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出定後語 巻の上

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はじめにをご覧ください。

コラム 教相判釈について
教相判釈(きょうそうはんじゃく)とは、仏教の膨大な経典群を、お釈迦様が説いた時期や内容(相)によって分類・序列化し、それぞれの教えの価値や優劣を判断・解釈すること。。これは、中国仏教で発展し、各宗派が自らの教えを最高位とし、他の教えは方便(段階的な教え)と位置づけることで、自宗の教義を正当化する目的もありました。代表例として天台宗の「五時八教」や華厳宗の「五教十宗」などがあります。 具体例
● 天台宗: 智顗(ちぎ)による「五時八教」。 五時(説法の時期): 華厳時・鹿苑時・方等時・般若時・法華涅槃時。 八教(教え方): 化法四教(蔵・通・別・円)と化儀四教(頓・漸・不定・秘密)。
● 華厳宗: 法蔵(ほうぞう)による「五教十宗」。 五教: 小乗・始教・終教・頓教・円教。
訓み下し訳文 私訳
(出定後語序)

、幼にして閒暇かんかなり。儒のふみを読むことをたり。もって少しく長ずるに及んで、また閒暇なり。ぶつの籍を読むことを獲たり。もって休しぬ。曰く、儒仏の道もまたかくのごとし。みな善をつるにあるのみと。しかるに、その、道の義を細席さいせき因縁するに至りては、則ち、 あに説なきことを得んや。即ち屬籍しょくせきすることなきことあたはざるなり。ここにおいてか、出定成りぬ。基、この説を持すること、かつ十年ばかり、もって人に語るに、人みな漠たり。たとひ、われ長ずること數箇すうか、もって頒󠄃白はんぱくの年に及ぶとも、天下儒仏の道、また儒仏の道のごとくんば、これ何の益かあらん。ああ、身の側陋そくろうにしてめる。すでに、もって人に及ぼして徳することあたはず。またこれを限るに、大故たいこをもってして伝ふることなからんか。基や、いますでに三十もって長じぬ。また、もって、伝へざるべからざるなり。願ふ所は、即ちこれをその人通邑つうゆう大都に伝へ、及ぼしてもって、これを韓もしくは漢に伝へ、韓もしくは漢、及ぼしてもって、これを湖西こせいに伝へ、もって、これを釈迦牟尼降神しゃかむにごうじんの地に伝へ、人をして、みな道においてることあらしめば、これ、死して朽ちざるなり。しかりといへども、何をもっていはゆる悪慧あくえにあらざるを知らん。これは則ち、かたし。これは則ち、かの明者めいしゃ部索ぶさくして、これを楔󠄃フサを待つのみ。
延享元年秋八月        富永仲基識とみながなかもとしるす 

(出定後語序)

わたしは幼少のとき、暇があったので、儒学の書籍を読んだ。少し成長して、また暇があったので、仏典を読んだ。一段落して、思った。それぞれの宗旨は、儒教も仏教も同じだ、善を成すに尽きる。しかしながらその道の義を細かく調べてゆくと、どうしても説明が必要になる。それでこの書籍を書かざるを得なかった。こうして、出定後語はできた。わたしは、この自説を持って十年ばかり、世人に説いたが、みな漠として理解しない。たとえ、わたしが長じて数年、白髪の混じる初老になっても、世の儒仏の道は、依然として変わらず旧来の儒仏の道のままならば、何の益があろうか。ああ、わたしは一介の市井人に過ぎず、しかも病んでいる。人に説いて徳を積むことはできない。突然の災禍があって、伝えられなくなる恐れもある。しかもわたしはすでに三十を超えている。どうかして伝えたいものだ。願わくば、これを大都の人々に伝え、それを以て韓国もしくは中国に伝え、さらに韓国もしくは中国から西域に伝え、以て釈迦牟尼生誕の地に伝え、人々を道に於て光あらしめれば、死んでも朽ちることはないであろう。しかし、何をもってこれは悪い知恵ではない、と判断するのか。その判別は難しいことだ。後代に賢明な偉人が出て自説に欠けている所を補い塞いでくれるのを待つのみである。
延享元年秋八月         富永仲基識しるす 

(1.1 教起前後 第一)

いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな天をむねとせり。曰く、「これをいんしゅすれば、すなわかみ、天に生ず」と。これのみ。

