源氏物語 14 澪標 みおつくし

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原文 現代文
14.1 故桐壺院の追善法華御八講
さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、「いかで、かの沈みたまふらむ罪、救ひたてまつることをせむ」と、思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御急ぎしたまふ。神無月に御八講したまふ。世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。
大后、御悩み重くおはしますうちにも、「つひにこの人をえ消たずなりなむこと」と、心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、直し立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこり悩ませたまひし御目も、さはやぎたまひぬれど、「おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこと」とのみ、久しからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。 世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人も、あいなく、うれしきことに喜びきこえける。
ありありと見えたあの夢の後は、故桐壷院のことが気にかかって、「どうやって、罪に落ちているのを救ったらいいだろう」と思い嘆いたが、帰京してから急いでその準備に取りかかった。神無月に法華八講を行うことにした。誰もが進んでお仕えしようとする様子は、昔のようだった。
大后は、病が重くなっていながら、「遂にこの人を失脚させられなかった」と、悔やんでいたが、帝は院のご遺言のことを思っていた。何らかの報いがあるだろうと思っていたが、源氏を元の地位に復帰させて、気持ちが軽くなった。時々悪くなっていた目も、すっかりよくなり、「およそこの世に長くは生きられない、心細い」とお思いになっているので、在位も長くないだろうと思って、常に君をお呼びになり、参内するのだった。政務についても、帝はすべてを君に相談し、それが本意の通りになるので、世の人びとも、わけもなく、喜んだ。
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14.2 雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執
りゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、尚侍ないしのかみ、心細げに世を思ひ嘆きたまひつる、いとあはれに思されけり。
大臣亡せたまひ、大宮も頼もしげなくのみ篤いたまへるに、我が世残り少なき心地するになむ、いといとほしう、名残なきさまにてとまりたまはむとすらむ。昔より、人には思ひ落としたまへれどみづからの心ざしのまたなきならひに、 ただ御ことのみなむ、あはれにおぼえける。立ちまさる人、また御本意ありて見たまふともおろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむと思ふさへこそ、心苦しけれ」
とて、うち泣きたまふ。
女君、顔はいと赤く匂ひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる。
「などか、御子をだに持たまへるまじき。口惜しうもあるかな。契り深き人のためには、今見出でたまひてむと思ふも、口惜しや。限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし
など、行く末のことをさへのたまはするに、いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ。御容貌など、なまめかしうきよらにて、限りなき御心ざしの年月に添ふやうにもてなさせたまふに、めでたき人なれど、さしも思ひたまへらざりしけしき、心ばへなどもの思ひ知られたまふままに、「などて、わが心の若くいはけなきにまかせて、さる騷ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいはず、人の御ためさへ」など思し出づるに、いと憂き御身なり。
朱雀院の退位のご決断が近くなるにつれ、朧月夜は身の上を思って心細げに嘆いているので、帝はあわれに思うのだった。
「右大臣が亡くなり、弘徽殿の大后もだんだん容態がわるくなって、わたしの世も長くはない気がするので、あなたが可愛そうで、昔の名残はない境遇で生き残ることになるだろう。昔から、源氏の君より軽んじられているが、自分の気持ちは誰にも劣らず、あなたのみをいとおしく思っているのです。わたしに勝る人が、願いどおりにあなたと契りを結ぶにしても、愛情の深さは誰にも負けない」
とて、帝は泣くのだった。
女君は顔を赤らめて、こぼれるばかりの愛嬌を見せて泣くので、すべての罪を忘れて、実にいとおしいと見るのだった。
「どうして御子を持たなかったのだろう。残念であった。契りの深い人のためなら、すぐ御子を持つであろうと思うのも、口惜しい。身分が身分故、臣下として育てるわけだ」
など、行く末のことまで仰せになるので、尚侍は恥ずかしくも悲しくも思うのだった。帝の御容貌など なまめかしく清らで、深い愛情が年月とともに大きくなってゆくので、源氏は素晴しい方だが、さほどたいせつに思ってくださらなかった様子や心ばえが、自然に分かってくるにつれて、「どうして若さ幼さにまかせて、あんな騒ぎを起こして、わが名は言うに及ばずあの方にもご迷惑をかけたのだろう」など思い出すと、辛いわが身であった。
2018.5.16/ 2021.8.13/ 2023.3.4◎
14.3 東宮の御元服と御世替わり
明くる年の如月に、春宮の御元服のことあり。十一になりたまへど、ほどより大きに、おとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つに写したらむやうに見えたまふ。いとまばゆきまで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ
内裏にも、めでたしと見たてまつりたまひて、世の中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。
同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后思しあわてたり。
「かひなきさまながらも、心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり」
とぞ、聞こえ慰めたまひける。
坊には承香殿そきょうでんの皇子ゐたまひぬ。世の中改まりて、引き変へ今めかしきことども多かり。源氏の大納言、内大臣になりたまひぬ。数定まりて、くつろぐ所もなかりければ、加はりたまふなりけり。
やがて世の政事まつりごとをしたまふべきなれど、「さやうの事しげき職には堪へずなむ」とて、致仕ちしの大臣、摂政したまふべきよし、譲りきこえたまふ。
「病によりて、位を返したてまつりてしを、いよいよ老のつもり添ひて、さかしきことはべらじ」
と、受けひき申したまはず。「人の国にも、こと移り世の中定まらぬ折は、深き山に跡を絶えたる人だにも、治まれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことの聖にはしけれ。病に沈みて、返し申したまひける位を、世の中変はりてまた改めたまはむに、さらに咎あるまじう」、公、私定めらる。さる例もありければ、すまひ果てたまはで、太政大臣になりたまふ。御年も六十三にぞなりたまふ。
世の中すさまじきにより、かつは籠もりゐたまひしを、とりかへし花やぎたまへば、御子どもなど沈むやうにものしたまへるを、皆浮かびたまふ。とりわきて、宰相中将、権中納言になりたまふ。かの四の君の御腹の姫君、十二になりたまふを、内裏に参らせむとかしづきたまふ。かの「高砂」歌ひし君も、かうぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹々に御子どもいとあまた次々に生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣は羨みたまふ。
大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、内裏、春宮の殿上したまふ。故姫君の亡せたまひにし嘆きを、宮、大臣、またさらに改めて思し嘆く。されど、おはせぬ名残も、ただこの大臣の御光に、よろづもてなされたまひて、年ごろ、思し沈みつる名残なきまで栄えたまふ。なほ昔に御心ばへ変はらず、折節ごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御乳母たち、さらぬ人びとも、年ごろのほどまかで散らざりけるは、皆さるべきことに触れつつ、よすがつけむことを思しおきつるに、幸ひ人多くなりぬべし。
