源氏物語  巻名の由来

HOME表紙へ 源氏物語 目次

1 桐壺 きりつぼ

ある御代に、帝にことのほか寵愛された更衣がいた。その更衣はお妃たちに妬まれいじめられて、幼い皇子(源氏)を残して死ぬ。その更衣の御殿は淑景舎しげいしゃで、壺(中庭)に桐が植えてあったことから、桐壷とよばれる。更衣は、桐壷の更衣とよばれるようになり、帝も桐壷帝と呼ばれる。

2 帚木 ははきぎ

「帚木」は信濃国、伊那郡、園原の伏屋という所にあった帚(ほうき)を逆さにしたような木で、遠くからは見えるが近づくと見えなくなるという。巻末の源氏と空蝉の贈答の歌による。二度と源氏の接近を許さない空蝉の態度を指している。

(源氏)「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひけるかな」
歌意:近づけば消えるという帚木のようなあなたの心も知らず 園原に来てすっかり道に迷ってしまった。
(空蝉)「数ならぬふせ屋におふる名の憂きにあるにもあらず消ゆる帚木」
歌意:とるにたらない伏屋に生まれた卑賤の身をですので 居たたまれずに帚木のように消えるのです。

3 空蝉 うつせみ

この人を、帚木巻末の歌によって帚木と呼んだ例もあるが(関屋)、夕顔の巻以下に空蝉と呼ぶ名が固定しおり、後の読者もこの人を空蝉と呼んだ。巻末の空蝉の歌による。

「うつせみの羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな」
歌意:蝉の羽根に置く露が木の間隠れに見えぬように、人目に隠れてひっそり涙に濡れる私の袖です。

4 夕顔 ゆうがお

源氏は乳母の病気見舞いに五条の家に向かう途中、隣家の夕顔の花に見とれると、思いがけずその家の女から夕顔に寄せた歌を贈られた。巻名はこの歌による。

(夕顔)「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」
歌意:あて推量で源氏の君と見ます、白露の光にひとしお美しい夕顔の花のようです。

5 若紫 わかむらさき

流行り病を患った源氏は、加持祈祷のため、北山へに行く。そこである僧都の庵室で、祖母と身を寄せていた、美しい少女を見つける。将来の美貌が予想された。少女は源氏が恋い慕う藤壺女御に生き写しだった。少女は藤壺の姪に当たる人だった。父は兵部卿の宮(藤壺の兄)だった。「若紫」とは、春、萌え出た紫草のこと、藤の花の色の縁で藤壺その人を意味し、若紫とは、その藤壺に生き写しの姪の少女を意味する。巻名の「若紫」は、『伊勢物語』初段の歌、「春日野の若紫の摺衣すりごろもしのぶの乱れ限り知られず」歌意 春日野の若々しい紫草で染めた衣の、しのぶ摺りの模様が乱れているように、(私の心は、美しいあなた達姉妹への恋を)忍んで限りなく乱れております、によっている由。特定の歌から直接取った巻名ではない。
(源氏)「手に摘みていつしも見む紫の根にかよひける野辺の若草」歌意:この手に取って早くわがものにしたい、あの藤壺ゆかりの野辺の若草を、の歌も同じ巻にある。

6 末摘花 すえつむはな

夕顔の死後、彼女のような素直でやさしい女めぐり逢いたいと思っていると、乳母子の大輔の命婦は、荒れた邸にひっそり暮らしている、亡き常陸宮の姫君のことを話す。訪問した翌朝、姫の容貌に驚く。鼻が異常に大きく長く赤い。巻名はこの時、末摘花(紅花)に託して書きすさんだ源氏の歌による。

(源氏)「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ」
歌意:心ひかれる人でもないのにどうしてこの赤い鼻を相手にしたのやら。
結局源氏は、宮家の貧しい暮らしぶりに同情し、姫君を援助する。

