。聖書を買うとまず最初に読むのが「伝道の書」と「マタイ伝」であった。聖書の他の書はほとんど読んでいないのであるが・・・。若い頃はすごい本だと思ったが、世の中には私がまだ読んでいない本が沢山あり、もっと違った形で世の真実を語った本があるだろうと思っていたが、今では、この書はこの世の真実を語っているという点で最高の書だ、と思うようになった。この書に優るものは、未だ見ていない。この書は、読めば分かるのである。それになんと言っても名文なのである。ここにこの本の著者の訳と新共同訳とを、1章と12章だけ併記します。

中沢洽樹訳

1

1エルサレムにある王ダビデの子コーヘレスの言葉。
2空の空、とコーへレスが言う、
空の空、いっさいが空である。
3日の下で人がいかに労しても、
そのすべての労苦は何の益があるか。
4世は去り、世は来る、
しかも地は永遠に続く。
5日は昇り、日は沈み、
その所に急ぎ、そこからまた昇る。
6風は南に吹き、北にめぐり、
めぐりめぐって、その道に帰る。
7川はみな海に注ぐが、海は溢れない。
川は河口に向かっていつまでも流れる。
8すべてのことが絶えず動いていて、
だれも言葉にすることができない。
目でいくら見ても果てがなく、
耳でいくら聞いても十分ではない。
9かってあったことは、またあろう。
かってなされたことは、またなされよう。
日の下におよそ新しいことはない。
10「見よ、これを、これこそ新しい」と
いうことがあろうか。それはわれらの前の
代々にすでにあったことだ。
11前のことは記憶されず、後のことどもも、
さらに後の世に記憶されることはない。
12われコヘーレスはイスラエルの王としてエルサレムにあった。
13そして天が下で行なわれる一切のことを知恵によって探り究めようと志した。
やっかいな仕事だが、神が人間を悩ますために賜うたことなのだ。
14わしは日の下で行なわれるもろもろのわざを見たが、
なんと一切は空であり、風を追うようであった。
15「曲がったものは矯(た)められず、
欠けたものは数えられえない。」
16わしは心に語ってこう言った。
「見よ、このおれはさきにエルサレムに都しただれよりも多くの知恵を増し加え、
わが心は知恵と知識を存分に試してみた。」
17わしは知恵と知識、狂乱と愚行(の別)を知ろうと心を傾けた。
だがこれもまた風を追うに等しいと知った。
18げに知恵が多ければ憂いも多く、
知識が増せば苦しみも増す。

新共同訳

1

1エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
2コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
3太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
4一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
5日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
6風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
7川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
8何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
9かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
10見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
11昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。
12わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。13天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。14わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
15ゆがみは直らず、
欠けていれば、数えられない。
16わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、17熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
18知恵が深まれば悩みも深まり、
知識が増せば痛みも増す。

12

1若き日におまえの造り主を憶えよ。
やがて憂鬱な日々が訪れ、
「おれにはもうなんの楽しみもない」と
いう年が近づくのだ。
2やがて太陽の光[月も星も]が暗くなり、
雨をともなう雲がふたたび現れるのだ。
3その日には、家の番人どもはふるえ、
たくましい男衆もかがみ、
粉ひき娘らの数もへって仕事をやめ、
窓からのぞく女らもかすんでしまう。
4そして町の門はとざされる。
粉ひく音も遠のけば
小鳥の声に眼をさます。
そして歌の娘らはみな低くなる。
5また坂を上がるのが大儀になり、
道を歩くときも恐れが先立つ。
あめんどうの花が咲き、いなごは萎(な)え、
ふうちょうぼくの蕾(つぼみ)もききめがない。
かくて人は永久(とわ)の住居(すまい)に移らんとし、
泣き悲しむ者らが巷(ちまた)を往き交う。
6やがて銀(しろがね)の紐は切れ、
黄金(こがね)の皿は砕ける。
また水がめは泉のほとりで壊れ、
車も井戸のかたわらで砕ける。
7かくて土くれはもとの土に帰り、
霊はその源なる神に帰る。
8空の空、とコーヘレスが言う、いっさいが空である。
9コーヘレスは自ら知者であっただけでなく、さらに民にも知識を教えた。
彼はよく聴き、吟味し、多くの箴言を作った。
10コーヘレスは巧みな言葉を見出そうと努め、正直に真実の言葉を記した。
11知者たちの言葉は突き棒に似、
語録はよく利(き)いた釘(くぎ)のようだ。
その作者たちは一人の牧者から出たものだ。
12わが子よ、これらにもまして注意せよ。
多くの書物を作れば際限(きり)がなく、多くの学問をすれば身体を疲れさせるだけだ。
13要するに、聞くべきことはみな聞いたのだから、神を恐れ、その戒めを守れ。
これがおよそ人たる者のつとめなのだ。
14なぜならすべての行為は神によって裁かれるからだ。
善であれ悪であれすべての隠れたことまでも

12

1青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と
言う年齢にならないうちに。
2太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。
3その日には
家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。
粉ひく女の数は減って行き、失われ
窓から眺める女の目はかすむ。
4通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。
鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。
5人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。
アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い
アビヨナは実をつける。人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。
6白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。
泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。
7塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。
8なんと空しいことか、とコヘレトは言う。
すべては空しい、と。
9コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。10コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。
11賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。
ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した。
12それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
書物はいくら記してもきりがない。
学びすぎれば体が疲れる。
13すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
14神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。
更新2007年12月9日