基 著者富永仲基の名の一字。自称。
細席に いちいち詳しく。
因縁する 経説の由来を探求する。
屬籍する 書籍に綴る。著述する。(水田)「属籍」の註で、付属する所の典籍である。関係ある経典の意(吉川・京戸)/ (水田註では)仲基が自説を本に書く意にとれるが、その他の註では、根拠を仏典に当たる、意にとれる。どちらの解釈もあり得るようだが、悩んだあげく最終的に管理人は後者をとった。
曰く、儒佛の道も亦猶是のごとく也。皆善を樹つるに在るのみ。然るに其の道の義を細席に因縁するに至りては、則ち豈に説無きことを得ん乎。即ち屬籍すること無きこと能はざるなり。是に於てか出定成りぬ。
「あに説なきことを得んや」説明が必要だろう。「屬籍することなきことあたはざるなり」はじめはこの本(出定後語)を書かざるを得なかった、の意に解したが、最終的に、仏典・漢籍に当たらざるを得なかった、の意にとった。
以下、他の解釈を挙げておく。
① これらによって、儒教も仏教もそれぞれの道は、みな善をなすことにつきるということがわかった。そして、その(仏教の)道の意義を詳しくたどると、まさに仏説ではないことがわかり、(仏教の教えに直接)関係ある経典がないことがわかったのである。このことによって出定という考えが成立するのである。(『出定後語』普及版 隆文館 京戸慈光 訳・編集『現代仏教名著全集』の普及版 )
②これによって、「儒・仏の道もまたやはり同じようなものだなあ、みな善を樹立することを目的としているだけだ」と思った。しかしそれにもかかわらず、この考えについて、道の心(義)を詳細な例証に求めるという段になると、そのときはなにも説明を要しないとは限らない。そのときは関係の出典を示さないわけにはいかない。こうして『出定後語』が出来あがったのである。(日本の名著 富永仲基 石田梅岩 加藤周一編 訳者の記載なし)『天才 富永仲基』釈徹宗も同じ。
數箇个 数年。
頒󠄃白 (はんぱく)白髪が半分混じる。中老の人。 頒󠄃(はん)は、分ける。
側陋 身分の賤しい人。
夫の明者の部索して之を楔󠄃ぐ 「明者」智慧の深い明らかな人。後世の学者。「部索」手分けして探し求める」「楔󠄃」この字に仲基自らカナをつけて「フサグ」つ打つ。塞ぐの意で、自説(出定後語)を更に補充する。
大故 大きな事故、自分の死をさす。
衛世師外道 印度六派哲学の一なる勝論宗のこと。六派の一。
阿羅羅 釈迦が出家後、この人について学び、道を求めたに対し空無辺拠のことについて語る。まもなくその空無辺拠を証得し、真のさとりの道ではないことを知り去って、鬱陀羅の処に行く。
鬱陀羅 釈迦が出家後、阿羅羅を訪れ、のち鬱陀羅の処で修行する。釈迦は、非想非非想処まで修行が進みそれを証得し、真の道に在らざるを知って去る。
非非想非想非非のこと、三界の最上位、無色界の第四天のこと。この天に生ずるものは下地の如き瞑想なきを以て非想、叉は非有想と云う。外道では此処を訴真の涅槃処とする。
『ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅したものでもない。・・・このように行じた者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は想いを縁として起こるからである。』(スッタニパータSn 874)
加上 従来の説を破して、更にその上に自己の説を加えること。// 思想史における発展の原則で、ある思想は必ずそれ以前に成立している既存の思想を予想し、それを超克しようと努力する。そしてあらたな一つの思想が成立すると、さらに別の思想が起こってこれを超克しようとする。かくのごとくにして超克の過程は無限につづくのであるが、その際に超克の行われるたびに、過去の思想には存しないところの要素があらたに付加される。
『翁の文』第九節に
「およそ古(いにしえ)より道をとき法をはじむるも、必ずそのかこつけて祖とするところありて、我より先にたてたる者の上に出んとするが、その定りたるならはしにて、後の人は皆これをしらずして迷ふことをなせり」
天を宗とせり 地上はるか上方にある理想世界。思想発達とともに複雑に階層化した。原始仏教成立の思想的背景になったのは、古代インドの生天説である。
因果經 過去現在因果經の略称、羅什の訳。釈迦の過去因と現在果の自伝形式の経典。