7 紅葉賀 もみじが

十月、紅葉の美しい折、朱雀院への行幸が行われた。その前に試楽が宮中で行われ、源氏と頭中将は青海波を舞って人々に賞嘆された。朱雀院ではまた一段とすばらしかった。紫の上は源氏になついてきた。巻名「紅葉賀」は本文中には見えないが、次の花宴の巻で作者自らこの朱雀院の行幸を「御紅葉の賀」と呼んでいる。

8 花宴 はなのえん

二月、内裏の南殿の桜を愛でる宴があった。源氏の詩文や舞は際立っていて人々は賞賛した。その夜、酔い心地で朧月夜(弘徽殿の女御の妹)と出会い契る。巻名はこの南殿の桜の宴のからとったもの。特に由来する歌はない。前巻は紅葉の賀で秋、花宴は春と、対になっている。

9 葵 あおい

花の宴から二年、源氏22歳。桐壷帝は譲位し、新帝朱雀院の即位、藤壺腹の皇子の立坊があり、源氏は近衛の大将に昇進している。賀茂の祭りの御契の日、源氏も行列に加わり、葵上と六條御息所の車争いがある。祭の当日、源氏は紫の上と同乗して見物し、先に場所取りにきていた源典侍からいい場所を譲ってもらい、歌のやりとりをする。巻名はこの時の歌に見える言葉による。この巻で葵上は男の子を生み、六条御息所の物の怪がでて、葵上は死去する。

(源典侍)「はかなしや人のかざせるあふひゆえ神のゆるしのけふを待ちける」
歌意:つまらないわ、葵のかざしを他の女がつけている、今日は神が逢瀬を許したもうた日なのでお待ちしてましたのに。
(源氏)「かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを」
歌意:葵をかざして今日の逢瀬を待っているあなたはあてにならない人、誰彼なしに靡く人だから。

10 賢木 さかき

桐壷院は、源氏と東宮を重んずるよう遺言して崩御する。六条御息所は、源氏との仲を思い切り、斎宮の娘と伊勢下向することにした。出発の日も近い頃、源氏は嵯峨野の野の宮に御息所を訪ねる。巻名はこの時交わしたさかきの歌によるもの。前巻の「葵」と並び、神事にからんで巻名は対になっているといわれる。

(御息所)「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ」
歌意:この野の宮には目印の杉はないのに何を間違えて榊を折ったのでしょう。
(源氏)「少女子おとめごがあたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ」
歌意:神に仕える少女子のいるあたりだと思って、榊葉の香をなつかしんで折ってきました。

11 花散里 はなちるさと

弘徽殿の源氏への圧迫が強まる中、亡き桐壷院の女御、麗景殿の邸を訪れ、故院の思い出にふける。巻名はこの時の歌による。

(源氏)「橘の香をなつかしみ郭公ほととぎす花散里をたづねてぞとふ」
歌意:昔を思い出させる橘の香を懐かしみ、郭公は橘の花の散る邸にやってきました。
このあと妹(花散里)の部屋に寄る。

12 須磨 すま

政界の情勢は日増しに源氏に不利になり、決定的な打撃を受ける前に、みずから退き、政敵の鉾先をかわそうと考えた。隠退の地は須磨と定めた。巻名はこれによる。特定の歌はない。明石の入道は源氏の噂を聞き、娘をさし上げたいと願う。

13 明石 あかし

大嵐に見舞われ、明石の入道が舟を仕立てて迎えにきて、源氏は明石の入道の邸に移った。一夜琴を弾じ、入道も琵琶・箏でお相手する。その夜、入道は娘に寄せる期待を源氏に告げ、次の日から岡部の宿に住む娘に文をやるようになる。巻名は舞台が明石に移ったことによる。特定の歌はない。

14 澪標 みおつくし

源氏は、須磨明石から帰京後、着々と政権の座を固める。まず桐壷帝の追善法要を行い、住吉神社へ願果しの参りに船で出かける。そこに、明石上が恒例の住吉詣でに来ていて源氏の住吉詣でに行き会い、政権の座についた源氏一行のこの上ない豪勢な行列を見て、あまりの身分の違いに引き返す。古歌にある。「わびねれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞとぞ思う」(『後選集』巻十三恋五、事い出来て後に京極の御息所につかわしける 元良親王 歌意:あなたを思いわびて逢えないのなら、今は同じこと、この身を尽くしても(捨てても・滅ぼしても)逢いたいと思う(百人一首)。澪標と身を尽くす・ほろぼすを掛けている。それを知って源氏は歌を送り、明石の上は返歌した。

