イエス伝

15 イエスの今、この時

イエスは、ヨハネの弟子たちが帰ると、さっそく洗礼者ヨハネのことを語り始めた。イエスはヨハネを語ることによって、 自らのことをより鮮明に語ることができたのである。ここでヨハネを語ることによって、イエスは自分の存在証明をはっきり 提示しています。イエスは次のように雄弁に語ります。

117ヨハネの弟子たちが帰ると、 イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。 風にそよぐ葦か。8では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。 しなやかな服を着た人なら王宮にいる。9では、何を見に行ったのか。預言者か。 そうだ。言っておく。預言者以上の者である。10『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、 /あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。11はっきり言っておく。 およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、 彼よりは偉大である。12彼が活動し始めたときから今に至るまで、 天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。 13すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。 14あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、 彼は現れるはずのエリヤである。15 耳のある者は聞きなさい。」 (『マタイ伝』11:7-11:15)

イエスは、「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか」とまず問いかけ、 そのあとたたみかけるように、風にそよぐ葦か、しなやかな服を着た人か、預言者か、と問いかける調子は、 大変迫力があります。ことに「風にそよぐ葦か」の句は、初見では詩的なイメージが喚起されますが、 英語ではすでに慣用句になっていて、頼りない人のたとえです。風が吹く方向によって葦がなびくように、他人の意見に左右される 人の意味です。「しなやかな服を着た人」は、洗礼者ヨハネが「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め」ているので、 それに対比したイメージを持ってきて、王族つまり地上の権力者を表しています。 そして本当に言いたいこと、つまり預言者を最後に持ってきます。イエスはここから話を始めたいのである。 そしてヨハネを、預言者以上の者であるといって、ユダヤ始まって以来の最大級の位置づけをします。 そのヨハネですら、天の国では最も小さい者でも、ヨハネより偉大である、と来るべき天の国の有り様が説明されます。 イエス特有の逆説的表現である。

ユダヤの歴史は二重の歴史です。一つは民族と国家の興亡の歴史です。出エジプトから、カナンへの侵入と定住、 ダビデの王国の建設とその分裂、新バビロニアによる占領とバビロン捕囚、その後もずっと他国による占領と統治が続き、 そして今はローマに支配されている地上の歴史です。もう一つは神の啓示、黙示の歴史であり、またこれは預言者たちの歴史でもある。 これはイエスが問題にした唯一の歴史であり、神への信仰の歴史です。

イエスは、ユダヤの歴史を次のように見事に総括する、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」と。 始祖アブラハムから連綿と続いてきたユダヤの栄光と苦難の歴史は、洗礼者ヨハネの出現でもって終わったと宣言しているのである。 そしてそのヨハネは、エリヤの再来であるといっています。エリヤは、モーセ以後最大の預言者といわれ、 ユダヤの人々に人気のあった預言者です。雨を降らせたり死人を生き返らせたり色々な奇跡も行いました。神の啓示を受け、 多神教を信じる者達と戦い、最後はつむじ風に乗って天に上げられました。死んだと書いてないので、再来すると一般の人々に 信じられていた預言者です。エリヤの再来は聖書にも予言されています✽1。 ユダヤの民衆が待望していたエリヤがすでに来たのなら、これから人々は何を期待したらいいのだろうか。 そこから先のことは、イエスははっきりと説明していません。しかし話の筋道から、来るべきのもの出現は自ずから暗示されるのである。 ただイエス自身が、それは私だ、と断言していないだけである。これがイエスの歴史認識である。ユダヤの歴史は終わったのだ、 あとは最後の大団円が待っているだけである。

ヨハネが最後の預言者だとすれば、預言者はもう出ないのだろうか。そうだ、出ないのである。出る必要がないし その余地もないのである。長い間民衆から再来を信じられたエリヤも、ヨハネとなって現われた。 預言者を必要とする時代は終わったのだ。そうすれば、これからどうなるのであろうか。これがイエスがくり返し 「天の国は近づいた」と宣言していることの意味である。イエスの今、イエスのこの時を境に、歴史は二つに分かれる。 そしてこれからは一つになるだろう。今までは、王と預言者の混在した時代、ユダヤの民の栄枯盛衰と神の告知が混在した時代、 つまり塵からできて塵に返る✽2人間の時代だった。 これからは、神の国の時代になるのだ✽3、と イエスは言っているのです。


✽1「見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/ 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/ この地を撃つことがないように。」(『マラキ書』3:23-24)
✽2「塵にすぎないお前は塵に返る」(『創世記』3:19)
✽3 前章とこの章は、ヨハネの弟子がイエスの元に遣わされ、 イエスが何者であるか問い合わせる内容になっていますが、 この記述はマルコにはありません。ルカには同じ内容でありますが、「天の国で最も小さな者でも、 彼よりは偉大である」で終わっております。そうするとマタイのみが このように書いていますが、そのゆえにこれはマタイの信仰が書かしめたものであるとする説もあります。 イエスが実際に語った言葉はどこまでかを特定するのは不可能なことです。仮にこの内容がマタイの信仰によるものとしても、 イエスの教説から推定して、ここに引用したイエスの言葉は、自然なそして論理的な帰結であるように思われます。
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公開日2009年8月22日
更新11月23日