阿含経を読む

尊敬に値する

南伝 中部経典89 法荘厳経
漢訳 中阿含経213 法荘厳経
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「さらにまた、世尊よ、わたしの許に、イシーダッタ(仙余)、プラーナ(宿旧)という二人の工匠がおります。彼らは、わたしの大工であり、わたしは彼らに生業をあたえ、彼らはわたしによって名声を博してた者であります。しかるに、彼らは、このわたしに対しても、なお、世尊に対するほどの尊敬は払わないのであります。世尊よ、その昔のこと、わたしは、軍旅にあって、試みにイシーダッタおよびプラーナなる工匠をともなってせまい家に宿ったことがあります。その時、世尊よ、イシーダッタ及びプラーナなる工匠は、夜おそくまで法談をして過ごし、さて寝にあたっては、世尊のいますと聞く方向に頭をむけ、わたしの方に足を向けて寝たのであります。世尊よ、それについて、わたしは思いました。<まことに稀有のことである。まことに未曾有のことである。イシーダッタおよびプラーナなる工匠は、わが召しつかう者であり、わたしの大工であり、わたしは彼らに生業をあたえ、彼らはわたしによって名声を博してた者であります。それなのに、彼らは、このわたしに対して、なお、世尊に対するほどの尊敬は払わないのである。これは、彼らが、かの世尊の教えにおいて、最勝殊妙のものを知ったからにほかなるまい>と。世尊よ、わたしは、<世尊は正等覚者であらせられる。世尊によりて法はよく説かれた。世尊の弟子の僧迦はよく実践する>と、わが感慨を述べざるをえないのであります。
さらにまた、世尊よ、世尊もクシャトリヤにましまし、わたしもまたクシャトリヤであります。世尊もコーサラ族にましまし、わたしもまたコーサラ族であります。世尊も八十歳であらせられ、わたしもまた八十歳でございます。世尊よ、世尊もクシャトリヤ、わたしもまたクシャトリヤ、世尊もコーサラ族、わたしもまたコーサラ族、そして世尊も八十歳、わたしもまた八十歳というのであれば、世尊よ、わたしが世尊にたいして最高の尊敬と親愛の情を表するに、なんの不思議もないのであります。だが、世尊よ、いまや、わたしは、行かねばなりません。わたしは多事多用であります」
「大王よ、御意のままになされるがよい」
そこで、コーサラ王パセーナディは、その座を立って、世尊に礼拝して去った。
そこで、世尊は、コーサラ王パセーナディが去ってまもなく、比丘たちに告げて仰せられた。
「比丘たちよ、コーサラ王パセーナディは、法の記念塔を説き終わって立ち去られた。比丘たちよ、この法の記念塔を受持するがよい。比丘たちよ、この法の記念塔を通達するがよい。比丘たちよ、この法の記念塔を受持するがよい。比丘たちよ、この法の記念塔は、利益がある。梵行の出発点となる」
世尊はそのように説きたもうた。彼ら比丘たちは、歓喜して、世尊の説かせたもうところを信受した。
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注解
法の記念塔(dhammacetiya=a memorial in honour of the Dhamma) "cetiya"というのは「廟」もしくは「塔」などと訳せられる言葉。すなわち、ここでは、記念すべき思い出を指しているのであり、漢訳では「法荘厳」と訳されている。
更新2007年7月1日