(1.1 教起前後 第一)

いま、仏教興隆の時代を考えるに、おそらく、その発端は当時の外道に始まる。その宗派は、およそ九十六種あり、みな天を至高のものとしている。その説によれば、「これによって修行すれば、天に生まれ変われる」と。これに尽きる。

因果經に云く、「太子いん雪山せっせんに入り遍ねく諸仙をふ。何の果を求めんと欲すと。仙人答へて言く、天に生まれんと欲するが為と」。乃ちこれ。

因果経に曰く、「かって太子が雪山に入って諸仙人を訪うて尋ねた。どんな果報を期待しているのか。仙人たちの答えは、天に生まれたいのです」すなわち、これに尽きる。

衛世師外道、仏の前に在ること八百年。是れ最も久遠。其の最も後に出るは、阿羅羅あらら鬱陀羅うつだらなり。蓋し二十八天非非想を以て極とせり。是れ鬱陀の宗とする所、無所有て此に生るとせるなり。是れ本と阿羅の無所有を以て極となせるに上す。而して無所有は則ち本と識處に上す。識處は則ち本と空處に上す。空處は則ち本と色界に上す。空處、色界、欲界、六天、皆相加上して以て説を成せるも、其の實は則ち漠然、何ぞ其の信否を知らん。故に外道の所説は、非非想を以て極となせり。 釋迦文は此に上せんと欲するも、復た生天を以て之に勝ち難し、是に於て上は 七仏を宗として、生死の相を離れ、之に加うるに大神變不可思議力を以て、示すに其の絶えて為し難きを以てせり。乃ち外道は服して竺民は歸す。是れ釈迦文の道の成れるところ也。

衛世師外道が最も古く、釈尊以前八百年前にはあった。これが最も古い宗派である。最も後に出たのは、阿羅羅あらら鬱陀羅うつだらである。思うに、鬱陀羅は、三界のなかで非非想を最高の境地とした。これは鬱陀羅の尊ぶ境地で、元は阿羅羅の無所有に上乗せしたのである。また無所有は、元は識處に上乗せしたもので、識處も元は空處に上乗せし、空處は色界に上乗せし、空處、色界、欲界、六天、も皆それぞれ加上して宗派をなしている。実際は漠然としており、信じるに足るものかどうかわからない。外道の所説は、非非想をもって至高とする。釈迦はこの上に至りたいと思ったが、これに上回る生天は難しかったので、過去七仏を持ってきて宗の元に据えて、生死の相を離れ、加えて神通的な不可思議の力を使って、その為し難き力を見せつけてたちまち異教の民を屈服させ、インドの民を帰依させた。こうして、釈迦の宗派が成立した。

釈迦文既に没して僧祇結集あり。迦葉始めて三藏を集め、大衆亦三藏を集め、分れて両部と為して後、復た分れて十八部となれり。然るに其の言の述ぶる所は、有を持って宗となす。事皆名数に在て、全く方等微妙の義なし。是れ所謂小乗なり。是に於て文殊の徒は、般若を作りて以て之に上せり。其の言の述ぶる所は、空を以て宗と為す。而して事皆方広なり。是れ所謂大乗なり。

釈迦はすでに没して、弟子たちの結集があった。魔訶迦葉が初めて三藏(経・律・論)を集めて編集した(上座部)。また一般の僧たちも三藏を編集した(大衆部)。両部となって、後にまた分派して、十八部となった。これらの所説は、存在するもの(有)を前提とし、教義を数字に分けて説いているので、大乗の微妙な深い意味がない。これが小乗である。ここにおいて、文殊の徒は、般若を作ってこれに上乗せした。その説くところは、空を宗とするのである。したがって、すべてに広大で平等で普遍的傾向を持つ。これが大乗だ。

智度金剛仙の二論に云く、「如来、此鉄囲山外に在で、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集せり」と。乃ち是れ。
智度、金剛仙の二論に云く、「如来は、このわれわれの住む世界にあって、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集した」と。すなはち、これである。

この時、大小二乗、いまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、則ち曰く、「得道の夜より、涅槃の夜に至るまで、常に般若を説く」と。

