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出定後語 用語

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  著者富永仲基の名の一字。自称。
細席に   いちいち詳しく。
因縁する   経説の由来を探求する。
屬籍する   書籍に綴る。著述する。/ 仲基が自説を本に書く意。仏典にあたる意味には解しない。
曰く、儒佛の道も亦猶是のごとく也。皆善を樹つるに在るのみ。然るに其の道の義を細席に因縁するに至りては、則ち豈に説無きことを得ん乎。即ち屬籍すること無きこと能はざるなり。是に於てか出定成りぬ。  
「あに説なきことを得んや」説明が必要だろう。「屬籍することなきことあたはざるなり」この本(出定後語)を書かざるを得なかった、の意に解した。 以下、他の解釈を挙げておく。
① これらによって、儒教も仏教もそれぞれの道は、みな善をなすことにつきるということがわかった。そして、その(仏教の)道の意義を詳しくたどると、まさに仏説ではないことがわかり、(仏教の教えに直接)関係ある経典がないことがわかったのである。このことによって出定という考えが成立するのである。(『出定後語』普及版 隆文館 京戸慈光 訳・編集『現代仏教名著全集』の普及版 )
②これによって、「儒・仏の道もまたやはり同じようなものだなあ、みな善を樹立することを目的としているだけだ」と思った。しかしそれにもかかわらず、この考えについて、道の心(義)を詳細な例証に求めるという段になると、そのときはなにも説明を要しないとは限らない。そのときは関係の出典を示さないわけにはいかない。こうして『出定後語』が出来あがったのである。(日本の名著 富永仲基 石田梅岩 加藤周一編 訳者の記載なし)『天才 富永仲基』釈徹宗も同じ。
(私訳)それぞれの宗旨は、儒教も仏教も同じだ、善を成すに尽きる。しかしながらその道の義を細かく調べてゆくと、どうしても説明が必要になる。それでその根拠を書かざるを得なかった。こうして、出定後語はできた。
數箇个   数年。
頒󠄃白  (はんぱく)白髪が半分混じる。中老の人。 頒󠄃(はん)は、分ける。
側陋   身分の賤しい人。
夫の明者の部索して之を楔󠄃ふさぐ   「明者」智慧の深い明らかな人。後世の学者。「部索」手分けして探し求める」「楔󠄃」この字に仲基自らカナをつけて「フサグ」つ打つ。塞ぐの意で、自説(出定後語)を更に補充する。
大故   大きな事故、自分の死をさす。
衛世師外道   印度六派哲学の一なる勝論宗のこと。六派の一。
阿羅羅あらら 釈迦が出家後、この人について学び、道を求めたに対し空無辺拠のことについて語る。まもなくその空無辺拠を証得し、真のさとりの道ではないことを知り去って、鬱陀羅の処に行く。
鬱陀羅うつだら 釈迦が出家後、阿羅羅あららを訪れ、のち鬱陀羅の処で修行する。釈迦は、非想非非想処まで修行が進みそれを証得し、真の道に在らざるを知って去る。
加上   従来の説を破して、更にその上に自己の説を加えること。// 思想史における発展の原則で、ある思想は必ずそれ以前に成立している既存の思想を予想し、それを超克しようと努力する。そしてあらたな一つの思想が成立すると、さらに別の思想が起こってこれを超克しようとする。かくのごとくにして超克の過程は無限につづくのであるが、その際に超克の行われるたびに、過去の思想には存しないところの要素があらたに付加される。
『翁の文』第九節に
「およそ古(いにしえ)より道をとき法をはじむるも、必ずそのかこつけて祖とするところありて、我より先にたてたる者の上に出んとするが、その定りたるならはしにて、後の人は皆これをしらずして迷ふことをなせり」
天を宗とせり   地上はるか上方にある理想世界。思想発達とともに複雑に階層化した。原始仏教成立の思想的背景になったのは、古代インドの生天説である。
因果經   過去現在因果經の略称、羅什の訳。釈迦の過去因と現在果の自伝形式の経典。
釋迦文   「釋迦文(しゃかもん)」は主に「釈尊」を指す言葉で、サンスクリット語の「シャーキャムニ」の音写(釈迦族の聖者)です。釈迦牟尼に同じ。釈迦は生天説では外道に勝てないので、七仏を提唱し生死を超越して神秘性で外道や印度人を帰依させた。