二条院にも、同じごと待ちきこえける人を、あはれなるものに思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人びとには、ほどほどにつけつつ情けを見えたまふに、御いとまなくて、他歩きもしたまはず。
二条院の東なる宮、院の御処分なりしを、二なく改め造らせたまふ。「花散里などやうの心苦しき人びと住ませむ」など、思し当てて繕はせたまふ。
明くる年の如月に、春宮が元服された。十一歳になったが、その年頃より大人びていて清らかで、源氏の大納言の顔とまったく瓜二つに見えた。まばゆいまでに光り輝いて、世人は実にめでたいと言っているが、母宮はうしろめたく感じたいへん気をもんで、人知れず余計な心配をされるのだった。
帝にあっても、春宮が秀でた資質があると見て、治世の位を譲ることなどについて、やさしく言って聞かせるのだった。
同じ月の二十余日、譲位が急に現実になって、大后はたいそうあわてた。
「譲位して頼りない身分でも、ゆったりした気持ちで逢えると思います」
と仰せになり慰めるのだった。
東宮には承香殿の御子がお立ちになった。世の中が改まって、うってかわってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣になった。定数がふさがっていて、員外の大臣として加わった。
そのまま、政事まつりごとをすべきなのだが、「そのような忙しい職には力が足りません」とて、致仕ちしの大臣が摂政をすべきだろうと譲ったのだった。
「病気で官職を辞したのに、それにいよいよ老いも加わったので、お役に立てない」
と引き受けそうにない。「他国にあっても、世の中が安定しない時は、山深くに身を隠してしまった人も、世の中が治まると、白髪になっても出仕する人を、まことの聖人と称します。病によって辞退した位も、世が変わってまた改まった事態になれば、非難される筋もないだろう」、朝廷も世間もそのような沙汰であった。そのような前例もあり、断りきれずに、太政大臣になった。年は六十三歳だった。
世の中に逆風が吹き、それで隠居していたが、復帰して権勢を握れば、子どもたちも沈んで冷遇されていたのを皆浮かび上がった。とりわけ、頭の中将が権大納言になった。あの四の君が生んだ姫君が、十二になっていたので、参内させようととても大事に世話している。あの「高砂」を舞った君も、元服させて、まことに一族の思いのままである。夫人に次々と子がたくさん出来て、にぎやかにしているのが源氏は羨ましく思った。
夕霧は、誰よりも美しく、内裏や春宮の童殿上になっていた。亡くなった葵の上を嘆き、母宮や大臣は改めて思い出して嘆くのだった。しかし葵の上亡き後も、ただこの源氏の君のご威光によって、すべてがもてなされて、昔冷遇されていた名残がないほどに栄えた。源氏は昔に変わらず、事ある毎に邸にお越しになり、若君の乳母たちやその他の人びとに、長年仕えてくれている人びとに対しては、折にふれて便宜をはかってやっていたので、幸いな人たちが多くいたのだった。
二条院にも、同じように待っている人を思いやって、日頃のふさぎこんだ胸の思いを晴らしてやろうと思い、中将、中務のような人びとも、適宜に情けを見せるので、暇がなく忍び歩きもしなかった。
二条院の東の邸は、故院の遺産だったが、すっかり改築した。「花散里のようなお気の毒な人びとを住まわせよう」などと思って改造するのであった。
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14.4 宿曜の予言と姫君誕生
まことや、「かの明石に、心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて、
「十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ」
と告げきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思すにおろかならず。「などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。
宿曜すくように、
「御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣おおきおとどにて位を極むべし」
と、勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人そうにんどもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。みづからも、「もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。
「あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」
と、御心のうちに思しけり。今、行く末のあらましごとを思すに、
「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。このほど過ぐして迎へてむ」
と思して、東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。
そうそう、「あの明石で痛々しく心配なことはどうなったか」と忘れるときがないので、公も私も忙しい隙を見て、思うように使いを出すことも出来なかったが、三月の初めころ、「このころだろう」と思いやって、人知れず案じて、使いを出した。すぐ帰ってきて、
「十六日に生まれました。女の子で安産でした」
と報告した。安産の上に珍しく女の子だったので、喜びもひとしおであった。「どうして、京に迎えて、出産させなかったのか」と口惜しく思うのだった。
宿曜すくように、
「御子は三人。帝、后が必ず両方生まれる。次男は低くても、太政大臣になって人臣を極める」
と占って申したのは、ひとつひとつ当たっているようだ。一体に、最高の位に上り詰め、世の中を治めるようになると、大勢の賢い相人たちが申していたのだが、このところの不遇な境遇にあってみな打ち消していたのだが、この帝がこうして位についたので、思いのほかうれしく思うのだった。「自分が帝位につくなどありえないこと」と自ら思うのだった。
「たくさんの皇子たちのなかで、自分をとりわけ可愛がってくださったのに、臣下にと決められた御心を思うと、帝位には縁がないのだ。帝がこうして位についている、世間は知らないだろうが、相人の言は当たった」
と、心の中で思っていた。今、行く末のあらましを思うに、
「住吉の神のお導きは、まことに明石の君も世に並びなき宿世にあって、片意地はった親も分に過ぎた望みを持ったのだろう。そうなら、恐れ多い位につくべき人が、ひなびた田舎で生まれたということでは、かわいそうでもありもったいなくもある。しばらくして、京に迎えよう」
と思って、東の邸を急いで造るように、仰せになるのだった。
2018.5.24/ 2021.8.14/ 2023.3.4◎
14.5 宣旨の娘を乳母に選定
さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、故院にさぶらひし宣旨せんじの娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、かすかなる世に経けるが、はかなきさまにて子産みたりと、聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでにまねびきこえける人召して、さるべきさまにのたまひ契る。
まだ若く、何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、出だし立てたまふ。
もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、
「ただ、のたまはせむままに」
と聞こゆ。吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、
「あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」
など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。
主上うえの宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。とかく戯れたまひて、
取り返しつべき心地こそすれ。いかに」
とのたまふにつけても、「げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。
かねてより隔てぬ仲とならはねど
別れは惜しきものにぞありける