釋迦文 「釋迦文(しゃかもん)」は主に「釈尊」を指す言葉で、サンスクリット語の「シャーキャムニ」の音写(釈迦族の聖者)です。釈迦牟尼に同じ。釈迦は生天説では外道に勝てないので、七仏を提唱し生死を超越して神秘性で外道や印度人を帰依させた。
二十八天 [二十八天]三界にある天の総称。欲界六天、色界十八天、無色界四天の計。天ははじめ六欲天のみが説かれたが、次第に欲界(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・六欲天)の観念が成立し、その上に色界が積み重ねられ、さらに空無辺処天・識無辺処天と、無色界の諸天が架設され、その上にアーラーラ仙人が無所有処天を説き、最後にウッダカ仙人が非想非非想処天(有頂天)を加え重ね説いた。
無所有 [無所有]無色界の第三天で無所得即ち空の異名である。空は無辺であると観じて空を破した人が、更に識が三世にわたって無辺であるを厭い、所縁共に所有無しと観じ、この行力によって生まれるところである。
『尊師(ブッダ)は答えた。「ウパシーバよ。よく気を付けて無所有を期待しつつ、「そこには何も存在しない」と思うことによって、煩悩の流れを渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、愛執の消滅を昼夜に観ぜよ。』『スッタニパータSn 1070f』
『尊者于パシバァがいった、「一切の欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、他のものを捨て、最上の有想解脱で(原語は・・・・・で七等至のうちで最上のものである無所有処定をいう)において解脱した人ー彼は怠堕することなく、そこに安住するのでありましょうか?(Sn1071f)』とある。
識處 // 無色界の第二天。前地の空が無辺であるを厭い心を転じて識を縁じ、識と相応じ心定まりて動かず、三世の識悉く定中に現じて清浄寂静なる果報を云う。
生天 生天説である。人間が死して後、修行苦行の深浅によって上天に生まれ得るとの説。
竺民 インドの民。
僧祇結集 仏弟子たちによる、多数の遺教の集成が行われた。阿僧祇のこと。僧祇とは数が多いという意味。 //釈迦入滅後、ただちに行われた、いわゆる第一回結集は魔訶迦葉を代表とする五百人の僧によって王舎城の郊外でおこなわれた「五百結集」である。経は阿難が、律は優波離が誦出し、全員の承認を得てできあがったと伝えられる。その後、百年ほど経て、戒律のことで異議が生じ、七百年の僧が参加していわゆる「七百結集」がおこなわれたというが、さらに滅後二百年ごろ、阿育王のとき第三回、下って紀元二百年ごろ迦膩色迦王のときに第四回がなされたとする。
三藏 経・律・論の三蔵
智度 大智度論。100巻、鳩摩羅什訳。竜樹の著した魔訶般若波羅蜜経の註釈。// 大智度論(だいちどろん、梵: Mahā-prajñāpāramitā-śāstra, マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖である龍樹による『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経、梵: Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)に対する百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による(402-405年、大正蔵No.1509)(WIKipedia)
金剛仙 金剛仙論のこと。バスバンドウ(世親、インド唯識学派の僧)の『金剛般若経論』に対する弟子の金剛仙の註釈書。
※
上座部と大衆部。//上座部と大衆部の違いは、
仏教の教団が分裂した際の根本的な教義の違い、特に律の解釈の違いにあります。上座部は戒律を厳格に守る保守的な立場から個人の悟りを重視し、大衆部は戒律に例外を認めようとする革新的な立場から大衆の救済を重視しました。上座部仏教は東南アジアに広まり、大乗仏教の出現につながった大衆部は初期の革新派として位置づけられます。
上座部
特徴: 釈迦の入滅後、戒律を厳格に守ることを主張した保守的な一派です。
重視する点: 個人の悟り(解脱)を目指すことを重視します。
教義: 戒律に例外を認めず、厳格に遵守することを主張しました。
現在: スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアに広まり、上座部仏教として現在も続いています。
大衆部