二十八天   [二十八天]三界にある天の総称。欲界六天、色界十八天、無色界四天の計。天ははじめ六欲天のみが説かれたが、次第に欲界(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・六欲天)の観念が成立し、その上に色界が積み重ねられ、さらに空無辺処天・識無辺処天と、無色界の諸天が架設され、その上にアーラーラ仙人が無所有処天を説き、最後にウッダカ仙人が非想非非想処天(有頂天)を加え重ね説いた。
無所有   //[無所有]無色界の第三天で無所得即ち空の異名である。空は無辺であると観じて空を破した人が、更に識が三世にわたって無辺であるを厭い、所縁共に所有無しと観じ、この行力によって生まれるところである。
識處   // 無色界の第二天。前地の空が無辺であるを厭い心を転じて識を縁じ、識と相応じ心定まりて動かず、三世の識悉く定中に現じて清浄寂静なる果報を云う。
生天   生天説である。人間が死して後、修行苦行の深浅によって上天に生まれ得るとの説。
竺民   インドの民。
僧祇結集   仏弟子たちによる、多数の遺教の集成が行われた。阿僧祇のこと。僧祇とは数が多いという意味。 //釈迦入滅後、ただちに行われた、いわゆる第一回結集は魔訶迦葉を代表とする五百人の僧によって王舎城の郊外でおこなわれた「五百結集」である。経は阿難あなんが、律は優波離うはりが誦出し、全員の承認を得てできあがったと伝えられる。その後、百年ほど経て、戒律のことで異議が生じ、七百年の僧が参加していわゆる「七百結集」がおこなわれたというが、さらに滅後二百年ごろ、阿育王のとき第三回、下って紀元二百年ごろ迦膩色迦かにしか王のときに第四回がなされたとする。
智度   大智度論。100巻、鳩摩羅什訳。竜樹の著した魔訶般若波羅蜜経の註釈。// 大智度論(だいちどろん、梵: Mahā-prajñāpāramitā-śāstra, マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖である龍樹による『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経、梵: Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)に対する百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による(402-405年、大正蔵No.1509)(WIKipedia)
金剛仙   金剛仙論のこと。バスバンドウ(世親、インド唯識学派の僧)の『金剛般若経論』に対する弟子の金剛仙の註釈書。
  上座部と大衆部。//上座部と大衆部の違いは、 仏教の教団が分裂した際の根本的な教義の違いにあります。上座部は戒律を厳格に守る保守的な立場から個人の悟りを重視し、大衆部は戒律に例外を認めない革新的な立場から大衆の救済を重視しました。上座部仏教は東南アジアに広まり、大乗仏教の出現につながった大衆部は初期の革新派として位置づけられます。
上座部
特徴: 釈迦の入滅後、戒律を厳格に守ることを主張した保守的な一派です。 重視する点: 個人の悟り(解脱)を目指すことを重視します。 教義: 戒律に例外を認めず、厳格に遵守することを主張しました。 現在: スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアに広まり、上座部仏教として現在も続いています。
大衆部
特徴: 戒律に例外を認めようとした革新的な一派です。 重視する点: 多くの人々(大衆)を救済することを重視します。 教義: 上座部とは異なり、戒律に柔軟な解釈を許容しようとしました。 現在: 大衆部の流れは、後に「すべての人々の救済」を目指す大乗仏教の教義につながっていきました。 (Google AI)
鉄囲山外  須弥山の外側の鉄山。//鉄囲山の外には、最後の「外海」が広がり、その中に我々が住むとされる南閻浮提(なんえんぶだい)など4つの大陸が浮かんでいるとされています。我々が住んでいるこの世で。
