阿含経を読む

尊敬に値する

南伝 中部経典89 法荘厳経
漢訳 中阿含経213 法荘厳経
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「大王よ、あなたは、いかなる理由によって、この私に、最高の尊敬と親愛の情を表すのでありますか」
「世尊よ、<世尊は正等覚者であらせられる。世尊によりて法はよく説かれた。世尊の弟子の僧迦はよく実践する>―これが、わたしの、世尊に対するいつも変わらぬ感慨の表現であります。
世尊よ、このわたしは、ある沙門、ある婆羅門が、十年も、二十年も、三十年も、四十年も、ある期間のあいだ、清浄なる行をつづけたことを知っています。だが、彼らは、その後には、沐浴し、塗油し、鬚髪を調え、五種の欲望を具足し、満足し、耽溺するにいたりました。しかるに、世尊よ、世尊の弟子の比丘たちは、その命終わり、息の止まるまで、円満にして清浄なる行をつづけております。されば、世尊よ、わたしは、<世尊は正等覚者であらせられる。世尊によりて法はよく説かれた。世尊の弟子の僧迦はよく実践する>と、わが感慨を述べざるをえないのであります。
さらにまた、世尊よ、王は王と争い、クシャトリヤ(刹帝利)はクシャトリヤと争い、婆羅門は婆羅門とあらそい、居士は居士とあらそい、母は子とあらそい、子は母とあらそい、父は子とあらそい、子は父とあらそい、兄弟は兄弟とあらそい、兄弟は姉妹とあらそい、姉妹は兄弟とあらそい、朋友は朋 友とあらそう。しかるに、世尊よ、世尊の弟子の比丘たちを見るに、よく和合し、同慶し、あらそわず、乳と水のごとく融合し、互いに敬愛の眼をもて相見て住しています。わたしは、他に、かくのごとくよく和合せるものを見たことがありません。されば、世尊よ、わたしは、<世尊は正等覚者であらせられる。世尊によりて法はよく説かれた。世尊の弟子の僧迦はよく実践する>と、わが感慨を述べざるをえないのであります。
さらにまた、世尊よ、わたしは、しばしば、林園より林園へ、宮苑より宮苑へと、徘徊し逍遥しました。そして、わたしは、そこで、沙門や婆羅門を見かけたことがありますが、彼らは、痩せ衰え、醜悪にして、顔色も黄色に、脈管もあらわに、人の見るに耐えざる様をしています。それについて、わたしはこう思いました。<この尊者たちは、きっと、梵行を修行することを楽しまないか、あるいは、なにか悪行をなして匿しているに違いない。それで、これらの尊者は、痩せ衰え、醜悪にして、顔色も黄色に、脈管もあらわに、人の見るに耐えざる様をしているのであろう>と。それで、わたしはある時、彼等に近づいていいました。<尊者よ、そなたたちが、痩せ衰え、醜悪にして、顔色も黄色に、脈管もあらわに、人の見るに耐えざる様をしているのは、何故であろうか>と。すると彼らは<大王よ、われらは苦しい>と答えました。しかるに、世尊よ、いまここに、世尊の比丘たちを見ると、喜びに満ち、楽しみに満ち、喜色にあふれ、諸根は悦予して、求むるところなく、易々として、鹿のごとき柔和な心をもって住しております。それについて、私は思うに、<この比丘たちは、きっと、かの世尊の教えにおいて、最勝殊妙のものを知っているに違いない。かくて、この比丘たちは、喜び楽しんで、易々として、柔和であるに相違ないのだ>と。かくして、わたしは、<世尊は正等覚者であらせられる。世尊によりて法はよく説かれた。世尊の弟子の僧迦はよく実践する>と、わが感慨を述べざるをえないのであります。
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注解
居士(gahapati=householder) 四姓の第三、商工を業とする毘舎の富豪をいう。
更新2007年7月1日