慕ひやしなまし」
とのたまへば、うち笑ひて、
うちつけの別れを惜しむかことにて
思はむ方に慕ひやはせぬ

馴れて聞こゆるを、いたしと思す。
あのような田舎では、優れた乳母も見つけにくいだろうと思って、故院に仕えていた宣旨の娘、宮内卿の宰相で亡くなった人の娘が、宣旨の母は亡くなって、頼りなげに暮らしていたが、不遇のなかで子を産んだと聞いていて、知ることがあり、ことのついでに事情を知る女房を呼びよせて、そのように仰せになり約束をした。
まだ若く、世間をあまり知らぬ人で、人が訪うこともないあばら家で、物思いがちに心細く暮らしていたので、深くも考えず、源氏ならいい話だと、一途に思い込んで、参りますと言った。不憫ではあったが、出立させた。
外出のついでに、今度はすっかりお忍びで訪問した。娘は、そうは言ったが、どうしようかが思い乱れていたが、わざわざのもったいない訪問に、心も慰んで、
「ただ仰せのままに」
と娘は言う。日取りも吉日だったので、出発を急がせて、
「ずいぶん薄情だと思うだろうが、格別の考えがあるのだ。自分も思いもかけない住まいでふさぎこんでいた、それを先例として、しばし辛抱してくれ」
など、事情を詳しく仰せになった。
帝の宮仕えを時々していたので、見かけたときもあったが、ひどく衰えていた。邸の様子も、言いようもなく荒れていて、さすがに大きな邸で、木立なども鬱蒼として、「どうやって暮らしているのだろう」と思えた。娘は、若く美しく、目が離せなかった。冗談を言って、
「明石はやめにして、側で仕えてはどうか」
と源氏が仰せになるので、「本当に、同じことなら、御身の近くにお仕えできれば、憂き身も慰む」とご覧になっている。
(源氏)「かねてから親しい仲ではなかったが
別れは名残がつきない
慕ってついて行こうか」
と仰せになってにっこりすると、
(乳母)「だしぬけに名残惜しいなどと
恋しい方へ慕って行くのではありませんか」
うまく切り返したのに関心した。
2018.5.27/ 2021.8.14 / 2023.3.4◎
14.6 乳母、明石へ出発
車にてぞ京のほどは行き離れける。いと親しき人さし添へたまひて、ゆめ漏らすまじく、口がためたまひて遣はす。御佩刀みはかし、さるべきものなど、所狭きまで思しやらぬ隈なし。乳母にも、ありがたうこまやかなる御いたはりのほど、浅からず。
入道の思ひかしづき思ふらむありさま、思ひやるも、ほほ笑まれたまふこと多く、また、あはれに心苦しうも、ただこのことの御心にかかるも、浅からぬにこそは。御文にも、「おろかにもてなし思ふまじ」と、返す返すいましめたまへり。
いつしかも袖うちかけむをとめ子が
世を経て撫づる岩の生ひ先

津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、急ぎ行き着きぬ。
入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること、限りなし。そなたに向きて拝みきこえて、ありがたき御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。
稚児のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。「げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり」と見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさめにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、扱ひきこゆ。
子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、御使にも二なきさまの心ざしを尽くす。とく参りなむと急ぎ苦しがれば、思ふことどもすこし聞こえ続けて、
ひとりして撫づるは袖のほどなきに
覆ふばかりの蔭をしぞ待つ