既に没して   紀元前383年。釈迦没後部派仏教に分かれた。
方等   方正平等の意で大乗教をさす。 //大乗仏教の教え・経典:「方広」とも訳され、広大で多様な教えを意味します。
年数前後の説   諸経成立順序の説。
迦文   釈迦文、釈迦牟尼のこと。
七仏   過去七仏のこと。// 過去七仏(かこしちぶつ)とは、お釈迦様以前に出現したとされる仏に、お釈迦様を加えた合計七人の仏です。具体的には、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、倶留孫仏(くるそんぶつ)、倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の七人を指します。 (Google AI)
初成道しょじょうどう   35歳の12月8日の解脱。
釈提桓因しゃくだいかんいん   帝釈天。忉利天(とうりてん)の王。
般若波羅密はんにゃはらみつ   真実の智慧。
智度論   大智度論(だいちどろん、梵: Mahā-prajñāpāramitā-śāstra, マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖である龍樹による『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経、梵: Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)に対する百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による(402-405年、大正蔵No.1509)(WIkipedia)
初転法輪   釈迦の初説法。
転法輪経   仏が鹿野苑で説いた経。
大涅槃   釈迦の入滅。
大迦葉   迦葉。仏陀十大弟子のひとり。王舎城のバラモンの子。仏陀成道後三年目の頃に弟子となり、八日目に阿羅漢に入ったという。弟子中最も執着の念のない清廉な人格者で仏陀の信頼は最も厚かった。仏陀の入滅後、教団の統率者となり、王舎城において第一回の経典結集を行った。後に阿難を後継者にし、山に入って入定したまま生涯を終えた。
阿難あなん   仏陀十大弟子のひとり。仏陀の従弟。出家してまもなく仏陀の常随(侍従)の弟子となったため、仏陀の教説を記憶している点では弟子中随一で、多聞第一と呼ばれた。釈迦入滅後、大迦葉の教誡をうけて大悟し、第一結集には選ばれて経を誦出した。また比丘尼教団成立の斡旋をした。
四阿含   原始仏教経典。小乗経典。// アーガマの音写。原始仏教経典。実際に仏陀が説かれたと思われる経典が数多く含まれている。南方系仏教では、長部・中部・相応部・増支部・小部の五部に分けているが、北方系仏教では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含に分類している。
修跖路しゅとろ法蔵   十二部経。小乗経典。
仁王般若にんのうはんにゃ   『仁王経』(にんのうぎょう)は、大乗仏教における経典のひとつとされ、『仁王般若経』『仁王般若波羅蜜多経』等とも称される。なお、この経典は仏教における国王のあり方について述べた経典であり、天部に分類される仁王(=二王:仁王尊)について述べた経典ではない。 内容 釈尊が舎衛国の波斯匿王との問答形式によって書かれた経で、主な内容として六波羅蜜のうちの般若波羅蜜を受持し講説することで 災難を滅除し国家が安泰となると説く、般若経典としては異質の内容である。 現存する漢訳は『仁王護國般若波羅蜜多經疏 七巻』良賁[1]勅撰(766年、不空訳に対する注疏)に言及される4訳中2本残存。は下記2本である。
『佛説仁王般若波羅蜜經二巻』(ぶっせつにんのうはんにゃはらみつきょう 401年、別名『仁王般若』)姚秦三藏鳩摩羅什譯(344年-413年)(SATデータベース T0245_.08.0825a04 - 0834a08)
