今月の言葉抄 2007年12月

ファインマンが語る 無知を知ること

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僕らの夢は、開いた通路を見つけだすことです。

この世のすべてはいったい何を意味しているのでしょうか?人間存在の神秘を説き明かすには、何を言えばいいのでしょうか?

昔の人々が知っていたことだけでなく、彼らは知らなかったが僕ら現代人は知っていることも全部含めて、すべてをよくよく考えてみるとき、僕らは実のところ何も知っていないのだということを含めて、あらためて正直に告白すべきだと僕は考えます。

自らの無知を告白することによって、僕らはおそらく開いた通路を見つけだすことができるのです。

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僕らはまだ人類の歴史のほんの初めのほうにいるのですから、いろいろな問題に取り組まなくてはならないのは、むしろ当然のことでしょう。なにしろ僕らの前には何万年もの未来が広がっているのです。ですからいまの僕らの責任は、できるかぎりの努力をし、できるかぎりのことを学び、答えをできるだけ改善してつぎの世代に渡してゆくということです。未来の人に選択の自由を残しておくことこそ、僕らの責任なのです。人類史の初期にいる僕たちは若気のあまり、永い未来にわたる人類の成長をはばむような、重大な誤りを犯すこともありえます。まだ若く無知なのに、いまもう答えはすべてわかってしまったなどと宣言するとき、僕ら人間はまったく取り返しのつかない過ちを犯すことになるでしょう。もし僕らが議論や批判を押し殺しておいて「おい、これこそ答えだ。人類は救われた!」などと大威張りで断言するようなことをすれば、それこそこれから先長いあいだ、人類を一連の独裁者どもに引き渡し、限りある現在の想像力を小さな檻のなかに閉じこめてしまう結果になるのです。しかしこれはいままでにも、もう幾度となく起こってきたことなのです。

偉大な進歩は己の無知を認めることから生まれ、それが思考の自由の成果であることを悟り、この自由の価値を鼓吹して、懐疑は危惧するどころかむしろ歓迎され、おおいに論じられるべきであることを教え、その自由を義務としてつぎの世代にも求めてゆく、これこそ科学者たる者の責任である、と僕は考えるのです。

『ファイマンさんベストエッセイ』(リチャード・P・ファインマン著 大貫昌子・江沢洋訳2001年岩波書店)「科学の価値とは何か」より
更新2007年12月16日