と聞こえたり。あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。
車で京の町を出立した。ごく親しい人を伴い、事情を決して他言せぬよう口止めして遣わした。刀、その他しかるべきものなど、置き場もないほどで、隅々まで配慮していた。乳母にも素晴しく行き届いた賜物があり、深い配慮だった。
入道が姫君を大事に育てている様を思うと、つい微笑んでしまい、また田舎暮らしをあわれに心苦しくも思うが、ただいつも姫君のことを思う様は、決して浅からぬ思いだった。文にも、「大事に育ててくれ」と返す返す忠告した。
(源氏) 「いつになったら袖で撫でて姫君を抱けるだろう
天女が撫でるという生い先永い姫君を」
津の国までは舟で行き、そこから馬に乗り換えて、急いで着いた。
入道は待ち受けて、喜び感謝すること限りない。京の方を向いて拝んで、君のありがたい御心を思い、いよいよ大切に育てなければと、空恐ろしいほど思った。
稚児のあやしいまでの可愛らしさは、比類がなかった。「まことに、賢いお方が大切に育てようと思うのも、当然だ」と思うと、乳母はこんな田舎まで来て、夢かとかと思い嘆いたのも、一気に覚めてしまった。実に美しく可愛らしく思って、お世話した。
明石の上も、日頃物思いに沈みがちで、気持ちも弱まり、生きる気力もなくしていたが、君のこのご配慮に少し物思いが慰められて、頭を上げて、使者たちを丁重にもてなした。使者たちが帰りを急いでいたので、思うことどもを少し書き綴って、
(明石の上)「ひとりで育てるにはわたしの袖が狭すぎます
あなたの大きな御心をお待ちします」
と返した。君は不思議なまでに心にかけて、早く見たいと思った。
2018.5.31/ 2021.8.14 / 20233.3.5◎
14.7 紫の君に姫君誕生を語る
* 女君には、ことにあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、聞きあはせたまふこともこそ、と思して、
「さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざなりやさもおはせなむと思ふあたりには、心もとなくて、思ひの外に、口惜しくなむ。女にてあなれば、いとこそものしけれ尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ」
と聞こえたまへば、面うち赤みて、
あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」
と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、
「そよ。誰がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」
とて、果て果ては涙ぐみたまふ。年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ
この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ
とのたまひさして、
「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」
など語りきこえたまふ。
あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、
「われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」
と、ただならず、思ひ続けたまひて、「われは、われ」と、うち背き眺めて、「あはれなりし世のありさま」など、独り言のやうにうち嘆きて、
思ふどちなびく方にはあらずとも
われぞ煙に先立ちなまし

「何とか。心憂や。
誰れにより世を海山に行きめぐり
絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ

いでや、いかでか見えたてまつらむ。命こそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、人に 心おかれじと思ふも、ただ一つゆゑぞや」
とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す。
紫の上には、はっきり言っていなかったが、他から聞いたのではまずい、と思って、
「こういうことなのです。うまくゆかないものですね。そうあってほしいと思われる方には、子ができなくて、思わぬ人にはできてしまう。女の子なので、気に入りません。放置しておいてもいいのだが、そこまで見捨てることもないだろう。そのうち呼びにやってお見せしましょう。妬まないでください」
と仰せになれば、顔を赤らめて、
「厭ですこと、いつもご注意されるわたしの性分が、自分ながら厭になります。嫉妬はいつ学んだのでしょう」
と恨みがましく言うので、君は笑って、
「そう。誰が教えたのでしょう。思わぬことをなさいますね。心外なことを、邪推したり、恨んだりするでしょう。悲しいです」
とて最後は涙ぐんでしまう。年来、恋しいと思っていたお互いの気持ちや、折々に交わした文などを思い出し、「すべては、君の当座の遊びだったのだ」と、紫の上はしいて忘れようとした。
「明石の君を、こうまで気を遣って見舞うのは、考えがあるからなのです。今話してしまえば、誤解を招くでしょうから」
と源氏は仰せになり、
「明石の上の人柄が立派だったのも、田舎だから、感心したのだ」
などと仰せになる。
しみじみと感じた夕べの藻塩焼く煙のこと、明石上の返歌、またその夜ほのかに顔を見たこと、琴の音の素晴らしかったことなど、心にとまったことを話して、
「自分は悲しく嘆いていたのに、お遊びでも思いを寄せた方がおられたとは」
と紫の上はたまらない気持ちになって、「お互い別々なのですね」とそっぽを向いて、「昔は仲がよかったのに」とひとりごのように嘆いて、
(紫上)「二人で同じ方向になびかなくても
わたしは煙になって先に死んでしまいたい」
「何ですって。情けないことを。
(源氏)誰のために憂き世を海山へ行きめぐり
涙の絶えない思いをしてきたのか
よし、わたしの本心をお見せしよう。長い目でみてください。つまらぬことで人に気をつかわせないと思うのも、畢竟あなたのためなのだ」
と言って、筝の琴を引き寄せ掻き合わせて、誘ってみたが、あの明石の君が優れているのをねたんでいるのか、手も触れようとしない。たいへんおおらかで美しく、しとやかな性格なのに、さすがに執念深いところがあって、嫉妬して、可愛らしく腹を立てているのが、かえっておもしろく見込みがあると思う。
2018.6.7/ 2021.8.15/ 2023.3.5◎
14.8 姫君の五十日の祝
「五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「 男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。
御使出だし立てたまふ。
「かならずその日違へずまかり着け」
とのたまへば、五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。
海松うみまつや時ぞともなき蔭にゐて
何のあやめもいかにわくらむ

心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」
と書いたまへり。
入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。
ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり
聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、げに、かく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。御文ももろともに見て、心のうちに、
「あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」
と、思ひ続けらるれど、「乳母のことはいかに」など、こまやかに訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。
御返りには、
数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を
今日もいかにと問ふ人ぞなき

よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまをかくたまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」
とまめやかに聞こえたり。
「五月五日はちょうど五十日にあたる」と秘かに数えて、会いたい見たいと切に思うのだった。「都にいたら、万事手を尽くしてもてなし、うれしいのだが。残念なことだ。あんな田舎に、いたわしいことに、生まれるとは」と思う。「男の子なら、こうも心にかけないのだが、姫では、かたじけなくも不憫だ、わたしの前世の因縁も、この事では不足だったのか」と思った。
使いを出した。
「必ず日を間違えずに着くように」
と仰せになり、五日にちょうど着いた。ご配慮はまことに行き届いていてすばらしく、実用的な品もあった。
(源氏)「海松みるのように、いつも岩陰にいたのでは
今日があやめの日とどうして分かるだろう
心が飛んでゆきそうです。やっぱり、このままではいけないので、思い立ってください。都では決してご心配させません」
と文に書いた。
入道は例の、喜び泣きしていた。このような時は、生きている甲斐があったと泣くのももっともだった。
明石でも、万事準備をしていたのだが、都からの使いがなければ、闇夜の錦のように見栄えのしないことになったであろう。乳母も明石の君がまことに理想的な人なので、語り相手として、日々の慰めにしていた。乳母に劣らない人たちも縁故で迎えていたが、都落ちした宮仕え人が、出家せずに落ち着いた風でいるが、この乳母は品があり気位を高く持っていた。
聞いて面白い世間の話をしたり、大臣の源氏の君の様子、とくに世間から尊崇されている評判なども、女心にまかせて限りなく話して聞かせるので、こうして思い出してくださる形見を生んだ自分も偉いのだ、と明石の上は思うようになった。文を一緒にご覧になって、心の中で、
「ああ、これほど幸運な宿世の方がおられるのだ。不幸なのは我が身なのだ」
と乳母は思ったりしたが、「乳母はどうしているか」など、細やかな気遣いをされると、もったいなく、心が慰むのであった。
返事には、
(明石の上) 「数にも入らぬわたしの島影の姫を
どうしていると問う人もいません
何につけても物思いに気がふさいでおりますが、時折でも君の慰めにすがっているわたしの命も、心細く思われます。まことに、姫君の後顧の憂いなきように」
と心から申し上げるのだった。
2018.6.25/ 2021.8.15/ 2023.3.5◎
14.9 紫の君、嫉妬を覚える
うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、
浦よりをちに漕ぐ舟の
と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、
「まことは、かくまでとりなしたまふよ。こは、ただ、かばかりのあはれぞや。所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐいたまはね」
など、恨みきこえたまひて、上包ばかりを見せたてまつらせたまふ。筆などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と、思す。
明石の上の文を繰り返し見ては、「ああ」と長いため息をついているのを、女君は後目に見て、
「わたしを置いてきぼりにして」
と秘かにひとり言をして眺めているのを、
「なんとそこまで邪推なさるのか。これはただ、これだけのことなのだ。あの土地の様子を思いやって、来し方を思い出すひとり言を、よくもまあ聞き逃さずにいるものだね」
などといやみを言って、上包みだけ見せた。筆跡は奥ゆかしく、高貴な方もたじろぎそうなので、「こうだからこそ君が惹かれたのだろう」と思うのだった。
2018.6.25/ 2021.8.16/ 2023.3.5◎
14.10 花散里訪問
かく、この御心とりたまふほどに、花散里などをれ果てたまひぬるこそ、いとほしけれ。公事おおやけごとも繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり
五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり訪らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。
女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし水鶏くいなのいと近う鳴きたるを、
水鶏だにおどろかさずはいかにして
荒れたる宿に月を入れまし

