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目次 | 巻の上 | 巻の下 | 漢文の基礎 | 用語 | 原文 | はじめに |
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| 訓み下し訳文 | 私訳 |
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(出定後語序)
※基、幼にして閒暇なり。儒の籍を読むことを獲たり。もって少しく長ずるに及んで、また閒暇なり。仏の籍を読むことを獲たり。もって休しぬ。※曰く、儒仏の道もまたかくのごとし。みな善を樹つるにあるのみと。しかるに、その、道の義を※細席に※因縁するに至りては、則ち、
あに説なきことを得んや。即ち※屬籍することなきことあたはざるなり。ここにおいてか、出定成りぬ。基、この説を持する者、かつ十年ばかり、もって人に語るに、人みな漠たり。たとひ、われ長ずること※數箇、もって※頒󠄃白の年に及ぶとも、天下儒仏の道、また儒仏の道のごとくんば、これ何の益かあらん。ああ、身の※側陋にして痡める。すでに、もって人に及ぼして徳することあたはず。またこれを限るに、※大故をもってして伝ふることなからんか。基や、いますでに三十もって長じぬ。また、もって、伝へざるべからざるなり。願ふ所は、即ちこれをその人通邑大都に伝へ、及ぼしてもって、これを韓もしくは漢に伝へ、韓もしくは漢、及ぼしてもって、これを湖西に伝へ、もって、これを釈迦牟尼降神の地に伝へ、人をして、みな道において光ることあらしめば、これ、死して朽ちざるなり。しかりといへども、何をもっていはゆる悪慧にあらざるを知らん。これは則ち、かたし。これは則ち、かの※明者の部索して、これを楔󠄃ぐを待つのみ。
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(出定後語序)
わたしは幼少のとき、暇があったので、儒学の書籍を読んだ。少し成長して、また暇があったので、仏典を読んだ。一段落して、思った。それぞれの宗旨は、儒教も仏教も同じだ、善を成すに尽きる。しかしながらその道の義を細かく調べてゆくと、どうしても説明が必要になる。それでこの書籍を書かざるを得なかった。こうして、出定後語はできた。わたしは、この自説を持って十年ばかり、世人に説いたが、みな漠として理解しない。たとえ、わたしが長じて数年、白髪の混じる初老になっても、世の儒仏の道は、依然として変わらず旧来の儒仏の道のままならば、何の益があろうか。ああ、わたしは一介の市井人に過ぎず、しかも病んでいる。人に説いて徳を積むことはできない。突然の災禍があって、伝えられなくなる恐れもある。しかもわたしはすでに三十を超えている。どうかして伝えたいものだ。願わくば、これを大都の人々に伝え、それを以て韓国もしくは中国に伝え、さらに韓国もしくは中国から西域に伝え、以て釈迦牟尼生誕の地に伝え、人々を道に於て光あらしめれば、死んでも朽ちることはないであろう。しかし、何をもってこれは悪い知恵ではない、と判断するのか。その判別は難しいことだ。後代に賢明な偉人が出て自説に欠けている所を補い塞いでくれるのを待つのみである。
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| (1.1 教起前後 第一)
いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな※天を宗とせり。曰く、「これを因に修すれば、乃ち上、天に生ず」と。これのみ。 |
(1.1 教起前後 第一)
いま、仏教興隆の時代を考えるに、おそらく、その発端は当時の外道に始まる。その宗派は、およそ九十六種あり、みな天を至高のものとしている。その説によれば、「これによって修行すれば、天に生まれ変われる」と。これに尽きる。 |
※因果經に云く、「太子因に雪山に入り遍ねく諸仙を扣ふ。何の果を求めんと欲すと。仙人答へて言く、天に生まれんと欲するが為と」。乃ちこれ。 |
因果経に曰く、「かって太子が雪山に入って諸仙人を訪うて尋ねた。どんな果報を期待しているのか。仙人たちの答えは、天に生まれたいのです」すなわち、これに尽きる。 |
※衛世師外道、仏の前に在ること八百年。是れ最も久遠。其の最も後に出るは、※阿羅羅※鬱陀羅なり。蓋し※二十八天非非想を以て極とせり。是れ鬱陀の宗とする所、※無所有を度て此に生るとせるなり。是れ本と阿羅の無所有を以て極となせるに上す。而して無所有は則ち本と※識處に上す。識處は則ち本と空處に上す。空處は則ち本と色界に上す。空處、色界、欲界、六天、皆相※加上して以て説を成せるも、其の實は則ち漠然、何ぞ其の信否を知らん。故に外道の所説は、非非想を以て極となせり。 ※釋迦文は此に上せんと欲するも、復た生天を以て之に勝ち難し、是に於て上は ※七仏を宗として、生死の相を離れ、之に加うるに大神變不可思議力を以て、示すに其の絶えて為し難きを以てせり。乃ち外道は服して※竺民は歸す。是れ釈迦文の道の成れるところ也。 |
衛世師外道が最も古く、釈尊以前八百年前にはあった。これが最も古い宗派である。最も後に出たのは、阿羅羅と 鬱陀羅である。思うに、鬱陀羅は、三界のなかで非非想を最高の境地とした。これは鬱陀羅の尊ぶ境地で、元は阿羅羅の無所有に上乗せしたのである。また無所有は、元は識處に上乗せしたもので、識處も元は空處に上乗せし、空處は色界に上乗せし、空處、色界、欲界、六天、も皆それぞれ加上して宗派をなしている。実際は漠然としており、信じるに足るものかどうかわからない。外道の所説は、非非想をもって至高とする。釈迦はこの上に至りたいと思ったが、これに上回る生天は難しかったので、過去七仏を持ってきて宗の元に据えて、生死の相を離れ、加えて神通的な不可思議の力を使って、その為し難き力を見せつけてたちまち異教の民を屈服させ、インドの民を帰依させた。こうして、釈迦の宗派が成立した。 |