特徴: 戒律に例外を認めようとした革新的な一派です。
重視する点: 多くの人々(大衆)を救済することを重視します。
教義: 上座部とは異なり、戒律に柔軟な解釈を許容しようとしました。
現在: 大衆部の流れは、後に「すべての人々の救済」を目指す大乗仏教の教義につながっていきました。 (Google AI)
鉄囲山外 須弥山の外側の鉄山。//鉄囲山の外には、最後の「外海」が広がり、その中に我々が住むとされる南閻浮提(なんえんぶだい)など4つの大陸が浮かんでいるとされています。(我々が住んでいるこの世界を超えたところで)の意か。
閻浮提(えんぶだい)
とは、仏教の世界観において、須弥山(しゅみせん)の南にある人間が住むとされる大陸(四大洲の一つ)を指し、もとは古代インドの地を意味しましたが、転じて我々が住むこの世界(人間世界・娑婆世界)そのものを指す言葉です。(Google AI)
十方 四方・四維・上下の計。全体。
※
既に没して 紀元前383年。釈迦没後部派仏教に分かれた。
方等 方正平等の意で大乗教をさす。 //大乗仏教の教え・経典:「方広」とも訳され、広大で多様な教えを意味します。/大乗の説は横に十方に遍き方広普遍の実理があり、縦に凡聖を問わぬ平等な教えであるから、この名がある。
方広 方等におなじ。大乗の教えをさす。
年数前後の説 諸経成立順序の説。
迦文 釈迦文、釈迦牟尼のこと。
七仏 過去七仏のこと。// 過去七仏(かこしちぶつ)とは、お釈迦様以前に出現したとされる仏に、お釈迦様を加えた合計七人の仏です。具体的には、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、倶留孫仏(くるそんぶつ)、倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の七人を指します。
(Google AI)
初成道 35歳の12月8日の解脱。
※釈提桓因 帝釈天。忉利天(とうりてん)の王。
般若波羅密 真実の智慧。
智度論 大智度論(だいちどろん、梵: Mahā-prajñāpāramitā-śāstra, マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖である龍樹による『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経、梵: Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)に対する百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による(402-405年、大正蔵No.1509)(WIkipedia)
初転法輪 釈迦の初説法。初転法輪(しょてんぼうりん)とは、お釈迦さまが悟りを開いた後、インドの鹿野苑(ろくやえん/サールナート)で、かつての苦行仲間である五比丘(ごびく)に対し、初めて仏教の教え(法)を説いた出来事を指します。法輪(ほうりん)とは仏の教えのことで、それが世に広まることを「法輪を転ずる(まわす)」と表現し、その最初の説法が「初転法輪」です。この説法で中道・四諦・八正道などの仏教の基本原則が説かれ、仏教教団が始まったとされる重要な出来事です。(Google AI)
転法輪経 仏が鹿野苑で説いた最初の説法。
大涅槃 釈迦の入滅。
大迦葉 迦葉。仏陀十大弟子のひとり。王舎城のバラモンの子。仏陀成道後三年目の頃に弟子となり、八日目に阿羅漢に入ったという。弟子中最も執着の念のない清廉な人格者で仏陀の信頼は最も厚かった。仏陀の入滅後、教団の統率者となり、王舎城において第一回の経典結集を行った。後に阿難を後継者にし、山に入って入定したまま生涯を終えた。
阿難 仏陀十大弟子のひとり。仏陀の従弟。出家してまもなく仏陀の常随(侍従)の弟子となったため、仏陀の教説を記憶している点では弟子中随一で、多聞第一と呼ばれた。釈迦入滅後、大迦葉の教誡をうけて大悟し、第一結集には選ばれて経を誦出した。また比丘尼教団成立の斡旋をした。
※
四十余年いまだ真実を顕わさず 無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」(四十余年未顕真実)と記されており、釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権経)であり、いまだ真実を明かしていない、と説いている。