と、いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ
「とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」
と思す。
おしなべてたたく水鶏におどろかば
うはの空なる月もこそ入れ

うしろめたう」
とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。「空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、のたまひ出でて、
などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ
とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。
こうして紫の上のご機嫌をとっている間、花散里を放置していたのは気の毒であった。政務も忙しく、自由のきかない身分を思うと、向こうから目新しく驚くような便りもなかったので、静かにしていた。
五月雨になって所在ない頃、公私ともに落ち着いてきたので、思い立って訪問した。自分が行かなくても、何かにつけて万事気を配りお世話していて、それを頼りに暮らしていたので、当世風に思わせぶりにすねたり嫉んだりすることもなく、心やすかった。年々邸は荒れていて、ぞっとするほどであった。
女御の君にご挨拶をして、西の妻戸に夜が更けてからお入りになった。月がおぼろにさし込んで、君のあでやかな所作は、限りなく美しく見えた。女はたいへんつつましく、端近くにいて眺めていたようで、ゆったりと静かに暮らしている様子が、感じがよい。水鶏くいながすぐ近くで鳴いたのを聞いて、
(花散里)「せめて水鶏が鳴いてくれないなら、
どうして荒れ宿に君が来るのが分かるでしょう」
といかにもやさしく言いよどんでいるので、
「女はそれぞれに捨てがたいところがある。こうだから自分も苦労する」
と思う。
(源氏)「どこの家でも水鶏が叩く門を開けていたら
浮気男が月のように入ってきますよ
後が気になります」
とは、言葉に出して言うけれど、浮気などを毛頭疑うことなどなかった。年ごろ、待ってくれていたことも、決して疎かには見ていないかった。須磨に行く時「空な眺めそ」と、慰め説得したときのことも引き合いに言い出したので、
「どうしてこれ以上の悲しみはないと沈んでいたのでしょう。帰京されても同じ憂き身ですのに」
と言うのも、おおらかで可愛げがあった。例によって、どこから出てくるのか、尽きせぬ語らいで慰めるのだった。
2018.7.2/ 2021.8.16/ 2023.3.5◎
14.11 筑紫の五節と朧月夜尚侍
かやうのついでにも、五節ごせちを思し忘れず、「また見てしがな」と、心にかけたまへれど、いとかたきことにて、え紛れたまはず
女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど世に経むことを思ひ絶えたり
心やすき殿造りしては、「かやうの人集へても、思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば、さる人の後見にも」と思す。
かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。よしある受領などを選りて、当て当てに催したまふ。
尚侍の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。こりずまに立ち返り、御心ばへもあれど、女は憂きに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなか、所狭う、さうざうしう世の中、思さる。
このような中でも、五節のことを忘れたわけではない。「もう一度会いたい」と心にかけていたが、隠れて会うのは難しかった。
五節は、物思いに沈み、親はいろいろと縁談などすすめたが、娘は人並の結婚生活を諦めていた。
源氏は、気楽にくつろげる邸を作って、「このような女たちを集めては、思い通り育てる子も出来た時に、その後見になる」と思っていた。
邸の造りは、なかなか見所が多く、当世風であった。気心の知れた受領を集めて、割り当てて急がせたのだった。
君は、朧月夜をあきらめてはいなかった。懲りずに昔通りに、御心を寄せていたが、女はすっかり懲りて、昔のようには返事を出さなかった。源氏はかなり窮屈で、物足りない世の中だと思っていた。
2018.7.3/ 2021.8.17/ 2023.3.5◎
14.12 旧後宮の女性たちの動向
院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御、更衣、みな例のごとさぶらひたまへど、春宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、かく引き変へ、めでたき御幸ひにて、離れ出でて宮に添ひたてまつりたまへる。
この大臣の御宿直所おんとのいどころは、 昔の淑景舎しげいさなり。梨壷なしつぼに春宮はおはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりたまふ。
入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天皇になずらへて、 御封みふ賜らせたまふ。院司どもなりて、さまことにいつくし。御行なひ、功徳のことを、常の御いとなみにておはします。年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに、思すさまにて、参りまかでたまふもいとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。
大臣はことに触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心寄せきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、人もやすからず、聞こえけり。
朱雀院は気楽になられて、四季折々に興味深い遊びを催して楽しんでおられた。女房、更衣たちはみなそのままに仕えていたが、春宮の母女御だけは、とりたててご寵愛を受けていたわけでもなく、朧月夜へのご寵愛におし消されていたのだが、かえって今は、めでたい立場になり、院を離れてひたすら春宮に付き添っていた。
源氏の宿直所は昔の淑景舎しげいさだった。梨壷に春宮がおられるので、お隣同士のよしみで、何事も気楽に話ができて宮の後見もされているだった。
藤壺の宮は、出家の身なので皇太后の位にはならず、太上天皇に準じて御封みふも支給された。管理の役人も配置され、立派になった。藤壺の宮は、日々の勤行や、功徳を積む仏事を常の営みとなしていた。かっては世に憚って出入りも難しく、会えない嘆きをかこっていたが、今は思うままに出入りが出来てめでたく、一方弘徽殿の大后は、「憂き世になってしまった」と嘆くのだった。
源氏は何かにつけて、大后が恥ずかしく思うほど丁寧にお仕えして、気を配っている、かえってお気の毒だ、と人びとは噂するのであった。
2018.7.4/ 2021.8.17/ 2023.3.6◎
14.13 冷泉帝後宮の入内争い
兵部卿親王年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣は憂きものに思しおきて、昔のやうにもむつびきこえたまはず。
なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情けなき節も、うち交ぜたまふを、入道の宮は、いとほしう本意なきことに見たてまつりたまへり
世の中のこと、ただなかばを分けて、太政大臣、この大臣の御ままなり。
権中納言の御女、その年の八月に参らせたまふ。祖父殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。
兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、人よりまさりたまへとしも思さずなむありける。いかがしたまはむとすらむ。
兵部卿親王は、源氏の須磨流謫の時の態度がひどく心外で、ただ世間の評判のみを気にしていたので、源氏は気分を害して、昔のように親しく付き合わなかった。
世間一般の人々には、大臣はわけ隔てない思いやりがあったが、この親王については、かなり冷たい態度をとるときがあって、入道の宮(藤壺の宮)は、お気の毒で不本意なことと思っていた。
天下の治世は、二つに分け、太政大臣と源氏の思うがままだった。
頭中将の娘がその年の八月に入内した。祖父の太政大臣が仕切って、立派な儀式だった。
兵部卿親王の中の君も、入内するつもりで大切に養育されているよし知られていたが、源氏は無視したようだ。どうされるおつもりなのだろう。
2018.7.7/ 2021.8.17/ 2023.3.6/3.6◎
14.14 住吉詣で
その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年今年は障ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。
舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ、渚に満ちて、いつくしき神宝かみだからを持て続けたり。楽人、十列とおずらなど、装束をととのへ、容貌を選びたり。
「誰が詣でたまへるぞ」
と問ふめれば、
「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」
とて、はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ。
げに、あさましう、月日もこそあれ。なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがに、かけ離れたてまつらぬ宿世ながら、かく口惜しき際の者だに、もの思ひなげにて、仕うまつるを色節いろふしに思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ」 など思ひ続くるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。
その秋、住吉神社に詣でた。願がかなえられたので、盛大なお出かけになり、世間でも評判になって、上達部、殿上人がわれもわれもとお供してきた。
折りしも、あの明石の上も、例年住吉に詣でていたのだが、去年今年とさし障りがあって、行けなかったので、お詫びもかねて、思い立った。
舟で詣でた。岸に近づくと、見れば大勢の人が声を張り上げて、渚に溢れ、立派な宝物を持っているのだった。東遊びを舞う楽人十人は装束をととのえ、容姿も選ばれた者たちだった。
「誰が詣でているのですか」
と問えば、
「内大臣殿(源氏の君)が願ほどきで詣でるのを知らない人もいるのだ」
と言って、名もなき下衆ですら心地よさそうに笑った。
「実に情けない、他に月日はいくらでもあるのに、この御威勢を遠くから見てしまうと、この身が口惜しく思う。さすがに離れられぬご縁になり、このような下々の者ですら、屈託なくお仕えするのを名誉と思っているのに、どんな前世の罪があって、心からご案じ申し上げているのに、このような参詣の評判も知らずに、出かけてきたのだろう」などと思うと、明石の君はたいへん悲しくなり、人知れず涙するのであった。
2018.7.8/ 2021.8.17/ 2023.3.6◎
14.15 住吉社頭の盛儀
松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆるうえの衣の、濃き薄き、数知らず。六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監うこんのじょう靫負ゆげひになりて、ことごとしげなる随身具したる蔵人なり。
良清も同じ佐にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿、いときよげなり。
すべて見し人びと、引き変へはなやかに、何ごと思ふらむと見えて、うち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りを整へ磨きたまへるは、いみじき物に、田舎人も思へり。
御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束そうぞき、みづら結ひて紫裾濃むらさきすそごの元結なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。
大殿腹の若君、限りなくかしづき立てて、馬添ひ、童のほど、皆作りあはせて、やう変へて装束そうぞきわけたり。
雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさまにてものしたまふを、いみじと思ふ。いよいよ御社の方を拝みきこゆ。
国の守参りて、御まうけ、例の大臣などの参りたまふよりは、ことに世になく仕うまつりけむかし。
いとはしたなければ、
「立ち交じり、数ならぬ身の、いささかのことせむに、神も見入れ、数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空なり。今日は難波に舟さし止めて、祓へをだにせむ」
とて、漕ぎ渡りぬ。
松原の深緑のなかに、紅葉を撒き散らしたような浅い色深い色のほうを着た人たちが数知れない。六位の中にも蔵人は青色がきわだって見えて、あの賀茂神社の端垣を恨んだ右近商監も靫負ゆげひになって、多数の随員を従えていた。
良清も同じ衛門府の佐になって、誰よりも屈託のない様子で、仰々しい緋色の衣をきて、立派だった。
すべて明石で見た人々が、打って変わって、何の心配もなさそうに、あちこちに散らばって見えて、若い上達部や殿上人は競って馬鞍まで磨いて整えてていたのは、見物みものだと明石の田舎人にも思えた。
君の御車を遥かに見やったが、どうしても気後れがして、恋しい影も見ることができない。河原大臣の例にならって、賜った童随身を引き連れて、童たちは実に美しく装束して、みづらを結って、紫裾濃むらさきすそごの元結も可愛らしく、背丈姿のそろった可愛らしい十人が、華やかに見えた。
大将の子の夕霧は、この上もなく大事にかしずかれ、馬添いやお付の童の装束もそろえ、仕様を変えて作っていた。
遥かな盛儀を見るにつけて、この姫君の人数にも入らぬ有様では、ひどく悲しかった。いっそう御社に向かって拝むのであった。
摂津の守が参って、饗応の用意をしたが、並の大臣の時など及びもつかぬ素晴しさであったろう。
実にいたたまれない気持ちがして、
「この盛儀に交じって、数ならぬわたしが些少のことをしても、神の目にとまる数に入るはずもない。帰るのも中途半端だ。今日は難波に舟を止めて、祓いをしよう」
と、漕いで行った。
2018.7.11/ 2021.8.18/ 2023.3.6◎
14.16 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず
君は、夢にも知りたまはず、夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。
惟光やうの人は、心のうちに神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるに、さぶらひて、聞こえ出でたり。
住吉の松こそものはかなしけれ
神代のことをかけて思へば