この時には、まだ大小二乗いずれが先か説かれていないが、大乗を主張する者はいう、「釈尊は大悟した夜から涅槃に至るまで、常にずっと般若を説いておられた」と。

智度論の文しかり。、論また迦文初成道しょじょうどうの事を説き云く、「この時、世界主梵天王ぼんてんおう名は式弃しきおよび色界の諸天等、釈提桓因しゃくだいかんいんおよび欲界の諸天等、みな仏の所にけいして、世尊に初転法輪を勧請す。またこれ菩薩の念じて、もと願ふ所、および大慈大悲の故に、請を受けて法を説く。諸法甚深の者は般若波羅密はんにゃはらみつこれなり。この故に、仏、魔訶般若波羅密経を説く」と。乃ちこれ。
これは大智度論にいうところである。また智度論は釈尊の初成道を説いて、「この時、世界主である梵天王、名は式弃しき、および色界の諸天など、釈提桓因しゃくだいかんいんおよび欲界の諸天などみな仏の所に詣でて、釈尊に初転法輪を勧請し、またこれは菩薩が元々深く願っていたことでもあり、釈尊は大慈大悲の故に、請を受けて法を説くこととなったのである。諸法の中でも最も甚深なのは般若波羅密はんにゃはらみつであり、この故に、釈尊は『魔訶般若波羅密経』を説いた」と。これである。

その小乗を張る者は、則ち曰く、「 転法輪経てんぼうりんきょうより 大涅槃だいねはんに至るまで、集めて 四阿含しあごんを作る」と。

小乗を主張する者は曰く、「釈迦の最初の説法から入滅までの説法を集めて、四阿含を作ったのだ」と。

智度論に云く、「大迦葉だいかしょう阿難あなんに語る。転法輪経より大涅槃に至るまで、集めて四阿含を作る。智度論に云く、増一阿含ぞういちあごん・中阿含・長阿含じょうあごん相 応そうおう阿含、これを 修跖路しゅとろ法蔵と名づく」と。乃ちこれ。
智度論に云く、「大迦葉、阿難に語る。転法輪経より大涅槃に至るまでの説を集めて、四阿含を作った。智度論に云く、増一阿含・中阿含・長阿含・相応阿含は、これを修跖路法蔵と名づく」と。これである。

これおのおのその終始を命じて、いまだ年数前後の説にあらざるなり。故にその仁王般若にんのうはんにゃの序に云ふ、「世尊、前にすでに四般若を説く。三十年正月、 仁王を説く」者もとは、またただ泛爾はんじとしてこれを言ふ。阿含の後、正当三十年と言ふにはあらざるなり。しかるに法界性論これを説きて云く「十二年阿含を説き、三十年大品を説き、八年法華を説く」と。これ法華四十年余年の文のために転ぜられて、しか云ふ。その実は非なり。ここにおいて、法華氏の言興る。その言に云く「成正覚よりこのかた四十年を過ぐ。無数の方便、衆生を引導す。わが所説の諸経、法華最第一。ただし菩薩のためにして、小乗のためにせず、諸法の実相を観ず。これを菩薩の行と名づく」と。無量義経もまた云く、「四十余年いまだ真実を顕わさず、種種の説法は方便力をもってす」と。これ見つべし、そのこれを四十余年の後に託して、従前の諸家を愚法にし、またこれを実相に託して、従前の有空を破るを。これ法華氏は乃ち大乗中の別部、従前の二乗を并せてこれを斥する者なり。しかるに後世の学者は、みなこれを知らず。いたづらに法華を宗として、もって 世尊真実の説経中の最第一となせる者は誤る。年数前後の説は、実に法華にはじまる。并呑権実へいどんごんじつの説もまた、実に法華にはじまる。広大の方便力。古今の人士を熒惑するは、何ぞ限らん。ああたれかこれを蔽する者ぞ。出定如来にあらざればあたはざるなり。

