Hamlet, Prince of Denmark

ハムレットの憂うつ

ハムレットは元来、快活で機知にとんだ好青年であったと思われる。それは科白の節々から察せられる。また、文武両道に優れていた。それでこそ国民に愛される王子であった。ただ勘の鋭い感性豊かな性格は、もって生まれたものだろう。この性格がハムレットを悩ますことになる。

しかし舞台に登場するハムレットの顔には、すでに憂愁がただよっている。それは敬愛する父の突然の死が契機だった、と登場人物の会話から推測される。そしていきなり、次の独白を始める。

O, that this too too solid flesh would melt,
Thaw and resolve itself into a dew! 130
Or that the Everlasting had not fix'd
His canon 'gainst self-slaughter! O God! God!
How weary, stale, flat and unprofitable,
Seem to me all the uses of this world!
Fie on't! ah fie! 'tis an unweeded garden, 135
That grows to seed; things rank and gross in nature
Possess it merely. That it should come to this!
...
(Act 1 Scene 2)
ああ、この固い肉体が溶けて
分解して露となればいい。
ああ、永遠なる者が自殺を大罪とする
掟を定めなかったらよかったのだ。ああ神よ、神よ、
この世の一切の営みは
なんと、疲れはて、単調で、退屈で、空しいのだろう。
ええい、何とでもなれ、この世は雑草がはびこった庭だ、
伸びほうだいで実のなるにまかせ、下品で粗野なものが
すっかり覆い尽くしている。事、ここに至るとは。
・・・

この独白の調子はすでに相当に沈うつで、自分の外の世界がすべて意味を失い、空虚な灰色一色に見えている。そしてすでに自殺の誘惑に駆られている。この憂愁はどこから来たのだろう。これに続く科白で、ハムレットは母が30年も仲睦まじく連れ添った父と死別してから二ヶ月もしないのに、父と比べれば獣にも等しい存在、叔父であり王位を継いだクローディアスと結婚したことに激しい衝撃を受けている。その節操のなさ、情の薄さ、女の浅はかさ、肉欲の強さ、母の再婚はハムレットにとって自分の世界観を揺るがす大事件であったが、それだけでは説明しきれないものが、ハムレットの憂愁の深さと厭世観の広がりにはある。ハムレットは、心情的に自分の憂うつの底に飲み込まれてしまっているのである。

その後、ハムレットに父の亡霊が現れ、父がクローディアスに毒殺されて、王位も妻も奪われたことを告げられて、事情は一変する。'Adieu,adieu! remember me' (Act 1 Scene 5)(さらばだ、さらばだ、わしのことを忘れるでないぞ)が合言葉となり、父の復讐を果たすことがハムレットの生きる目的となる。こうしてハムレットは、復讐するという行動に出なければならない局面にたたされる。 現場にいた友にこの秘密を守ることを厳重に誓わせ、この世でひとり、世間の誰も知らない状況のなかで復讐を果たそうとする。

The time is out of joint: O cursed spite,
That ever I was born to set it right! 190
(Act 1 Scene 5)
この世のたがが外れている。ああ、無念至極だ、
それを正すために生まれてきたとは。

自分だけが知った真実、自分一人でやらなければならない復讐、これを決して周囲に知られず遂行しなければならないために、ハムレットは気違いを演じることを決意するのである。これは孤独でかつ大きな重圧がかかってくる使命である。そしてハムレットは逡巡する。無き父の亡霊との約束にも関わらず、ハムレットはこれから一時的にも逃れようと、またも自殺することも考え始める。むしろ死んでしまった方がましではないかとさえ思う。世間の荒波の中で、人は何故死なないのか、ハムレットは自問自答する。