四阿含 原始仏教経典。小乗経典。// アーガマの音写。原始仏教経典。実際に仏陀が説かれたと思われる経典が数多く含まれている。南方系仏教では、長部・中部・相応部・増支部・小部の五部に分けているが、北方系仏教では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含に分類している。
修跖路しゅとろ法蔵 十二部経。小乗経典。
仁王般若にんのうはんにゃ 『仁王経』(にんのうぎょう)は、大乗仏教における経典のひとつとされ、『仁王般若経』『仁王般若波羅蜜多経』等とも称される。なお、この経典は仏教における国王のあり方について述べた経典であり、天部に分類される仁王(=二王:仁王尊)について述べた経典ではない。
泛爾はんじ はっきり述べずに、漫然と。
※諸法の実相 一切のありのままの姿。諸現象の真実性。// 「諸法実相(しょほうじっそう)」とは、
あらゆる物事(諸法)が本来持っている、ありのままの真実の姿(実相)のことです。仏教、特に大乗仏教における重要な概念で、仏の智慧によって見極められる究極の真理を指します。この真実を理解すれば、森羅万象がそのまま仏の真実の現れであることが分かるとされています。(Google AI)
蔽する 「蔽」は断の意。断定・判断する。//「蔽する」は
「おおう」「隠す」「遮る」の意味。(Google AI)
出定如来 仲基自ら如来になぞらえかく自称した。
これ法華氏は 法華経を釈迦成道四十年後に説いた妙法だとかこつけて説いて、それ以前の経説を劣った教えとして、諸法実相にかこつけて従来の小乗や般若大乗を超克打破した。法華派はすなはち大乗の別派で、これまでの小乗と大乗をともに否定したのである。
//
「法華四十年(ほっけしじゅうねん)」とは、仏教において、釈迦が『法華経』を説くまでの約40年余りの教えは、すべて「仮の教え(方便)」であり、まだ真実の教えを明らかにしていない、という意味の仏教用語「四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)」を指す言葉です。
詳細は以下の通りです。
「四十余年未顕真実」の意味: 釈迦がその生涯で説いたとされる約50年の教えのうち、晩年の約8年間で説かれた『法華経』こそが最も重要な真実の教え(真実相)であるとし、それ以前の40年余りの教えは、人々を真実の教えへと導くための準備段階の教え(方便権教)であったと位置づける教義上の解釈です。
背景: この解釈は、中国の天台大師智顗(ちぎ)によって体系化されたもので、当時の様々な経典に対する優劣を定める「五時八教」という教判(きょうはん:仏教の教えを体系的に分類すること)に基づいています。
目的: 衆生の能力(機根)がまだ真実の教えを理解する準備ができていなかったため、様々な方便の教えを用意し、次第に機根を調えて『法華経』に至って初めてすべての衆生が成仏できるという真意(一乗思想)を説いたとされます。
宗派による重視: 特に日蓮宗(法華宗)系の各宗派では、この「四十余年未顕真実」の文言を非常に重視し、『法華経』こそが釈迦の教えの集大成であり絶対最高の教えであると位置づけています。
(Google AI)
并呑権実へいどんごんじつ 方便真実を併せた説。// 権実(ごんじつ)とは、仏教用語で「方便(ほうべん)の教え(権)」と「真実の教え(実)」を対比する言葉です。特に天台宗では、釈迦が説いた初期の教えは方便であり、法華経こそが真実の教えであるという「開権顕実(かいごんけんじつ)」の思想で知られています。(Google AI)
初め小乗、中なか空教、後のち不空 「初小乗、中空教、後不空」は、日本の仏教、特に
真言宗における教義の発展段階を示す言葉であると考えられます。これは、仏教の教えが時代や人々の能力に応じて説き分けられたという解釈に基づいています。
この言葉は、仏教の教えを以下の3つの段階に分けて捉えています。
初小乗(しょしょうじょう):
初期の仏教や部派仏教(かつて小乗仏教と呼ばれた、特定の修行僧が自己の悟りを最終目的とする教え)を指します。この段階では、すべての存在には実体がないという「空」の思想の否定的な側面(あらゆるものへの執着を捨てること)が強調されます。
中空教(ちゅうくうきょう):
