阿含経を読む

()の喩えの経

南伝 中部経典63
漢訳 中阿含経221
2
そこで、世尊は仰せられた。
「マールンクヤプッタよ、かって、わたしは、<来れ、マールンクヤップタよ、汝は、わたしのところに来て清浄の行を修するがよい。さすれば、わたしは、汝のために、あるいは«世界は常住である»とか、«世界は無常である»とか、・・・あるいは«人は死後に存するのでもなく、存しないのでもない»とか説くであろう>と言ったであろうか」
「いいえ、世尊よ、そのようなことはございません」
「では、あるいは、汝が、わたしに、<世尊よ、わたしは世尊の御許において清浄の行を修します。だから世尊は、わたしのために、あるいは«世界は常住である»とか、«世界は無常である»とか、・・・«人は死後に存するのでもなく、存しないのでもない»とか説いていただきたい>と言ったであろうか」
「いいえ、世尊よ、そのようなことはございません」
「そうだとすると、マールンクヤプッタよ、わたしは、<来れ、マールンクヤプッタよ、わたしの許に来って、清浄の行を修するがよい。さすれば、わたしは、汝のために、それらのことどもを説くであろう>とは言わなかった。また、汝もまた、<世尊よ、わたしは世尊の御許において清浄の行を修しますから、世尊は、わたしのために、それらのことを説きたまえ>とは言わなかったのである。とするならば、愚かなる者よ、汝は誰であって、誰に文句をいわんとするのであるか。
まことに、マールンクヤップよ、誰ぞ人ありて、<世尊が、わたしのために、«世界は常住である»とか、«世界は無常である»とか、・・・あるいは«人は死後に存するのでもなく、存しないのでもない»とか説いてくださらないうちは、わたしは、世尊の御許において清浄の行を修しないであろう>と語ったとするがよい。そして、マールンクヤップよ、それらのことが、わたしによって説かれなかったならば、その人はそのまま命終(みょうじゅう)しなければならないであろう。マールンクヤップよ、それは、ちょうど、人があって、厚く毒を塗られた箭をもって射られたようなものである。すると、彼の友人・仲間・縁者は、彼のために箭医を迎えにやるであろう。だが、彼は、<わたしを射た者はクシャトリヤ(刹帝利)なのか、ブラーフマナ(婆羅門)なのか、ヴァイシャ(吠舎)なのか、あるいはシュードラ(首陀羅)なのか、それが判らないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとするがよい。また、彼は、<わたしを射た者は、いかなる名、いかなる姓であるか、それが判らないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た者は、その皮膚が黒いか、褐色か、あるいは金色か、それが知れぬうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た者は、村の人か、市場の人か、あるいは、都市の人か、それが知れないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た弓は、いったい、張弓なのか、いし弓なのか、それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た弓の弦は、アッカ草の弦なのか、サンタ草の弦なのか、ナハル草の弦なのか、あるいはマルヴァー麻の弦なのか、あるいは、乳葉樹の弦なのか、それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た箭の羽根はなんの羽根であろうか、鷲のであろうか、蒼鷺のであろうか、鷹のであろうか、孔雀のであろうか、あるいはシティラハヌ鳥のであろうか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た箭柄(やがら)芦のであるか、ロビマのであるか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た箭柄の羽根はなんの羽根であろうか、鷲のであろうか、蒼鷺のであろうか、鷹のであろうか、孔雀のであろうか、シティラハヌ鳥のであろうか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射た箭柄はなんの筋で巻いてあるのか、牛のであるか、水牛のであるか、鹿のであるか、あるいは猿のであろうか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとする。また、彼は、<わたしを射たかの箭は、ふつうの箭であろうか、あるいは尖箭(せんせん)であろうか。鉤箭であろうか、狩猟用の箭であろうか、牛の歯型の箭であろうか、あるいは、また、夾竹桃の葉状の箭であろうか。それが判らないうちは、この箭を抜いてはならない>といったとするがよい。それでは、マールンクヤプッタよ、その人は、それらのことが知られないうちに、そのまま命終しなければならないであろう。そして、マールンクヤプッタよ、それとおなじように、もし人あって、<世尊が、わたしのために、«世界は常住である»とか、«世界は無常である»とか、・・・あるいは«人は死後に存するのでもなく、存しないのでもない»とか説いてくださらないうちは、わたしは、世尊の御許において清浄の行を修しないであろう>と語ったとするがよい。さすれば、マールンクヤプッタよ、それらのことが、わたしによって説かれなかったならば、その人はそのまま命終しなければならにであろう」
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注解
クシャトリヤ以下、インドのカーストである。原文はパーリであるが、一般にはサンスクリットによって知られているので、ここにその音写をもって表記した。それを並記して示せば、つぎのようである。
クシャトリヤ(ksatriya-P.khattiya) 王族・武士である。
ブラーフマナ(brâhmaηa-P.brâhmaηa) 婆羅門である。
ヴァイシャ(vaisya-P.vessa) 庶民である。
シュードラ(sûdra-P.sudda) 奴隷である。
更新2007年6月17日