これはそれぞれの初めと終わりを言ったもので、年数や経の前後の順を述べたものではない。仁王般若にんのうはんにゃの序に次のように云っている。「世尊は先に四阿含を説いた。三十年目の正月に仁王経を説いた」とあるのも、漠然と言っているのである。阿含の後、三十年後にと言っているのではない。だが、法界性論は、これを説いて云う、「(成道から)十二年間阿含を説き、三十年大品般若経を説き、八年法華を説いた」と。これは、法華四十余年の先入観があるために、ゆがめられて、こういったのである。それは事実ではない。ここに法華派が出現した。その趣旨は、「釈尊の正覚より四十余年が経った。無数の方便により衆生を導いた。わが所説の中で法華が第一だ。ただし、菩薩のために説いたのであり、小乗のためではない。諸法の実相を観じる。これを菩薩行と名づける」と。無量義経もまた云う、「四十余年いまだ真実を顕わしていない。種種の説法は方便力で説いていた」と。これを見よ。このことは、四十余年の後に仮託して、従来の諸家を愚弄し、また実相に仮託して従来の有空の法を廃棄したのである。法華派は大乗の中でも異端であり、従来の二乗とも排斥したのである。しかるに後世の学者は、みなこれを知らず、いたづらに法華を宗として尊び、釈迦の説経中の第一、とする者は誤るのである。年数前後の説は、実に法華に始まる。権実(方便・真実)を併せた説も、実に法華に始まるのである。広大な方便力が、古今の人士を惑わしているのは、法華に限ったことではない。ああ、誰かこれがわかる者がいようか。出定如来たるこのわたしでなければ、明らかにできないだろう。

解深密経げじんみつきょうに云く、「初め小乗、なか空教、のち不空」と。また法華氏の党なり。また案ずるに、三藏の目、始めて迦葉に起これり。しかして法華の文に三藏学者あり。ここに知る、法華経の後に出でたるを、また案ずるに、法華はけだし 普現の徒作る。大論の 遍吉の語見るべし。

解深密経に云う。「初め小乗、中空教、後不空」と。これも法華派の言葉である。また思うに、三藏の名称は、仏滅後、迦葉が三藏を集めた時に始まるとされるが、法華経の文には、三藏の学者がいたと書かれており、これからしても、法華経は迦葉の後に出たと分かる。また思うに、法華経は普賢菩薩派が作ったものではないか。大智度論の遍吉の語るのを見れば分かる。

ここにおいて華厳けごん氏の言興こる。乃ちこれを二七日の前円満修多羅えんまんしゅうたらを説くに託して、もって従前の小乗をせきし、またこれを日輪のまづ諸大山を照らすに譬へて、もって従前の大乗を斥し、特に一家の経王を作れり。誠に加上する者のさきがけなり。後世あるいはまた、この方便を信じて、この経を最上至極、 とんの頓と曰ふ者は、また誤る。

ここにおいて、華厳の一派が興った。華厳経は釈尊が成道後14日目に説かれた教えであると主張し、それまでの小乗を一蹴し、日光三照の譬えでもって、それまでの大乗をも排して一派をなした。誠に加上のさきがけである。後世の輩が、この方便を信じてこの経が最上至極の頓教であると信じる者たちは、また誤りである。

舎利弗しゃりほつ目連もくれんは、異時異処、ともに仏法に入れり。しかるにこの会、即ち舎利弗等五百の声聞しょうもんあり。祇洹林ぎおんりん普光法堂ふこうはっとうは、この時並びにいまだ建立せず。しかしてこの文、つぶさにこれを述べたり。これみな作者の方便 逗漏とうろの処、また案ずるに、華厳に諸法実相・般若波羅蜜の語あり。ここに知る、この経もまた二経の後に出でたるを。
舎利弗と目連は、時と処を異にして仏門に入った。しかし華厳が説かれた会座に、舎利弗等五百人の声聞がいたとされている。また祇洹林ぎおんりん普光法堂ふこうはっとうはまだ建立されていなかったはずなのに華厳経には述べられている。これは作者の作りごとであり、偽りである。また思うに、華厳経には諸法実相や般若波羅蜜の語が使われており、この経は般若経・法華経の二経の後に出たものだろう。