龍樹(ナーガールジュナ)に代表される大乗仏教の中観派(般若経典群など)の教えを指します。この段階では、「空」が単なる否定ではなく、すべての存在が相互の因縁によって成り立っており、固定的な実体(自性)を持たないという理法(縁起)として深く理解されます。
後不空(ごふくう):
密教、特に真言密教の教えを指します。唐代の僧である不空三蔵によって中国に広められた密教経典に基づいています。この教えでは、「空」の思想の肯定的な側面、すなわち「空」であるからこそ、様々な現象や仏の力が現れ、信じることで願いが叶い、空しい思いをさせない(不空)という考えに至ります。
この三段階は、教えの優劣ではなく、衆生の機根(能力や理解力)に応じて段階的に説かれたとする思想的変遷を示しており、最終的に密教が最も深い教えであるとする真言宗の立場を表しています。
//法相宗と関係がありそうだ。//法相宗(唯識)において、釈尊(ブッダ)の教えを時期や内容の深浅で3段階に分けた「三時教判(さんじきょうはん)」を指す言葉です。
唐の慈恩大師 基(き)などが、『解深密経(げじんみっきょう)』に基づき体系化しました。 //
この検索で、特に(Google AI)検索するたびに説明がかわる。
普現 普賢菩薩に仮託した一派。
遍吉の語 大智度論にある普賢菩薩の法華経護持の語。 「遍吉」は普賢菩薩の異名。
※解深密経げじんみつきょう 五巻。唐の玄奘訳。法相宗の根本経典。唯識の深旨を論述するもの。
円満修多羅えんまんしゅうたら 華厳経のこと。
ここにおいて 華厳経の作者は釈迦成道十四日目に華厳経を説いたとして、従来の小乗を排し、日光三照の譬えで従来の大乗説に優ることを主張している。
頓とんの頓 頓教中最も悟りが速い。//「頓教」(とんきょう)は、
修行の段階を経ないで直ちに成仏できると説く仏教の教えです。最初から深遠な大乗の教えを説くことを指し、これに対し段階的に教えを説くことを「漸教」(ぜんきょう)と呼びます。
すぐに成仏できる: 長い修業を経ずに、ただちに深い悟りの境地に達できるとする教えです。
「漸教」との対比: 仏教における教えの分類の一つで、やさしい教えから始め、段階的に深い内容へ導く「漸教」と対をなします。
具体的な例:
真言・天台・浄土などの宗派: これらの宗派で説かれています。
浄土宗: 浄土教こそが、究極の「頓教」であると位置づけられています。(Google AI)
二七日の前 「二七日の前」とは、故人の命日から14日目の「二七日(ふたなのか)法要」の直前の期間を指します。仏教の慣習では、命日から7日目の「初七日」に続き、14日目の二七日、21日目の三七日など、7日ごとに「中陰法要」が営まれます。二七日法要: 命日を1日目として数え、14日目に行う法要です。
二七日の前: 具体的には、命日から13日目までを指します。
『華厳経』は、釈迦が悟り(成道)を開いてから14日目に初めて説かれた教えであるとされています。これは仏教の伝統的な解釈です。
(Google AI)
日輪のまづ諸大山を照らすに譬へて 「
日光三照(にっこうさんしょう)の譬え」とは、仏教、特に天台宗の教えにおいて、仏の教えが人々の能力(機根)に応じて説かれる様子を、太陽の光が当たる場所によって異なるように見えることに例えたものです。
この譬えは、主に以下の3つの段階で説明されます。
① 高山を照らす:太陽が昇る時、まず最も高い山の峰を照らすように、仏はまず最も優れた能力を持つ人(上根の機)に向けて、高度で深遠な教え(『華厳経』など)を説いた。
② 幽谷(ゆうこく)を照らす:次に、太陽の光が谷間や奥まった場所に届くように、仏は中程度の能力を持つ人(中根の機)に向けて、少し分かりやすい教え(『阿含経』など)を説いた。
③ 平地を照らす:最後に、太陽の光が平らな土地全体を平等に照らすように、仏はすべての衆生(あらゆる能力の人々)に向けて、分け隔てなく救済する普遍的な教え(『法華経』)を説いた。
これは、仏が衆生の能力に合わせて段階的に教えを説き、最終的にすべての人が成仏できる「一乗(いちじょう)」の真理へと導くという、教えの順序(教相判釈)を示すために用いられる譬喩です。
舎利弗しゃりほつ 仏陀の十大弟子のひとり。マガダ国王舎城の北バラモンの家に生まれた。相弟子とともに、仏弟子となり、智慧第一と称せられた。仏陀より先に入滅した。
目連もくれん 仏十大弟子のひとり。マガダ国王舎城の市外のバラモンの子に生まれた。隣村の舎利弗と親交があり、はじめはともにサンジヤッヤの弟子であったが後に釈尊の弟子になった。神通一(超自然的能力)といわれた。市内行乞中に仏教教団を嫉むバラモンに襲撃されてたおれた。