(源氏)「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」
歌意 身を尽くして恋うている証しに澪標みおつくしのあるここで 会えるとは深い縁ですね
(明石上)「数ならで難波のこともかひなきに などみをつくし思ひそめけむ」
歌意 人数にも入らない甲斐ないわたしなのに どうして身を尽くして高貴なあなたをお慕いしたのでしょう
この両歌が巻名の由来になった。

15 蓬生 よもぎう

源氏は須磨明石で侘び住まいした三年の間、都では嘆き暮らす女たちが多かったが、中でも末摘花は、窮乏の中にあった。常陸の宮邸は蓬生が生い茂り、荒れ果て、召使たちも去って、狐・木霊の跳梁する中、末摘花は少しも動ぜず、ひたすら父母の遺風を守っていた。叔母が九州の任地へ同行することを勧めるが、承知せず、自分だけ残る。訪うものは稀に兄の禅師くらいだった。源氏が許されて帰京し、花散里を訪う道すがら、常陸の宮邸の前を通り、ようやく姫君を思い出し、訪問するのだった。巻名は蓬生が生い茂る宮邸の荒れ放題の様子から、取ったもの。

16 関屋 せきや

常陸介(元の伊予の介)が任地から、妻空蝉を連れて上京してくる。逢坂の関で、石山寺に願果しに詣でた源氏の一行とかち合う。源氏は元の小君を介して空蝉に文を出す。関屋とは逢坂の関の建物、そこから巻名が取られている。源氏一行が派手な衣装で関屋から現れる情景が描かれる。

17 絵合 えあわせ

冷泉帝には、権中納言(頭中将)の娘が弘徽殿女御として入内していたが、源氏の養女として、六条御息所の娘、元斎宮(梅壺女御)も入内した。帝は絵に造詣が深く、梅壺女御も絵をよくするので、女御は寵を競い合うことになり、帝の御前で帥の宮を判者にして、絵合わせを行うことになった。権中納言派は、新作を描かせて集め、源氏派は古画を中心に集めた。最期は源氏の須磨明石の絵日記が勝敗を決することになる。この宮中の行事にちなんで巻名がつけられた。

18 松風 まつかぜ

明石上と母尼君は、源氏の懇望により、明石から京へ上京するが、京の郊外の大井川のほとりにある祖父中務の宮から伝領した別荘を手入れしてそこに落ち着く。源氏の訪れはなく、明石上は所在なく、源氏の形見の琴をかき鳴らす。松風が響き合って、悲しい気持ちになって、尼君が詠う。

(明石の尼君)「身をかへてひとり帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」
歌意 尼姿になってひとり山里に帰ってくれば昔明石で聞いたような松風が吹いている。
 

19 薄雲 うすぐも

絵合・松風と同じ年の冬に始まり年が明けて、藤壺が亡くなり、源氏が念誦堂に籠って悲しんでいるときの歌から取っている。

(源氏)「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがえる」
歌意 入り日さす峰にたなびく薄雲は悲しみにくれるわたしの袖の色のようだ。

20 朝顔 あさがお

桐壺帝の弟・式部卿宮の姫君で、光源氏のいとこにあたる斎院朝顔の姫君。父式部卿宮の死去に伴い、朝顔の君は、斎院を退下し、宮の旧邸桃園の宮に移った。源氏は桃園邸を訪問するが、姫君は容易に源氏に靡かない。歌の贈答があり、それによる。

(源氏)「見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ」
歌意:いつぞや拝見した朝顔のようなあなたの顔が忘れられません 花の盛りは過ぎましたでしょうか
(朝顔)「秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔」
歌意:秋も終わって霧のなかの垣根にからまって人知れず咲く朝顔のようなわたしです