ここにおいて大集だいじゅう泥洹ないおん兼部けんぶの言興こる。乃ちその二経を作為して、もって大小二乗を合はせ、かつもって重きをその涅槃に帰せり。その十六年始めて大集を説くと云ふがごとき、これ暗に般若の前に託して、しかも二乗の中間に出づるなり。かつその津を説きて、かくのごとき五部、おのおの別異なりといへども、しかもみな諸仏法界および大涅槃を妨げずと云ふがごとき、これ五部津の異を合はするなり。しかるに五部律はみな、もと八十誦中より出ず。後世五師、分かれて五部となるも、仏の滅度を去ることいくばくぞ。ここに知る、この経は後に出でたるを。涅槃もまた同手の作なり。故に言語ごんご多くあひ類す。これ則ちこれを仏滅に託して、もってこの経の出でたる、年数の最後にあるを証し、またこれを譬ふるに醍醐をもってし、もってこの経の義、最も純粋なるを明らかにし、また毘尼びにならびに戒乗の緩急を挙げて、もって大小二乗のならびに遠ざけがたきを説く。後世、捃捨教くんじゅうきょうと名づくる者のごとき、これ兼部氏たるを知らざればなり。

ここにおいて、大集だいじゅう泥洹ないおんを兼ね併せた兼部けんぶ氏の一派が興こる。それはこの二経を作為して、大乗と小乗を兼ねられるようにして、加えて涅槃経を重んじたものである。 十六年目にして初めて大集経を説くなどと云うがごとく、暗に般若経の前に置いて、大乗と小乗の中間に配置したのである。また戒律にしても、このように五部が互いに異なっているが、諸仏の法界および涅槃経に矛盾しないとして、小乗五部律との相違のつじつまを合わせている。もともと五部律は優波離うばりの誦出した八十誦から出ているのである。後世、五部に分派したのも仏滅度ののち幾ばくか経っていたろうか。これで分かる、この大集経も順番からいうと後の方でできたのである。涅槃経も同じ仲間の手でなっただろう。故に似た用語が多いのである。これは仏滅の直前に説かれたと証したいのであり、またこれを最上の味の醍醐に譬えてこいるのも、この経が純粋で、最後に説かれたものであることを証したいのであり、また戒律に緩急をつけて、もって大小二乗の捨てがたいことをも主張しているのである。後世の徒が、捃捨教くんじゅうきょうなどと呼んでいるのも、兼部氏の素性をしらないからである。

按ずるに、法顕の伝に云く、「某の国は小乗の学、某の国は大乗の学、某の国は兼大小乗を兼ぬ」と。この兼と云ふは、乃ち兼部氏なり、また按ずるに、哀嘆品は新体の伊字をもって秘密の蔵に譬ふ。ここに知る、涅槃もまた後に出でたるを
思うに、法顕伝に云く、「この国は小乗を学ぶ、この国は大乗を学ぶ、この国は大小乗を兼ねて学ぶ」と。この兼ねてというのは、すなわち兼部氏のことである。また思うに、涅槃経の 哀嘆品では梵語の新字体の伊字をつかって秘密の蔵に譬えている。これで分かるのである。涅槃経もまた後世に作られたのである。

ここにおいて、頓部氏とんぶしの説興こる。そのかい 経およそ二十。楞枷りょうがの尤なるものなり。従前の諸経は、言みな煩重ほんちょう、その趣き牛毛ぎゅうもうにして迂遠うえんなるをもって、故にさらに激切の語を立てて云く、「一切の煩悩は、本来おのづから離る。断および不断と説くべからず。一切の衆生、みなこれ一切、畢竟不生ふしょうなり。諸名字みょうじを離るれば、即ち一切法は唯一真心しんしん、一念不生なり。即ちこれ仏、一地より一地に至らず、初地は乃ち八地」と。その言直切、また環回かんかいの説なし、もって従前の因陀羅いんだらを破る。その窮まり離披りひして、菩提達磨ぼだいだるま氏となり、その東来して、楞伽りょうがをもって衆生の心を印す。また徴とすべし。義によりて文字によらず、終始一字を説かず。実に禅家ぜんけ鼻祖びそたり。その窮りて変幻奇怪、乃ち乾尿橛かんしけつをもって仏性を語り、拭瘡疣しょくそうゆうして経巻を斥するに至る。これみないはゆる頓部氏なり。

ここにおいて頓経の一派が興った。その重要経典はおよそ二十。そのうち、楞枷経は最も重要である。従来の経典は煩雑で回りくどく、この経は言葉鋭く云う、「一切の煩悩は本来自ずから離れるものであって、断・不断をいうべきではない。一切の衆生は、則ち一切であって、みな煩悩も因果の因もない(不生)ものだ。



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読書期間2025年1月12日 - 2025年7月6日