To be, or not to be: that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them? To die: to sleep; 60
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache and the thousand natural shocks
That flesh is heir to, 'tis a consummation
Devoutly to be wish'd. To die, to sleep;
To sleep: perchance to dream: ay, there's the rub; 65
For in that sleep of death what dreams may come
When we have shuffled off this mortal coil,
Must give us pause: there's the respect
That makes calamity of so long life;
For who would bear the whips and scorns of time, 70
The oppressor's wrong, the proud man's contumely,
The pangs of despised love, the law's delay,
The insolence of office and the spurns
That patient merit of the unworthy takes,
When he himself might his quietus make 75
With a bare bodkin? who would fardels bear,
To grunt and sweat under a weary life,
But that the dread of something after death,
The undiscover'd country from whose bourn
No traveller returns, puzzles the will 80
And makes us rather bear those ills we have
Than fly to others that we know not of?
Thus conscience does make cowards of us all;
And thus the native hue of resolution
Is sicklied o'er with the pale cast of thought, 85
And enterprises of great pitch and moment
With this regard their currents turn awry,
And lose the name of action.--
(Act 3 Scene 1)
生きるか死ぬか、それが問題だ。
どちらが高貴な心といえるだろうか、
荒れ狂う運命の投石や弓矢にじっと耐えているか、
それとも圧倒する困難に向かって武器を取り、
異議をとなえて、一切を終わりにするか。死ぬとは、眠ること、
それだけだ。そして一度眠れば、
心の痛みもこの身体がうける数限りない衝撃も
一切が終わりになる。これが敬虔なる者が渇望する
最後の極致だ。死ぬことは、眠ること。
しかし眠れば、多分夢を見るだろう。ああ、ここでつまづくのだ。
この人生のしがらみを脱ぎ捨てた時、
死の眠りのなかで、どんな夢が訪れるのか分からない、
これがわれわれを躊躇(ちゅうちょ)させているのだ。ここにこそ、
長い不幸な人生を忍んでいる理由があるのだ。
誰が世間の鞭と嘲笑に耐えるだろう、
圧制者の悪に、傲慢な男の無礼に、
叶わぬ恋の傷みに、法の遅延に、
役人どもの横柄さに、そして
下劣な連中の侮蔑に、どうして耐えるだろう、
短剣のたった一突きで
この人生におさらばできるのに。
誰が、疲れるだけのこの人生で
うめき声を上げ額に汗して重荷に耐えるだろう、
どんな旅人も帰ってきたことのない
未知の国、その死の後に来る恐ろしいもの、
それが意志を当惑させ、
知らない処に飛んで行くよりも
今なめているこの辛酸に耐えさせているのだ。
こうして、もの思う心がわれわれ全員を臆病者にし、
新鮮な決意の色は
青白い憂愁におおわれ、
偉大な高みと意味をもった企ては、頓挫(とんざ)し、
実行されない。

有名な独白のくだりであるが、劇中の具体的な出来事に言及しているわけではない。人生一般の問題として、このつらい世間に生きて、人は何故自ら死なないのかをシェイクスピアの考察を通してハムレットに語らせているのである。人は生きるよりもむしろ死を選ぶのが自然な成り行きなのだと主張しているのである。しかし、死後の世界が誰にも分からないから、それを恐れて死なないだけだ、と結論している。そして実際、ハムレットはかなり悲観的、厭世的になっている。これはハムレットの人並み以上に敏感な、もって生まれた感性が、ハムレットを苦しめているのである。

そうした状況の最中(さなか)で、ハムレットはオフィーリアに八つ当たりする。オフィーリアにとって極めて残酷な言葉をハムレットは浴びせる。

Get thee to a nunnery: why wouldst thou be a breeder of sinners? I am myself indifferent honest; but yet I could accuse me of such things that it were better my mother had not borne me: 125I am very proud, revengeful, ambitious, with more offences at my beck than I have thoughts to put them in, imagination to give them shape, or time to act them in. What should such fellows as I do crawling between earth and heaven? 130We are arrant knaves, all; believe none of us. Go thy ways to a nunnery.
(Act 3 Snace 1)
尼寺へ行け。なぜ、さらなる罪びとをつくるのか。おれはかなり分別のある方だが、それでも母がおれを産まなかった方がよかったと責めることがある。おれは、誇り高いし、復讐心もあるし、野心もあるし、心に浮かぶ以上の、想像をめぐらす以上の、実際にやる以上の罪を、いつでも犯しかねない。そんな奴が、おれのような奴が、なんで天と地の間を這いまわっているのか。人間は根っからの悪党だ。人を信じるな。尼寺へ行け。

まったくハムレットの憂うつは極端な状態に陥っており、人は生まれない方がましだ、人を生むな、罪人を作ることをやめよと叫んでいる。残酷なある真実をオフィーリアに直接ぶっつけているのである。これは狂気を装っているのではなく、狂気の崖っぷちに立っている。ハムレットにとってはこの時点における真実であるが、青春の残酷さでもある。オフィーリアはおそらくこの言葉をまともに受け取って精神に異常をきたすのである。

こうしたなかで、旅の一座がやってくる。ハムレットは芝居好きな一面を表し、うきうきした気分でいる。そして父の亡霊が告げたことが真実かどうか確かめるために、一座にその時の場面を再現する寸劇をさせることを思いつく。その寸劇を見るクローディアスをしっかり観察して、表情の変化を読み取ろうとするのである。そしてそれは見事に的中する。ハムレットは有頂天になり、口笛を吹くような調子で当時のはやり歌をもじって口ずさむのである。