21 乙女 おとめ

冬。源氏は、五節の舞姫に惟光の娘を献上する。夕霧は娘を見てその美しさにひかれ、歌を贈る。乙女(少女)とは、五節の舞姫を言う歌語である。源氏も昔を偲び筑紫の五節の君に歌を贈った。巻名の由来となる歌はない。この年8月、六条院が完成する。

22 玉鬘 たまかずら

源氏は夕顔の遺児玉鬘を娘分として六条の邸に引き取り、花散里に世話を託す。源氏が面会した時の歌。

(源氏)「恋ひわたる身はそれなれど玉づらいかなる筋を尋ね来つらむ」
歌意:夕顔を慕う気持ちは変わらないが、この美しい髪の娘はどんな筋をたどってわたしの処に来たのだろう。
玉はかづらの美称。かづらは、髪にさす花・枝・飾り。

23 初音 はつね

六條の院が新装なった元日、源氏は年末に夫人方に晴れ着を贈っており、それを着ける夫人たちを見るのを楽しみに、年賀のため六条の院の女君たちを訪れる。まず明石の君を訪れ贈られた年始の歌に生母の情を感じあわれむ。

(明石の君)「年月をまつにひかれてる人にけふ鶯の初音きかせよ」
歌意:長の年月待ちわびている私に、今日は鶯の初音を聞かせてください。

24 胡蝶 こちょう

六条の院の紫の上の春の御殿で、春の庭が美しく咲き誇り、池に舟を浮かべたり、今を盛りと楽しんでいた。折から里帰り中だった中宮(秋好中宮)は、翌日は、中宮の季の読経の日。六条の院に集まった殿上人たちがそのまま、中宮の御殿に参上する。紫の上も供花を鳥・蝶の童女に歌を添えて献上させた。去年、春秋の優劣を中宮と競ったが、この歌で春の優位が決まったようだ。

(紫の上)「花園の胡蝶をさへや下草に秋まつむしはうとく見ゆらむ」
歌意:春の花園に舞う胡蝶も、下草に隠れて秋を待つ松虫を厭うのでしょうか。
(中宮)「胡蝶にもさそはれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば」
歌意:胡蝶の舞人についてそちらに行きたい幾重にも隔てなさらなければ。
春秋の論争は、春の紫の上に、秋の中宮が譲った形になる。

25 蛍 ほたる

源氏は美しい玉鬘に惹かれて言い寄るが、玉鬘の困惑は一通りではなかった。一方で、源氏は玉鬘に兵部卿の宮との交際を勧め、宮に色よい返事を送って、二人の会見を段取りしたりする。五月四日の夜、玉鬘の世話を焼くふりをして、その身辺に蛍を放ち、ほのかな蛍の光に浮かぶ玉鬘の姿を宮に見せる。巻名はこの場面からとっている。

26 常夏 とこなつ

常夏とこなつは撫子の別名。六条院の庭前には、いろいろな色の撫子の花が咲き誇っている。源氏は養女として引き取った玉鬘の美しさに魅かれる。源氏と玉鬘の歌の交換から巻名はとられている。

(源氏)「撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ」
歌意:撫子のような変わらぬ美しさのあなたを見たら内大臣はきっと母上の行方を尋ねることでしょう。「とこなつかしき」に常夏(撫子の別名)を詠み込む。
(玉鬘)「山賤の垣ほに生ひし撫子の もとの根ざしを誰れか尋ねむ」
歌意:賤の垣根に生いた撫子の 母のことなど誰が尋ねてくれるでしょうか。

27 篝火 かがりび

七月五六日頃の夕月夜に、源氏は玉鬘のもとに赴く。残暑の折り柄、源氏は庭前に篝火を焚かせほのかに明るむ室内で、琴を枕に玉鬘に添い臥した。それ以上無体なことをせぬ源氏、まことに、不思議な仲である。源氏はおのが思いを篝火の煙によそえて訴えった。巻名はこの時の贈答の歌による。

(源氏)「篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬ炎なりけれ」
歌意:あの篝火の煙につれて立ち昇る煙こそ消えぬわたしの恋心です。
(玉鬘)「行方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば」
歌意:果てしない空に消してください、篝火に立ち昇る煙とおっしゃるならば。