釈迦文※既に没して、※僧祇結集あり。迦葉始めて三藏を集め、大衆亦三藏を集め、分れて※両部と為して後、復た分れて十八部となれり。然るに其の言の述ぶる所は、有を持って宗となす。事皆名数に在て、全く※方等微妙の義なし。是れ所謂小乗なり。是に於て文殊の徒は、般若を作りて以て之に上せり。其の言の述ぶる所は、空を以て宗と為す。而して事皆方広なり。是れ所謂大乗なり。 |
釈迦はすでに没して、弟子たちの結集があった。魔訶迦葉が初めて三藏(経・律・論)を集めて編集した(上座部)。また一般の僧たちも三藏を編集した(大衆部)。両部となって、後にまた分派して、十八部となった。これらの所説は、存在するもの(有)を前提とし、教義を数字に分けて説いているので、大乗の微妙な深い意味がない。これが小乗である。ここにおいて、文殊の徒は、般若を作ってこれに上乗せした。その説くところは、空を宗とするのである。したがって、すべてに広大で平等で普遍的傾向を持つ。これが大乗だ。 |
※智度、※金剛仙の二論に云く、「如来、此※鉄囲山外に在で、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集せり」と。乃ち是れ。 |
智度、金剛仙の二論に云く、「如来は、このわれわれの住む世界にあって、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集した」と。すなはち、これである。 |
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この時、大小二乗、いまだ※年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、則ち曰く、「得道の夜より、涅槃の夜に至るまで、常に般若を説く」と。 |
この時には、まだ大小二乗いずれが先か説かれていないが、大乗を主張する者はいう、「釈尊は大悟した夜から涅槃に至るまで、常にずっと般若を説いておられた」と。 |
※智度論の文しかり。、論また※迦文※初成道の事を説き云く、「この時、世界主梵天王名は式弃および色界の諸天等、※釈提桓因および欲界の諸天等、みな仏の所に詣して、世尊に※初転法輪を勧請す。またこれ菩薩の念じて、もと願ふ所、および大慈大悲の故に、請を受けて法を説く。諸法甚深の者は※般若波羅密これなり。この故に、仏、魔訶般若波羅密経を説く」と。乃ちこれ。 |
これは大智度論にいうところである。また智度論は釈尊の初成道を説いて、「この時、世界主である梵天王、名は式弃、および色界の諸天など、釈提桓因および欲界の諸天などみな仏の所に詣でて、釈尊に初転法輪を勧請し、またこれは菩薩が元々深く願っていたことでもあり、釈尊は大慈大悲の故に、請を受けて法を説くこととなったのである。諸法の中でも最も甚深なのは般若波羅密であり、この故に、釈尊は『魔訶般若波羅密経』を説いた」と。これである。 |
小乗を主張する者は曰く、「釈迦の最初の説法から入滅までの説法を集めて、四阿含を作ったのだ」と。 | |
智度論に云く、「※大迦葉 |
智度論に云く、「大迦葉、阿難に語る。転法輪経より大涅槃に至るまでの説を集めて、四阿含を作った。智度論に云く、増一阿含・中阿含・長阿含・相応阿含は、これを修跖路法蔵と名づく」と。これである。 |
これおのおのその終始を命じて、いまだ年数前後の説にあらざるなり。故にその※仁王般若 |
これはそれぞれの初めと終わりを言ったもので、年数や経の前後の順を述べたものではない。仁王般若 |
※解深密経 |
解深密経に云う。「初め小乗、中空教、後不空」と。これも法華派の言葉である。また思うに、三藏の名称は、仏滅後、迦葉が三藏を集めた時に始まるとされるが、法華経の文には、三藏の学者がいたと書かれており、これからしても、法華経は迦葉の後に出たと分かる。また思うに、法華経は普賢菩薩派が作ったものではないか。大智度論の遍吉の語るのを見れば分かる。 |
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※ここにおいて華厳 |
ここにおいて、華厳の一派が興った。華厳経は釈尊が成道後14日目に説かれた教えであると主張し、それまでの小乗を一蹴し、※日光三照の譬えでもって、それまでの大乗をも排して一派をなした。誠に加上の魁 |
※舎利弗 |
舎利弗と目連は、時と処を異にして仏門に入った。しかし華厳が説かれた会座に、舎利弗等五百人の声聞がいたとされている。また祇洹林 |
※ここにおいて、※大集 |
ここにおいて、大集 |
按ずるに、法顕の伝に云く、「某の国は小乗の学、某の国は大乗の学、某の国は兼大小乗を兼ぬ」と。この兼と云ふは、乃ち兼部氏なり、また按ずるに、哀嘆品は新体の伊字をもって秘密の蔵に譬ふ。ここに知る、涅槃もまた後に出でたるを |
思うに、法顕伝に云く、「この国は小乗を学ぶ、この国は大乗を学ぶ、この国は大小乗を兼ねて学ぶ」と。この兼ねてというのは、すなわち兼部氏のことである。また思うに、涅槃経の 哀嘆品では梵語の新字体の伊字をつかって秘密の蔵に譬えている。これで分かるのである。涅槃経もまた後世に作られたのである。 |
ここにおいて、※頓部氏 |
ここにおいて頓経の一派が興った。その重要経典はおよそ二十。そのうち、楞枷経は最も重要である。従来の経典は煩雑で回りくどく、この経は言葉鋭く云う、「一切の煩悩は本来自ずから離れるものであって、断・不断をいうべきではない。一切の衆生は、則ち一切であって、みな煩悩も因果の因もない(不生)ものだ。 |
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