異時異処 仏弟子になった、時期と場所がそれぞれ異なりこと。
逗漏とうろ 偽るの意。// 漏は煩悩の異名。逗はとどまる。まだ煩悩がぬけきらないもののこと。/
ここにおいて 華厳経の作者は釈迦成道14日目に華厳経を説いたとして、従来の小乗を排し、日光三照の譬えで従来の大乗説に優ることを主張した。
大集だいじゅう 大方等大集経の略。仏の成道後第十六年目に、今や大衆が菩薩の法蔵を受け得可き機根に達したと見て、仏は深甚の大乗法門を説いたとされる。ここではこの経を説いた一派の学僧をいう。
※泥洹ないおん 泥洹は、 涅槃のこと。涅槃と記せず泥洹と書く経がいくつかある。ここでは涅槃経を作った一派の学僧をいう。
※兼部けんぶ氏 大小乗を兼ね併せて説を立てるもの、ここでは大集及び泥洹の作者たちをさす。
捃捨教くんじゅうきょう 天台宗で涅槃経の教えをいう法華経で漏れた衆生を拾う意。釈迦は法華経を説いて大衆を教化したが、なお、残ったものに涅槃経を説いた、とされる。// 捃拾教(くんじゅうきょう)とは、天台大師智顗が創始した天台教学における『涅槃経』の位置付けを指す。捃拾とは拾い集める、落ち穂拾いの意。日蓮もこの説を踏襲した。天台宗及び日蓮宗の各諸派や教団で、涅槃経は法華経よりも劣るとして、『涅槃経』をこう呼ぶ。
その十六年目にして初めて大集経を説く 大集は大方等大集経の略、仏の成道後十六年目に、今や大衆が菩薩の法蔵を受け得難き機根に達したと見て、仏は欲界と色界との中間に一大道場を開き、十方の仏菩薩並びに天竜鬼神を集め深甚微妙の大法門を説いたと云われる。ここではこの経を説いた一派の学僧を云う。空思想に加えて密教的要素が濃厚である。大乗仏教の重要な経とされている。
※八十誦 優婆離の誦出した根本律蔵。
頓部氏とんぶし 「頓経(とんぎょう)」とは、
仏教用語で修行の段階を踏まずに、いきなり(たちどころに)悟り(成仏)へと到達できると説く教え、または最初から深い道理を説く教えのことです。これに対し、段階を踏んで徐々に悟りに至る教えは「漸教(ぜんぎょう)」といい、この二つは仏教の教えを整理する「教相判釈(きょうそうはんしゃく)」で用いられます。天台宗では『法華経』、浄土宗では念仏信仰が頓教とされ、特に浄土宗では阿弥陀信仰を「頓中の頓(とんちゅうのとん)」と位置づけています。 (Google AI)
楞枷りょうが 『楞伽経(りょうがきょう)』は、**
大乗仏教の重要な経典で、唯識思想(すべてのものは心が生み出す)と如来蔵思想(すべての人に仏性がある)**を説き、初期の禅宗(達磨大師が重視)や密教にも影響を与えた、仏陀がランカー城(楞伽山)で説いたとされる対話形式の経典です。『楞伽経』は仏教の深遠な教えを伝えるとともに、禅や密教といった後世の多様な仏教運動の源流の一つとなった経典です。(Google AI)/ ランカー島(セイロン島)を訪れた釈迦がラーヴァナと対話する、という体裁をとる。 (Wikipedia)
畢竟不生ふしょうなり 煩悩も原因もすべて何もない。「不生」とは、「すべての存在は本来、生まれることも滅することもない」という真理を表す言葉です。(Google AI)//「不生不滅」「不生不滅(ふしょうふめつ)」とは
仏教用語で、「生じることも滅することもなく、永遠に変わらず存在し続ける」という意味で、悟りの境地や真如(しんにょ)、涅槃(ねはん)の状態を表し、「空(くう)」の概念を補足し、輪廻転生の世界観とは異なる絶対的な真理を指します。これは、私たちが認識する「生」と「死」の対立を超えた、本質的なあり方を示す言葉です。(Google AI)
名字みょうじを離るれば 言語文字等の形。文字表現。
唯一真心しんしん、一念不生なり 唯一真心があるだけ。「真心」人間に本来そなわる清浄な心。「一念不生」欲心が少しも起こらぬこと。
※因陀羅いんだら 旧来の複雑な旧説。「因陀羅」帝釈天の宝網の目につけた宝珠は他のすべての珠影を現じる、複雑重々無尽のたとえ。
※菩提達磨ぼだいだるま 達磨禅師。禅宗の祖。
※乾尿橛かんしけつ 糞を払うへら。目前の汚物。
※拭瘡疣しょくそうゆう はれものを払うこと。// 「
拭瘡疣」は、仏教、特に禅宗において、経典などの教えを「瘡(かさ、皮膚病)を拭う紙」のように、悟りを得るための手段や道具に過ぎないとみなす、過激で否定的な表現として用いられる言葉です。
「拭瘡疣」の意味と禅宗の教え