げに、と思し出でて、
荒かりし波のまよひに住吉の
神をばかけて忘れやはする

験ありな」
とのたまふも、いとめでたし。
君は、夢にも知らずに、一晩中いろいろな神事を奉納した。まことに、神の喜ぶことをし尽くして、今までの願ほどきに添えて、前例がないほど管弦の楽を鳴らして明かした。
惟光のような人は、心から神の御徳を感じめでたいと思った。ふと君が立ったときに側へ寄って申し上げた。
(惟光)「住吉の松を見れば悲しくなります
須磨の昔を思い出して」
実に、と思い出して、
(源氏)「荒々しかった波の音を思うにつけ
住吉の神のご加護は決して忘れない
霊験新たか」
と仰せになるのも、まことにめでたかった。
2018.7.12/ 2021.8.18◎
14.17 源氏、明石の君に和歌を贈る
かの明石の舟、この響きに圧されて、過ぎぬることも聞こゆれば、「知らざりけるよ」と、あはれに思す。神の御しるべを思し出づるも、おろかならねば、「いささかなる消息をだにして、心慰めばや。なかなかに思ふらむかし」と思す。
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ。難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、
今はた同じ難波なる
と、御心にもあらで、うち誦じたまへるを、御車のもと近き惟光、うけたまはりやしつらむ、さる召しもやと、例にならひて懐にまうけたる柄短き筆など、御車とどむる所にてたてまつれり。「をかし」と思して、畳紙に、
みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢ひけるえには深しな

とて、たまへれば、かしこの心知れる下人して遣りけり。駒並めて、うち過ぎたまふにも、心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。
数ならで難波のこともかひなきに
などみをつくし思ひそめけむ

田蓑たみのの島に御禊仕うまつる、御祓への物につけてたてまつる。日暮れ方になりゆく。
夕潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほどのあはれなる折からなればにや、人目もつつまず、あひ見まほしくさへ思さる。
露けさの昔に似たる旅衣
田蓑の島の名には隠れず

