漢文の初歩

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 「焉」の読み方は「えん」や「いずくんぞ」、意味は「いずこ」「これ」「ここに」などがあります。また、漢文では句末に置いて断定や詠嘆の語気を強める助字として使われることもあります。(Google AI)

  猶(なを)は、「やっぱり」「依然として」「それでも」という意。ここでは「(変わることなく)依然として」の意。/1.他の事情・状態が変わったのに、相変わらず。やはり。2.そのうえ。更に。一層

  漢文の「而」は、主に「しかし」「そして」といった接続詞的な意味を持ち、「しかりて」「しこうして」と読まれたり、訓読では読まない「置き字」として使われたりします。文脈に応じて「順接」や「逆接」など、さまざまな接続関係を表します。一字で「ジ」と読む。
しかりて / しこうして: 「そして」「それから」といった順接の意味。 「しかし」「しかるに」といった逆接の意味。 「しかも」「それにもかかわらず」といった意味。
置き字の場合: 現代の日本語で訓読する際に、発音しないことが多い文字です。

  「豈」は漢文で用いられる「反語」の言葉で、「どうして~だろうか、いや~ない」という意味になります。基本は、豈~哉とセットで使われる。また、読み方には「あに」や音読みの「がい」などがあります。 意味:「どうして~だろうか、いや~ない」という反語の表現を作ります。 読み方:「あに」と読みます(訓読み)。 文の形:「豈に~(未然形)+んや」で「あに~んや」と読みます。 例文:「豈に千里を遠しとせんや」は「どうして千里の道のりも遠いと思うだろうか」という意味です。 ////

  「矣」(い)は、漢文で句末に置かれる「置き字」の一種で、断定、完了、変化、詠嘆などの意味を表す助字です。書き下し文では、「である」「だなあ」などと訳されるほか、詠嘆を表す助詞として「かな」と読む場合もあります。 /文において「置き字」とは、訓読するときには読まずに、単に置いてあるように見える文字のことです。主な置き字には「於」「于」「乎」「而」「焉」「矣」の6字があります。/焉(エン)」「矣(イ)」 文末に置かれ、詠嘆や強意などを表し、語調を強める働きをします。「!」みたいなものです。

  「乎」の読み方は、文の役割によって**「か」・「や」・「かな」などの助詞として読む場合と、「コ」・「オ」といった音読みの場合があります。文末の疑問・反語では「か」または「や」、詠嘆では「かな」と読み、文中の置き字としては「コ」や「オ」と読んだり、送り仮名(「を」**)をつけたりします。

  「衍」の読み方は「エン」と「はびこる」などです。意味は「あふれる」「広がる」「詳しく説明する」「余分な」などがあり、「敷衍(ふえん)」や「衍義(えんぎ)」などの熟語で使われます。 ////

  「哉」の漢文での読み方は「や」または「かな」で、文脈によって「疑問」や「詠嘆」を表します。疑問の場合は「~だろうか」「~できようか」と訳し、詠嘆の場合は「~だなぁ」と感動を表します。(Google AI)

  音 すい、 訓 いえども、ただ

  「而」の読み方は 「じ」「なんじ」(音読み)や、「しかして」「しかも」「しかるに」「すなわち」(訓読み)など、文脈によって様々です。また、漢文訓読では「〜して」や「〜して」の送り仮名をつける代わりに、「而」を「シ」と読むか、「しかし」「そして」といった意味で文脈に応じて解釈する「置き字」として使われることが多く、その場合は読まないこともあります。
楞伽  「楞伽」の読み方は主に「りょうが (Ryōga)」です。特に仏教経典の『楞伽経(りょうがきょう)』として使われ、楞伽経(ランカーヴァターラ・スートラ)は如来蔵思想や唯識思想が説かれる重要な経典で、初期禅宗でも重視されました. 楞伽経(りょうがきょう): この楞伽山(または城)で釈迦が教えを説いたとされる大乗仏教の経典です。如来蔵思想や唯識思想を説き、特に禅宗で重んじられました。 元々はインド南端(現在のスリランカ)にあったとされる山の名前、またはその古名「ランカー」を漢字で表したものです。/ 「楞伽」とは、印度の南にある、かつてはセイロンと呼ばれていたスリランカの古名「ランカー」のことです。『楞伽経』は、このスリランカで説かれたことになっているのです。(色々なサイトから)
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公開日2025年11月1日