Why, let the stricken deer go weep,
The hart ungalled play;
For some must watch, while some must sleep:
So runs the world away.285
(Act 3 Scene 2)
やあ、打たれた鹿は泣きにゆけ、
打たれぬ鹿は無邪気に遊べ、
眠るものがいれば、見張るものがいる、
これが常なる世の習い。

ハムレットは自分の仕掛けが的中したので、子供のような喜びようである。このあたりはハムレットの性格が見事に出ている場面である。得意の絶頂であり、憂うつな気分はすっ飛んでしまっている。

こうしてハムレットは、クローディアスが父を毒殺した確証を得るのであるが、母を改悛させるために部屋に行く途中、クローディアスがひざまずいて、悔悟して一心に祈ろうとしている姿を認める。ハムレットは残酷な気持ちになっており、復讐の絶好の機会であったが、祈っている最中に殺せば天国へ行ってしまうと思い直し、見過ごしてしまう。そして、母の部屋で壁飾りの裏で聞いていた補佐官のポローニアスを、クローディアスと間違えて殺してしまう。このためハムレットは、クローディアスの奸計によりイングランドへ追放されてしまう。そこへ着いたら即処刑されてしまう予定であった。ハムレットはクローディアスに先手を打たれて、復讐の機会を永久に失うところであった。

Rashly,
And praised be rashness for it, let us know,
Our indiscretion sometimes serves us well,
When our deep plots do pall: and that should teach us
There's a divinity that shapes our ends, 10
Rough-hew them how we will,--
(Act 5 Scene 2)
ところで、後先(あとさき)を考えずにやるのもいいものだ、
あれこれ考えてもうまくいかないときには、
無鉄砲にやるのも時には良い結果を生むってことを知ったよ。
われわれが荒けずりでやっておいても
ちゃんと仕上げてくれる天の配慮というのがあるもんだ。

ハムレットは決断は早いが、自らの行動においては鷹揚というか、後手を踏んでいる。クローディアスと間違ってポローニアスを殺しているし、イングランドへ追放されて、ことによると永久に復讐への機会を失っているし、帰国できたのも渡航中に海賊船に遭遇する偶然があったからであり、最後に剣の試合に立ち会うのも、クローディアスが仕組んだ計略にのったものである。自分から意図したものはひとつもない。全部周りの環境に動かされて行動しているのである。上の科白はその間のハムレットの感慨を語ったものである。それまで、ハムレットにとって行動の契機は、常に外部の状況に動かされてやむを得ずやったものであった。しかしハムレットはそうした経験を通して、すくなくともドラマの中では、自ら成長していったものと思われる。

Not a whit, we defy augury: there's 230a special providence in the fall of a sparrow. If it be now, 'tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all: since no man has aught of what he leaves, what is't to leave betimes? Let be. 235
(Act 5 Scene 2)
心配しなくていい。おれは占いは信じないが、雀一羽落ちるにも天の配慮がある。それが今なら、あとでは来ないだろう。あとで来ないなら、それは今だろう。それが今でなければ、やがて来るだろう。いかなるときにも覚悟はしておかねばならぬ。誰もが、去るときはすべて残して行くのだから、早く世を去ったからといって、何のさわりがあろう。もう言うな。

これは最後の場で、クローディアスが仕組んだ剣の試合に、ハムレットが応じたときの科白である。ハムレットは勘が働いて胸騒ぎがするのだが、親友のホレイシオが、気がかりなことがあるならそれに従いなさいと忠告したときのハムレットの返事である。ここでのハムレットは成熟した大人である。もう憂うつなど微塵も入り込む余地はない。人はいずれ死ぬ、ということを覚悟として腹に据えている。多弁なハムレットが語った言葉のなかで、最も見事で、人の心を打つ、と思う。

本来人は、憂うつな心をもって生まれてくるものではない。ある日突然、外界に出現し、それにさらされ、それと接触することによって心に陰影が生じてくる。また、おのずから生きるものの願望が生じ、その願望が外界と接することよって陰影が生じてくる。その外界とのやり取りがうまく行かなくなったとき、齟齬(そご)が生じ、影のみが心に定着するのである。行動によってある部分は外部に返してやらなければならない。それが生きる力である。ハムレットの不幸は、それが死の直前に来たことである。