「拭瘡疣(しきそうゆう)」は、文字通りには「皮膚病(瘡、疣)を拭うための紙」を意味します。この言葉は、禅宗の古典籍において、以下のような文脈で登場します。
経典の軽視: 禅宗では、経典の文字や言葉に執着することを戒め、座禅などを通じた「直指人心(じきしじんしん、人の心に直接訴えかけること)」や「見性成仏(けんしょうじょうぶつ、自性を見極めて仏になること)」を重視します。
否定的な表現: 禅の祖師たちは、修行者が文字や教義に縛られることを避けるため、あえて過激な言葉で仏教の権威を否定することがありました。例えば、「達磨は老臊胡(体臭のある異民族)」「釈迦老子は乾屎橛(乾いた糞掻き棒)」などと言い放ち、十二分教(仏教の経典)を「鬼神簿(鬼神の名簿)」「拭瘡疣紙(瘡を拭く紙)」と呼びました。(Google AI)
六度経 大乗理趣六波羅密多経。巻一から引用。
阿難陀 釈迦十大弟子の一。多聞第一。釈迦の従弟で、成道の日、誕生す。
素
咀続蔵そたららんぞう 経典。
鄔波離うぱり 釈迦十大弟子の一。持律第一。
毘那耶蔵びなやぞう 律蔵。
迦多衍那かたえな 迦多衍那尼子。
阿毘達磨蔵あびだつまぞう
論蔵。
曼殊師利菩薩まんじゅしりぼさつ 文殊師利。
金剛手菩薩こんごうしゅぼさつ 金剛手菩薩。// 金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ/ヴァジュラパーニ)は、「金剛杵(こんごうしょ)」を手に持ち、仏法と衆生を護る忿怒相(ふんぬそう)の菩薩で、**金剛薩埵(こんごうさった)**とも呼ばれ、密教で非常に重要視される尊格です。煩悩や障害を打ち破る力を持つとされ、火炎を背負い、虎皮の衣をまとうなど、激しい姿で表現されることが多く、大日如来と私たち(衆生)を繋ぐ役割も担います。'(Google AI)
総持門そうじもん 総持は陀羅尼の意。密教。
方便道 衆生それぞれに応じて。
世尊は 大日経巻一に見える。
一切智智 すべての智の極み。仏智。//
いっさいち/一切智
一切の物事について完全に知る智慧。仏の智慧。仏智。原語はⓈsarvajñaⓈsarvajñatā。薩婆若と音写される。仏は一切智を具えるものとして一切智者、全智者といわれる。声聞・縁覚の一切智と仏の一切智を区別して、仏の一切智を一切智智という。仏に特有の一〇種の智力である十力は、仏が一切智者であることを示す。『俱舎論』破我品では、仏は気持ちを発動するだけで望むままに何ごとも知る能力が具わっていると示される。また仏陀が全智者であることは、インド仏教論理学において他学派からの批判に答える形で、法称や寂護によって活発に議論された。天台宗の別教では一切智・道種智・一切種智の三智を順次に証得すると説き、円教では三智を同時に一心に証得する一心三智を説く’
一切智(浄土宗大辞典)
祇洹林ぎおんりん 祇園精舎。正式名、祇樹給孤独園精舎
普光法堂 仏教の経典である『華厳経』において、釈迦が説法を行ったとされる場所(会座)の一つです。実際に存在する特定の建物や寺院の名称ではありません。
名数みょうすう 数をつけ分類解説された教義。四諦、八正道、十二因縁、三界、五蘊、五位など。
『魔訶般若波羅密経』 摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)は、大乗仏教般若経典の一つである『二万五千頌般若経』(にまんごせんじゅはんにゃきょう、梵: Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra, パンチャヴィンシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)の、鳩摩羅什による漢訳である。
90品(高麗大藏再雕本は27巻、思溪資福藏、普寧藏等は30巻)の比較的規模の大きな経であり、通常『大品般若経』(大品)と呼ばれている。
鳩摩羅什の訳した経の中には、『摩訶般若波羅蜜経』と名づけられるものがもう一つあるが、そちらは『八千頌般若経』の漢訳(408年)で、大品に対し29品(10巻)しかないので『小品般若経』(小品)と呼ばれる。
ナーガールジュナ(龍樹)が著した『大智度論』は、本経(『大品般若経』)に対する注釈書である。 (Wikipedia)
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公開日20//年//月//日