28 野分 のわけ

仲秋八月六条の院西南の町、秋好む中宮の御殿の庭園は、例年になく秋草の花の景観が目を奪うほどのすばらしさであった。ちょうど中宮も里下がり中で、研を競う秋の花々に目を楽しませていたが、ある日の夕方から、激しい野分が吹き荒れはじめて、夜通し猛威をふるった。この巻名は、その野分をもってする。

29 行幸 みゆき

源氏三十六歳、玉鬘への恋に苦しんでいる。その年の冬十二月、大原野の行幸があり、左右大臣以下揃って、供奉する盛儀が書かれるが、源氏は参加していない。玉鬘も人々に混じって見物し、念願の父内大臣の姿に目を止め、求婚者の兵部卿の宮、髭黒の大将をも見るが、帝の美しさは格別で、源氏の勧める尚侍就任にも心が動いた。巻名は行幸の盛儀に寄せて詠んだ源氏の歌にもとづく。

(源氏)小塩山みゆきつもれる松原に今日ばかりなるあとやなからむ 
歌意 「小塩山」歌枕、大原野にあった山。昔大原野の行幸があったとしても、今日の盛儀にまさることはないでしょう。

30 藤袴 ふじばかま

玉鬘は典侍ないしのすけとして出仕することになった。祖母にあたる大宮が亡くなり、喪服姿の玉鬘を、同じ姿の夕霧が訪れる。夕霧は源氏の使いとして、帝の意向を伝えに来たのだが、手にした藤袴にこと寄せて、夕霧が胸中を漏らすのだった。巻名はこの時の贈答歌の言葉による。

(夕霧)「同じ野の露にやつるる藤袴、あはれはかけよかことばかりも」
歌意:同じ祖母の死を悲しんで喪服に身をやつすわたしたちではありませんか、やさしいお言葉を少しでもきかせてください。
(玉鬘)「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば薄紫やかことならまし」
歌意:お尋ねになってみてご縁の遠い間柄だったらよろしいのですが、薄紫の花は同じ源氏の紫のゆかりで、実の姉弟にも等しいではありませんか。
と言って夕霧の求愛を斥ける歌を返す。

31 真木柱 まきばしら

意外なことに、玉鬘は髭黒の手中に帰した。髭黒の北の方は式部卿の宮姫君だが、長年物の怪に憑かれて乱心している。ある雪の夜、玉鬘の元へ行こうとする髭黒に火取りの灰を浴びせる。恐れをなした髭黒は自邸によりつかず、式部卿は北の方を引き取る。髭黒と北の方との間には、十二三歳の姫君と、十歳と八歳の男の子があったが、その姫君が自邸を去る悲しみの歌を詠み、真木柱に挟み込む。。巻名はそれによる。

(姫君)「今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木まきの柱はわれをわするな」
歌意:もうこれきりこの家を去っても、日ごろ寄り添ってきた真木の柱はわたしを忘れないでおくれ。

32 梅枝 うめがえ

明石の姫君の裳着とそれに続く入内の準備に源氏は善美を尽くした。正月の末、薫物の調合を思い立ち、六条の院の婦人方や朝顔の前斎院に、伝来の名香を配って調合を依頼する。二月十日、紅梅の花盛りに、兵部卿の宮が訪れ、薫物比べが行われた。当夜、宴游が行われ、内大臣の子息弁の少将が催馬楽「梅が枝」を謡って、興を添えた。巻名はこれに由来する。

(催馬楽「梅が枝」) 「梅が枝に 来居きいる鶯 や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだ や 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ」

33 藤裏葉 ふじのうらは

夕霧は雲居の雁を思いつつ、素知らぬ風を続けていたが、内大臣は夕霧の縁談話の噂に焦っていた。三月二十日、故大宮の三回忌を機に内大臣は夕霧と雲居の雁の結婚を許そうと思った。四月初め、内大臣は夕霧を自邸の藤の花の宴に招く。長い年月を耐えてようやく結ばれた夕霧と雲居の雁は理想的な夫婦である。巻名は、婿取りの宴席、内大臣が「藤の裏葉の」と諳した古歌による。