『仁王護國般若波羅蜜多經二巻』(にんのうごこくはんにゃはらみったきょう 765年)大廣智大興善寺 三藏沙門不空 奉詔譯(705年-774年)訳 (SATデータベース T0246_.08.0834a13 - 0845a02) 前者は鳩摩羅什訳とされているが、鳩摩羅什以後 梁以前の選述と推定される[2]。古来、両経とも偽経と言われている。[3]。また、その証左として玄奘訳『大般若波羅蜜多経』の含む諸経には共に、該当する経典は含まれていない[4]。現在では五世紀に中国において成立したとする説がほぼ定説となっている[5]。金岡秀友によれば、鳩摩羅什訳『仁王般若経』が中国撰述の偽経であるので、不空訳も梵本からの再訳なのではなく、羅什訳の改定訳である(Wikipedia)
泛爾はんじ   はっきり述べずに、漫然と。
諸法の実相   一切のありのままの姿。諸現象の真実性。// 「諸法実相(しょほうじっそう)」とは、 あらゆる物事(諸法)が本来持っている、ありのままの真実の姿(実相)のことです。仏教、特に大乗仏教における重要な概念で、仏の智慧によって見極められる究極の真理を指します。この真実を理解すれば、森羅万象がそのまま仏の真実の現れであることが分かるとされています。(Google AI)
蔽する   「蔽」は断の意。断定・判断する。//「蔽する」は 「おおう」「隠す」「遮る」の意味。(Google AI)
出定如来   仲基自ら如来になぞらえかく自称した。
これ法華氏は   法華経を釈迦成道四十年後に説いた妙法だとかこつけて説いて、それ以前の経説を劣った教えとして、諸法実相にかこつけて従来の小乗や般若大乗を超克打破した。法華派はすなはち大乗の別派で、これまでの小乗と大乗をともに否定したのである。
并呑権実へいどんごんじつ   方便真実を併せた説。// 権実(ごんじつ)とは、仏教用語で「方便(ほうべん)の教え(権)」と「真実の教え(実)」を対比する言葉です。特に天台宗では、釈迦が説いた初期の教えは方便であり、法華経こそが真実の教えであるという「開権顕実(かいごんけんじつ)」の思想で知られています。(Google AI)
普現   普賢菩薩に仮託した一派。
遍吉の語   大智度論にある普賢菩薩の法華経護持の語。 「遍吉」は普賢菩薩の異名。
解深密経げじんみつきょう   五巻。唐の玄奘訳。法相宗の根本経典。唯識の深旨を論述するもの。
円満修多羅えんまんしゅうたら   華厳経のこと。
ここにおいて   華厳経の作者は釈迦成道十四日目に華厳経を説いたとして、従来の小乗を排し、日光三照の譬えで従来の大乗説に優ることを主張している。
とんの頓   頓教中最も悟りが速い。//「頓教」(とんきょう)は、 修行の段階を経ないで直ちに成仏できると説く仏教の教えです。最初から深遠な大乗の教えを説くことを指し、これに対し段階的に教えを説くことを「漸教」(ぜんきょう)と呼びます。
すぐに成仏できる: 長い修業を経ずに、ただちに深い悟りの境地に達できるとする教えです。 「漸教」との対比: 仏教における教えの分類の一つで、やさしい教えから始め、段階的に深い内容へ導く「漸教」と対をなします。 具体的な例:
真言・天台・浄土などの宗派: これらの宗派で説かれています。
浄土宗: 浄土教こそが、究極の「頓教」であると位置づけられています。(Google AI)
二七日の前   「二七日の前」とは、故人の命日から14日目の「二七日(ふたなのか)法要」の直前の期間を指します。仏教の慣習では、命日から7日目の「初七日」に続き、14日目の二七日、21日目の三七日など、7日ごとに「中陰法要」が営まれます。二七日法要: 命日を1日目として数え、14日目に行う法要です。
二七日の前: 具体的には、命日から13日目までを指します。
『華厳経』は、釈迦が悟り(成道)を開いてから14日目に初めて説かれた教えであるとされています。これは仏教の伝統的な解釈です。 (Google AI)
日輪のまづ諸大山を照らすに譬へて   「 日光三照(にっこうさんしょう)の譬え」とは、仏教、特に天台宗の教えにおいて、仏の教えが人々の能力(機根)に応じて説かれる様子を、太陽の光が当たる場所によって異なるように見えることに例えたものです。 この譬えは、主に以下の3つの段階で説明されます。
① 高山を照らす:太陽が昇る時、まず最も高い山の峰を照らすように、仏はまず最も優れた能力を持つ人(上根の機)に向けて、高度で深遠な教え(『華厳経』など)を説いた。