道のままに、かひある逍遥遊びののしりたまへど、御心にはなほかかりて思しやる。遊女どもの集ひ参れる、上達部と聞こゆれど、若やかにこと好ましげなるは、皆、目とどめたまふべかめり。されど、「いでや、をかしきことも、もののあはれも、人からこそあべけれ。なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを」と思すに、おのが心をやりて、よしめきあへるも疎ましう思しけり
あの明石の君の舟が、この威勢に気おされて通り過ぎたことを惟光が申し上げると、「知らなかった」と不憫に思った。神のお導きで結ばれた、大切なお方なので、「ちょっと、文をだそう。かえって辛い思いをしているだろう」と思った。
社を発って、あちこちを逍遥し尽くした。難波の御祓えは、特に七瀬に手厚く奉った。堀江のあたりをご覧になって、
「今はた同じ難波なる」
と何気なく口ずさむと、車の近くにいた惟光が、聞きつけてこのようなご用命もあらんと、いつものように懐に入れた柄の短い筆をだして、車を止めたところでさしあげた。「感心なことだ」と思って、懐紙に、
(源氏) 「身を尽くして恋うている証しに澪標みおつくしのあるここで
会えるとは深い縁ですね」
と歌をしたためて、あちらの気心を知っている者を遣わした。駒並めて通り過ぎるだけでも、明石の君の心は動き、ただ一言だけれど、実にありがたく恐れ多く、涙した。
(明石の上)「人数にも入らない甲斐ないわたしなのに
どうして身を尽くしてあなたをお慕いしたのでしょう」
田蓑の島に源氏が禊するその禊の木綿ゆうにつけて、返歌した。日暮れになった。
夕潮が満ちてきて、入江の鶴も声を惜しまず啼いていて趣きがあったので、人目もかまわず、逢いたいと切に思うのだった。
(源氏)「涙にくれて旅衣を濡らした昔と同じく
田蓑たみのの島とはいうけれど身は隠せず涙にくれています」
帰りの道々、見どころを逍遥し管弦の遊びをにぎやかにしたが、心は明石の君でいっぱいだった。遊女たちが来ていたが、上達部でも若く好き者たちは、皆、好奇の目で見ていた。しかし、「どんなもんだろう、風情を感じるのも、もののあわれも、相手の女次第だからなあ。普通の色恋沙汰でも、少し浮ついたところがあれば、気も惹かれないものだ」と思うので、遊女たちがこれ見よがしに媚を売るのも疎ましく思った。
2018.7.22/ 2021.8.19 / 2023.3.7◎
14.18 明石の君、翌日住吉に詣でる
かの人は、過ぐしきこえて、またの日ぞ吉ろしかりければ、御幣みてぐらたてまつる。ほどにつけたる願どもなど、かつがつ果たしける。また、なかなかもの思ひ添はりて、明け暮れ、口惜しき身を思ひ嘆く。
今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず、御使あり。このころのほどに迎へむことをぞのたまへる。
「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、中空に心細きことやあらむ」
と、思ひわづらふ。
入道も、さて出だし放たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐさむを思はむも、なかなか来し方の年ごろよりも、心尽くしなり。よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。
明石の姫は、君が通り過ぎて、その翌日が吉だったので、幣を手向けた。分相応の願いをともかくも果たしたのだった。しかし、明石に帰っても、物思いが去らず、明け暮れ、口惜しいわが身を嘆いた。
まだ京にお着きにならない日数に、使いがあった。近いうちに迎えに行くと書いてある。
「実に頼もしく、人数に入れて仰せになるが、さて、島を漕ぎ離れて中途半端に鳴りはしないか」
と心配するのだった。
入道も、娘も子もに送り出すのは心配だが、かといって田舎に埋もれて過ごすのも、かえって今までの歳月よりも心配だ。何かと気がかりで、決心がつかない旨お便りするのだった。
2018.7.22/ 2021.8.19◎
14.19 斎宮と母御息所上京
まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば、御息所上りたまひてのち、変はらぬさまに何ごとも訪らひきこえたまふことは、ありがたきまで、情けを尽くしたまへど、「昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ」と、思ひ放ちたまへれば、渡りたまひなどすることはことになし。
あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがたく、とかくかかづらはむ御歩きなども、所狭う思しなりにたれば、強ひたるさまにもおはせず。
斎宮をぞ、「いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう思ひきこえたまふ。
なほ、かの六条の旧宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること、旧りがたくて、よき女房など多く、好いたる人の集ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、罪深き所ほとりに年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。
大臣、聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねどなほさる方のものをも聞こえあはせ、人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、おどろきながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御訪らひ聞こえたまふ。
近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、「絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでや」と、口惜しうて、いみじう泣いたまふ。
そういえば、斎宮も替わったので、御息所は京へのぼってきたが、君は、昔と変わらぬさまに何事も時季折々にお見舞を出されたが、おそれ多くも真心を尽くしていたが、「昔だってつれなかったのにまた同じ仕打ちをされるのご免だ」と御息所は心に決めていたので、君が訪れることはなかった。
強いて御息所の心を動かして逢瀬を遂げても、自分の心がどうなるか分からないので、何かと支障のある忍び歩きも煩わしく、あえて逢いに行こうとしない。
斎宮を、「どんなに成長されたことだろう」ととても会いたいと思うのだった。
昔のように、御息所は六条の旧邸をよく修理して手入れしていたので、優雅に住んでいた。風情のある様は昔どおりで、よい女房たちが多く集まり、風流を好む人たちの集う所となっていたが、物寂しく、気ままに過ごしているうちに、急に重い病にかかり、たいへん心細くなったので、伊勢の斎宮で過ごした罪深い年月もあり、忌むべくことに思い、尼になった。
君は、それを聞いて、男女の問題ではなく、風雅に関する話し相手にもなる方と思っていたので、尼になる決心をしてしまったのをしごく残念に思い、驚いて訪ねた。何度も何度も悲しい気持ちでお見舞いを申し上げるのだった。
枕元近くに源氏の御座をもうけて、脇息によりかかって、御息所がご返事などを言うのも、すごく弱っていたので、「わたしの変わることのない好意を理解しないまま終わるのか」と残念に思って、激しく泣いた。
2018.7.24/ 2021.8.19/ 2023.3.7◎
14.20 御息所、斎宮を源氏に託す
かくまでも思しとどめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。
心細くてとまりたまはむを、かならず、ことに触れて数まへきこえたまへまた見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで、見たてまつらむことこそ思ひたまへつれ」
とても、消え入りつつ泣いたまふ。
「かかる御ことなくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこえむとなむ思うたまふる。さらに、うしろめたくな思ひきこえたまひそ」
など聞こえたまへば、
「いとかたきこと。まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけてもあぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむうたてある思ひやりごとなれどかけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身を抓みはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」
など聞こえたまへば、「あいなくものたまふかな」と思せど、
年ごろに、よろづ思うたまへ知りにたるものを、昔の好き心の名残あり顔にのたまひなすも本意なくなむ。よし、おのづから」
とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかにものより通りて見ゆるを、「もしもや」と思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。帳の東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの悲しと思いたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。
御髪のかかりたるほど、頭つき、けはひ、あてに気高きものから、ひちちかに愛敬づきたまへるけはひ、しるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、「さばかりのたまふものを」と、思し返す。
「いと苦しさまさりはべる。かたじけなきを、はや渡らせたまひね」
とて、人にかき臥せられたまふ。
「近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」
とて、覗きたまふけしきなれば、
「いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいとかく限りなる折しも渡らせたまへるは、まことに浅からずなむ。思ひはべることを、すこしも聞こえさせつれば、さりともと、頼もしくなむ」
と聞こえさせたまふ。
「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たち、あまたものしたまへど、親しくむつび思ほすも、をさをさなきを、主上うえの同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかばさこそは頼みきこえはべらめ。すこしおとなしきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」
など聞こえて、帰りたまひぬ。御訪らひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。
これほどまでに思ってくださっていたのかと、御息所はすっかり感動して、斎宮のことを話すのだった。
「心細いことになるでしょうが、かならず事あるたびに、数に入れて世話をしてやってください。親代わりの人もなく、頼りない暮らしになるでしょう。わたしは何の力もありませんが、いま少し生きていれば、何とかして斎宮が分別がつくまでは、面倒を見ようと思っておりました」
と、消え入りそうに泣くのだった。
「そのようなお言葉がなくても、斎宮を心にかけぬはずもないものを、ましてお頼みがあっては、気のつく限り、何事もお世話をしようと思います。どうか、ご心配なさらぬように」
など仰せになると、
「難しいことでございます。まことに頼るべき親がおりましても、女親がいなくなれば、実にあわれな状態になります。まして、愛人扱いするにしても、面白からぬ事も起こって、他の女たちから憎まれたりすることもありましょう。いやな気の回しようですけれど、娘を決して好色めいた扱いをしないでいただきたいのです。我が身をかえり見ましても、女はことに不本意なことで物思いにふけりがちですので、どうかして男女関係から離れた暮らしをさせたいと思います」
などと申し上げるので、「思い切ってずけずけ言うなあ」と思ったが
「近頃は、苦労も重ねて思慮分別もできたのに、若い頃の好き心のままに言われるのも残念です、いずれ分かるでしょう」
外は暗くなり、内は燭台の光がほのかに透けて見えたので、「もしや」と思って、そうっと几帳のすきまから見ると、かすかな火影のなかで、御髪を美しくあざやかに尼そぎにして、脇息に寄りかかる御息所の姿は、絵に描いたようで、すばらしく美しかった。帳の東面に添って臥しいるのは、娘であろう。几帳が無造作に引かれたすきまから、目を凝らして見通すように見ると、頬杖をして、物悲しい風情であった。見たのはちらっとだが、美しい娘のようであった。
髪がかかっている具合、頭つき、感じは、品があり気高く、小柄で愛敬がある様子は、はっきりと見えたので、気が引かれたが、「あれほど御息所が仰せになったのに」と思い返すのだった。
「気分が悪くなってきました。恐れ多いのですが、早くお引取りください」
とて女房に横にさせられる。
「お伺いした甲斐があって、具合がよくなればうれしいのですが、困りました。ご気分はどうですか」
と言って覗く様子なので、
「とてもひどい姿をしてます。病がすすんで最後という時になってお越しになられて、まことに浅からぬ縁なのでのでしょう。思っていることを少しお話できましたので、さすがに頼もしく思います」
と仰せになるのだった。
「このような御遺言の列に加えられて、感無量です。故院の御子たちはたくさんいらっしゃいますが、親しく思ってくださる方も居られないので、故院は姫を御子たちと同じく数まえられましたので、兄妹として頼られたのでしょう。すこし分別もついた歳になりましたので、養育する子もないのは、物足りなかったで」
などと仰せになって、帰って行った。お見舞いはねんごろになり、多くなった。
2018.7.27/ 2021.8.19/ 2023.3.7◎
14.21 六条御息所、死去
七、八日ありて亡せたまひにけり。あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参りたまはず、とかくの御ことなど掟てさせたまふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかにことども定めける。
御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。
「何ごともおぼえはべらでなむ」
と、女別当して、聞こえたまへり。
「聞こえさせ、のたまひ置きしこともはべりしを、今は、隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」
と聞こえたまひて、人びと召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人びと、数もなう仕うまつらせたまへりあはれにうち眺めつつ、御精進にて、御簾下ろしこめて行はせたまふ
宮には、常に訪らひきこえたまふ。やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。つつましう思したれど、御乳母など、「かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。
雪、霙、かき乱れ荒るる日、「いかに、宮のありさま、かすかに眺めたまふらむ」と思ひやりきこえたまひて、御使たてまつれたまへり。
「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。
降り乱れひまなき空に亡き人の
天翔るらむ宿ぞ悲しき