「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思わば我も頼まむ」(『後撰集』巻三春下、男のもとより頼めおこせてはべりければ、読み人知らず)上二句は三句「うらとけて」を導く。
歌意 あなたが折れれば、わたしも許そう。「そなたがおれて思はば我も、との心也」(孟津抄)

34 若菜 上 わかな じょう

源氏は准太政天皇の殊遇を受ける。年明けて正月、玉鬘が源氏四十の賀を催し若菜を献じた。巻名はこの時の歌による。

(玉鬘)「若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな」
歌意:若葉の萌え出ずる野辺の小松ー幼い子供たちを引き連れまして、育ててくださった親(もとの岩根)の千歳を祈る今日なのでございます。
(源氏)「小松原末のよわひにひかれてや野辺の若葉も年をつむべき」
歌意:小松原の生い先長い齢にひかれて、野辺の若葉(私)も長生きするのでしょうか。

35 若菜 下わかな げ

源氏最盛期である。四年がたち、冷泉帝は在位18年で譲位し、今上帝が即位し。明石の女御腹の第一皇子が立坊する。朱雀院が50才のなるので、女三の宮が御賀を計画し、源氏は若菜を献じたいと思い、夜な夜な源氏は宮に琴の秘曲を伝授した。紫の上が発病し、重態となる。若菜は同じ巻名で上下に分けられているが、巻名の由来となった歌は特にあげられていない。

36 柏木 かしわぎ

柏木は、源氏に顔向けできないことをしたため、気を病んで、病は一向に良くならず、死を覚悟する。女三の宮は男子を出産する。三の宮も源氏に顔向けできないと悩む。夜、見舞いに来た朱雀院に懇願し出家を遂げる。それは宮にとりついた六条の御息所の死霊の働きであった。親友の夕霧は柏木を見舞い、柏木からそれとなく事情を告げられる。柏木はこの巻で死ぬ。夕霧は柏木の遺言であるかのように、北の方の落葉の宮と母の御息所を頻繁に訪ねるようになる。夕霧と御息所の歌の応答から、巻名がつけられる。

(夕霧)ことならば馴らしの枝にならさなむ葉守の神の許しありきと 
いっそのことなら、この連理の枝のようになりたいものです 元のあるじの許しがあったので
(御息所)柏木に葉守りの神はまさずとも人ならすべき宿の梢か
歌意 たとえ主人あるじがいないからといって人を馴れ馴れしく近づけていいものでしょうか
柏木には葉守りの神が宿る、と云い伝えがあった。

37 横笛 よこぶえ

柏木の一周忌は源氏も夕霧も心をこめて弔う。薫の分も手厚くするのだった。一夜、夕霧は一条の宮を訪れ落葉の宮と合奏した。帰りがけに、御息所は柏木遺愛の横笛を贈った。巻名はこの時の贈答の歌による。

(御息所)露しげきむぐらの宿にいにしへの 秋に変はらぬ虫の声かな
歌意 涙にくれるあれ宿に昔に変わらぬ虫の音が聞こえてる
(夕霧)横笛の調べはことに変はらぬを むなしくなりし音こそ尽きせね
歌意 横笛の調べは昔に変わらないが亡き人をしのび泣く音は尽きません

38 鈴虫 すずむし

翌年、女三の宮の持仏開眼供養が行われた。新築中の念誦堂のためのもので、源氏は仏具一色を整え、紫の上も美しいはたや布施の僧服を用意する。源氏は供える経は自ら筆を染めた。秋、女三の宮の庭を野の風情に作り変え、鈴虫を放った。源氏は虫の音を賞美し、琴を弾き、歌を唱和するのだった。

(女三の宮)おほかたの秋をば憂しと知りにしを ふり捨てがたき鈴虫の声
歌意 秋はつらいものと知っていましたが、鈴虫の声は心惹かれますね 
(源氏)心もて草の宿りを厭へども なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
歌意 あなたはこの世を厭って捨てましたが それでも鈴虫の音には惹かれます。