② 幽谷(ゆうこく)を照らす:次に、太陽の光が谷間や奥まった場所に届くように、仏は中程度の能力を持つ人(中根の機)に向けて、少し分かりやすい教え(『阿含経』など)を説いた。
③ 平地を照らす:最後に、太陽の光が平らな土地全体を平等に照らすように、仏はすべての衆生(あらゆる能力の人々)に向けて、分け隔てなく救済する普遍的な教え(『法華経』)を説いた。 これは、仏が衆生の能力に合わせて段階的に教えを説き、最終的にすべての人が成仏できる「一乗(いちじょう)」の真理へと導くという、教えの順序(教相判釈)を示すために用いられる譬喩です。
舎利弗しゃりほつ   仏陀の十大弟子のひとり。マガダ国王舎城の北バラモンの家に生まれた。相弟子とともに、仏弟子となり、智慧第一と称せられた。仏陀より先に入滅した。
目連もくれん   仏十大弟子のひとり。マガダ国王舎城の市外のバラモンの子に生まれた。隣村の舎利弗と親交があり、はじめはともにサンジヤッヤの弟子であったが後に釈尊の弟子になった。神通一(超自然的能力)といわれた。市内行乞中に仏教教団を嫉むバラモンに襲撃されてたおれた。
異時異処   仏弟子になった、時期と場所がそれぞれ異なりこと。
逗漏とうろ   偽るの意。// 漏は煩悩の異名。逗はとどまる。まだ煩悩がぬけきらないもののこと。/
ここにおいて   華厳経の作者は釈迦成道14日目に華厳経を説いたとして、従来の小乗を排し、日光三照の譬えで従来の大乗説に優ることを主張した。
大集だいじゅう   大方等大集経の略。仏の成道後第十六年目に、今や大衆が菩薩の法蔵を受け得可き機根に達したと見て、仏は深甚の大乗法門を説いたとされる。ここではこの経を説いた一派の学僧をいう。
泥洹ないおん   泥洹は、 涅槃のこと。涅槃と記せず泥洹と書く経がいくつかある。ここでは涅槃経を作った一派の学僧をいう。
兼部けんぶ   大小乗を兼ね併せて説を立てるもの、ここでは大集及び泥洹の作者たちをさす。
捃捨教くんじゅうきょう   天台宗で涅槃経の教えをいう法華経で漏れた衆生を拾う意。釈迦は法華経を説いて大衆を教化したが、なお、残ったものに涅槃経を説いた、とされる。// 捃拾教(くんじゅうきょう)とは、天台大師智顗が創始した天台教学における『涅槃経』の位置付けを指す。捃拾とは拾い集める、落ち穂拾いの意。日蓮もこの説を踏襲した。天台宗及び日蓮宗の各諸派や教団で、涅槃経は法華経よりも劣るとして、『涅槃経』をこう呼ぶ。
その十六年目にして初めて大集経を説く   大集は大方等大集経の略、仏の成道後十六年目に、今や大衆が菩薩の法蔵を受け得難き機根に達したと見て、仏は欲界と色界との中間に一大道場を開き、十方の仏菩薩並びに天竜鬼神を集め深甚微妙の大法門を説いたと云われる。ここではこの経を説いた一派の学僧を云う。空思想に加えて密教的要素が濃厚である。大乗仏教の重要な経とされている。
八十誦   優婆離の誦出した根本律蔵。
頓部氏とんぶし   「頓経(とんぎょう)」とは、 仏教用語で修行の段階を踏まずに、いきなり(たちどころに)悟り(成仏)へと到達できると説く教え、または最初から深い道理を説く教えのことです。これに対し、段階を踏んで徐々に悟りに至る教えは「漸教(ぜんぎょう)」といい、この二つは仏教の教えを整理する「教相判釈(きょうそうはんしゃく)」で用いられます。天台宗では『法華経』、浄土宗では念仏信仰が頓教とされ、特に浄土宗では阿弥陀信仰を「頓中の頓(とんちゅうのとん)」と位置づけています。 (Google AI) ///
楞枷りょうが   『楞伽経(りょうがきょう)』は、** 大乗仏教の重要な経典で、唯識思想(すべてのものは心が生み出す)と如来蔵思想(すべての人に仏性がある)**を説き、初期の禅宗(達磨大師が重視)や密教にも影響を与えた、仏陀がランカー城(楞伽山)で説いたとされる対話形式の経典です。『楞伽経』は仏教の深遠な教えを伝えるとともに、禅や密教といった後世の多様な仏教運動の源流の一つとなった経典です。(Google AI)
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公開日2025年11月1日