空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり。若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。
宮は、いと聞こえにくくしたまへど、これかれ、
「人づてには、いと便なきこと」
と責めきこゆれば、鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして、
消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
わが身それとも思ほえぬ世に

つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。
御息所は七、八日あまりたってお亡くなりになった。源氏は、がっかりして、世の無常も感じ、心細く思われ、内裏にも参内しない。何かと法事の手配をする。他に頼る親戚もいない。昔からの斎宮の宮司など、馴れたものが出仕して、なんとか諸事を取り仕切った。
ご自分も邸に行かれた。斎宮にご挨拶をした。
「何も分からず取り乱しています」
と、女別当を通して言い寄越した。
「生前にお話をし、母君も遺言されました、今は遠慮なく相談相手と思って下さればうれしい」
と君は仰せになって、女房たちを召し出して、なすべき事をお命じになる。頼もしげで、 年ごろの冷たい仕打ちは償われたように見えた。葬儀は厳粛に行い、たくさんの人を呼んで手伝わせた。ご自身もしみじみと物思いに沈み、精進して、御簾を下ろしてお勤めした。
斎宮には、ひんぱんにお見舞いを出した。ようやく心も落ち着き、自分でご返事を書くようになった。気恥ずかしかったが、乳母などが「代筆では恐れ多いこと」と進言したのだった。
雪や霙が荒れた日に、「宮はどんなにか寂しい思いをしていることだろうか」と気配りし思いはかって、お使いを出すのだった。
「この空をいかにご覧になっていますか
(源氏)雪が絶え間なくふる空に母君の御霊が
邸の上を天翔けているのが悲しい」
空色の紙の、少し黒ずんだものに書かれていた。若い人の目にとまるように、心を尽くして書いたが、実に目に鮮やかだった。
宮は返事に戸惑っていたが、二、三の女房が、
「代筆では失礼です」
と注意されて、鈍色の紙に、香をたきしめて、墨の濃淡を美しく紛らして、
(斎宮)「消えがてに降る雪が悲しい、
わが身も消えがてに悲しい日々を送っています」
遠慮がちな書きざまは、じつにおっとりして、手は優れてはいないが、可愛げがあり上品な筋に見えた。
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14.22 斎宮を養女とし、入内を計画
下りたまひしほどよりなほあらず思したりしを、 「今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし」と思すには、例の、引き返し、
「いとほしくこそ。故御息所の、いとうしろめたげに心おきたまひしを。ことわりなれど、世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを、引き違へ、心清くてあつかひきこえむ主上うえの今すこしもの思し知る齢にならせたまひなば内裏住うちずみせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と思しなる。
いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべき折々は渡りなどしたまふ。
「かたじけなくとも、昔の御名残に思しなずらへて、気遠からずもてなさせたまはばなむ、本意なる心地すべき」
など聞こえたまへど、わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせたてまつらむは、いと世になくめづらかなることと思したれば、人びとも聞こえわづらひて、かかる御心ざまを愁へきこえあへり。
女別当にょべとう内侍ないしなどという人々も、あるは、離れたてまつらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。この、人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人に劣りたまふまじかめり。いかでさやかに、御容貌を見てしがな」
と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。
わが御心も定めがたければ、かく思ふといふことも、人にも漏らしたまはず。御わざなどの御ことをも取り分きてせさせたまへば、ありがたき御心を、宮人もよろこびあへり。
はかなく過ぐる月日に添へて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、さぶらふ人びとも、やうやうあかれ行きなどして、下つ方の京極わたりなれば、人気遠く、山寺の入相の声々に添へても、音泣きがちにてぞ、過ぐしたまふ。同じき御親と聞こえしなかにも、片時の間も立ち離れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは、例なきことなるを、あながちに誘ひきこえたまひし御心に、限りある道にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、干る世なう思し嘆きたり。
さぶらふ人びと、貴きも賤しきもあまたあり。されど、大臣の、
御乳母たちだに、心にまかせたること、引き出だし仕うまつるな
など、親がり申したまへば、「いと恥づかしき御ありさまに、便なきこと聞こし召しつけられじ」と言ひ思ひつつ、はかなきことの情けも、さらにつくらず。
伊勢に下向された頃から、このままでは済まないと思っていたが、「今はいつでも口説ける」と思うが、例によって考え直し、
「それではお気の毒だ。六条御息所が心から心配して気にしておられたことだ。無理もないが、世間の人もそのように邪推するだろう、ここは反対に、心清くお世話しよう。帝がいま少し世間を知る歳になったら、内裏住まいにさせて、自分は暇だから、今は大切にお育てしよう」と思うのだった。
実に細やかに念入りに使いを出し、しかるべき時は自ら邸に出かけるのだった。
「恐れ多いが、亡き母上の身代わりと思って、遠慮せずに接していただければ、まことにうれしいのですが」
などと仰せになるが、宮は大変な恥ずかしがりやで内気なので、わずかでも声を聞かせるなどということは、まったくありえないことと思っておられるので、女房たちも言い出せなくて困っていて、このような性格を心配するのだった。
「女別当、内侍などいふ人びとは、血縁の離れていない皇族出身者たちで、たしなみのある人々が多かった。源氏がひそかに考えている入内に際しても、他の妃たちに劣ることはあるまい。どうかしてはっきりと容姿を見たいものだ」
と思うのも、あながち真の親心だけではないのだろう。
君は、自分の心も確と定まらないので、こう思っている胸の内を人に漏らさなかった。法事なども格別ねんごろにされるので、ありがたい御心を、宮家の人々もよろこび合った。
はかなく過ぎる月日につれて、宮家ではすごく寂しく心細いことばかりがつのって、仕える人々もようやく暇をとって去ってゆき、下京のあたりでは、人気も少なく、山寺の入相いりあいの鐘の音が聞こえて、斎宮は声に出して泣きたくなる日々であった。同じく親といっても、片時もその側を離れずにそれが習いになってしまったので、斎宮が親を同伴して伊勢下向したことも、前例のないことであって、あえて親と一緒に下向して、それほどの離れたくない気持ちでも、さすがに死出の道はお供できず、涙にくれた。
宮家に仕える人々は、身分が貴いのも低いのもいた。しかし、源氏が、
「たとえ乳母であっても自分勝手なことをしてはならぬぞ」
など、父親のような調子で申し伝えたので、「源氏のご立派な配慮に、ご面倒はかけられない」と言いまた思って、風流なことや恋の仲立ちなどはご法度になった。
2018.7.29/ 2021.8.20/ 2023.3.8◎
14.23 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執
院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきければ、
「参りたまひて、斎院など、御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」
と、御息所にも聞こえたまひき。されど、「やむごとなき人びとさぶらひたまふに、数々なる御後見もなくてや」と思しつつみ、「主上は、いとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはむ」と、憚り過ぐしたまひしを、今は、まして誰かは仕うまつらむと、人びと思ひたるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり
大臣、聞きたまひて、「院より御けしきあらむを、引き違へ、横取りたまはむを、かたじけなきこと」と思すに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。
「かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに、母御息所、いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなき好き心にまかせて、さるまじき名をも流し、憂きものに思ひ置かれはべりにしをなむ、世にいとほしく思ひたまふる。この世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、今はとなりての際に、この斎宮の御ことをなむ、ものせられしかば、さも聞き置き、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたまひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。おほかたの世につけてだに、心苦しきことは見聞き過ぐされぬわざにはべるを、いかで、なき蔭にても、かの恨み忘るばかり、と思ひたまふるを、 内裏にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを、御定めに」
など聞こえたまへば、
「いとよう思し寄りけるを、院にも、思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて、知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。今はた、さやうのこと、わざとも思しとどめず、御行なひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思しとがめじと思ひたまふる」
「さらば、御けしきありて、数まへさせたまはば、もよほしばかりの言を、添ふるになしはべらむとざまかうざまに、思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へも、まねびはべるに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」
など聞こえたまて、後には、「げに、知らぬやうにて、ここに渡したてまつりてむ」と思す。
女君にも、しかなむ思ひ語らひきこえて、
「過ぐいたまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」
と、聞こえ知らせたまへば、うれしきことに思して、御渡りのことをいそぎたまふ。
朱雀院は、あの伊勢下向の時の大極殿の厳かな儀式の時、恐ろしいほど美しく見えた容貌を、忘れがたく思っていたので、
「院の御所に参内して、斎宮などの同輩の宮たちもおられるので、どうか仕えてください」
と御息所に申し出があった。しかし「高貴な身分の方々が大勢おられるなかで、相応の後見もなくては」と心配し、「院は病気がちなのも気がかりで、この上物思いの種を加えかねない」と敬遠していたが、御息所亡き後誰が出仕の世話ができようと、女房たちはあきらめていたが、院のご要望は続いていた。
源氏はこれを聞いて、「院からご意向があって、それに逆らって横取りするのも恐れ多い」と思うに、斎宮のありさまが実に可愛らしくて、手放すのは惜しいと思い、藤壺入道の宮に相談するのだった。
「これこれのことで、思い悩んでおりまして、母御息所は落ち着いて思慮深い方でいらっしゃいましたが、わたしが好き心にまかせて、あるまじき浮き名を流し、恨めしい男に思われてしまったので、まことにお気の毒なことをしました。生前は、その恨みが晴れることはなかったのですが、いまわの際になって、この斎宮のことを申されて、後事を託せる者としてわたしに言い置か れて、思い残すことはないと思っていたのだと思うと、堪えがたい気持ちになります。直接関りのない人でも、心苦しいことは見過ごせない性分なので、どうかして草葉の陰からでもあの恨みを忘れてほしいと思っているのですが、帝も少しは大人びて来ましたが、まだ幼いですので、少し年上で物の心を知る人がお側に仕えてもいいと思うのですが、どうでしょうか」
など申し上げると、
「よくぞお考えなさいました。院のご意向は、実にかたじけなくお気の毒ですが、かの御息所のご遺言を口実にして、知らぬ顔をして入内させるのがよろしいでしょう。院は今は、そのようなことは、あまり気にされず、勤行に熱心で、このように申し上げても、帝は深くはお気にとめないと思います」
「それでは、そのようなご内意があって、妃の一人としてお認め下さるならば、わたしはほんの口ぞえ程度にということにしましょう。あれこれと考えを尽くしましたが、これほど詳細にありのまま申し上げては、世人はどう思うか、心配です」
など仰せになって、後には、「実際知らぬふりをして、この邸にお連れしよう」と思うのだった。
紫の上にも、事情を語り聞かして、
「帝のお付き合いのお相手としては、丁度いい年ごろです」
と仰せになると、うれしいことと思い、斎宮の引越しの支度を急ぐのだった。
2018.7.31/ 2021.8.20/ 2023.3.8◎
14.24 冷泉帝後宮の入内争い
入道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騷ぎたまふめるを、「大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦しく思す。
権中納言の御女は、弘徽殿の女御と聞こゆ。 大殿の御子にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。主上もよき御遊びがたきに思いたり。
「宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて雛遊びの心地すべきを、おとなしき御後見は、いとうれしかべいこと」
と思しのたまひて、さる御けしき聞こえたまひつつ、大臣のよろづに思し至らぬことなく、公方の御後見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ばへの、いとあはれに見えたまふを、頼もしきものに思ひきこえたまひて、いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、心やすくさぶらひたまふこともかたきを、すこしおとなびて、添ひさぶらはむ御後見は、かならずあるべきことなりけり。
藤壺入道は、兵部卿の宮が姫君を早く入内させようと大切に育てているのを、「源氏と仲が悪いのでどうされるのだろう」と心配に思っていた。
頭の中将の娘は、弘徽殿の女御になっていた。大殿の養子にした子で、実に美々しく育てられていた。帝もよき遊び相手と思っていた。
「兵部卿の宮の中の君も同じ年ごろなので、また雛遊びになってしまそうですので、大人びた世話役は、実にうれしいことです」
と思い申し上げて、そのご意向をお伝えになり、一方源氏は万事について思い至らぬところなく、公の御後見は言うに及ばず、明け暮れにつけて、細やかな心遣いは実に見事に見えて、藤壺入道には頼もしく思えていたのだが、ご自身が病気がちだったので参内しても心安く側に侍してやることもできないので、少し大人びて側に侍していることのできる後見役は必ず必要だった。
2018.7.31/ 2021.8.21/ 2023.3.8◎ 
 13 明石 次頁へ
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読書期間2018年5月14日 - 2018年7月31日