39 夕霧 ゆうぎり

一条の御息所は、物の怪加持のため娘の落葉の宮とともに、小野の山荘に移る。落葉の宮に恋慕する夕霧は、小野を訪れ、宮の部屋に忍び込むが、宮の同意が得られない。その時の歌の贈答。

(夕霧)「山里のあはれを添ふる夕霧に立ち出でむそらもなきここちして」
歌意 山里のものわびしさをつのらせる夕霧がたちこめて帰る気になれません。
(落葉の宮)「山賤のまがきをこめて立つ霧も 心そらなる人はとどめず」
歌意 この山里の籬をおおう霧も徒なる人は引き止めません
巻名はこの歌による。この巻の主人公として、この人を夕霧と呼んだ。

40 御法 みのり

紫の上は大病の後、容態がよくならず、出家を希望するが、源氏は許さない。法華経千部の供養を発願して、その時花散里と贈答した歌が巻名になる。

(紫の上)「絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にとむすぶ中の契りを」
歌意 これがわたしの最後の法会になりますが この結縁でむすばれたあなたとのご縁を世々の頼みとします。 
(花散里)「結びおく契りは絶えじおほかたの残り少なき御法なりとも」
歌意:法会で結ばれたごわたしたちのご縁は後の世まで絶えることはないでしょう、互いに短い命としても。
紫の上はこの巻で死去する。

41 幻 まぼろし

紫の上が亡くなって、源氏は時節の折々に悲しみにくれる。神無月、時雨がちの頃、雨が涙を誘い、空飛ぶ雁に、大空を飛ぶ幻(道士)を求める。巻名はこの時の源氏の歌による。

(源氏)大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬたまの行方たづねよ
歌意 大空を自在に飛ぶ道士よ夢にも現れない亡き人の魂の行方をさがしてくれ
源氏は出家しようとしている。ここで源氏の物語は終わる。

42 匂宮 におうみや

源氏は出家後二三年で亡くなったようだ。光源氏亡きあと、八年の歳月がたち、今上帝の三の宮(兵部卿の宮)と、女三の宮腹の薫と二人が、若く声望があった。世人は二人を、匂兵部卿、薫る中将ともてはやした。巻名はこの巻の主人公の名に由来する。

43 紅梅 こうばい

柏木なきあと、故致仕太政大臣家を次男の按察使の大納言が継ぐ、次男一家を語る巻である。この巻の中心人物となることから、後世の人により「紅梅大納言」の通称がつけられた。亡くなった北の方との間には二人の姫君、大君と中の君がいた。今の北の方は、髭黒大臣の娘で故蛍兵部卿宮の北の方だった真木柱で、二人の間に男子、大夫の君がいる。また、真木柱には故宮の忘れ形見の姫君、宮の御方がいて、この姫君も大納言の邸で暮らしている。紅梅大納言は中の君を匂い宮にと望んでいて、宮の方の住む東の軒先に咲く紅梅をつけて、匂い宮に歌をおくる。この場面から巻名がとられた。おくった歌に紅梅の語はない。

44 竹河 たけかわ

故致仕の大臣亡きあと、後の太政大臣と呼ばれる髭黒が政権の座についていたがその髭黒も亡くなった。この巻は玉鬘と髭黒一族の話になる。髭黒と玉鬘には大君と中の君という二人の年頃の姫がおり、冷泉院は、玉鬘の昔のことを忘れかねてその子の大君を所望していた。正月、若者たちが玉鬘邸にあつまって、催馬楽『竹河』楽しく詠じるのだった。薫も夕霧の子息の蔵人の少将も大君にあこがれていたが、玉鬘は大君を冷泉帝に仕えさす決意をする。翌年の正月男踏歌のあと、薫は院に呼ばれて、内裏へ参上する。その昔の正月に、楽しく催馬楽の『竹河』を皆で演奏したことが、話題になり、歌を交わす。

(女房)竹河のその夜のことは思ひ出づやしのぶばかりの節はなけれど
歌意 竹河を楽しくお歌いになったあの夜のことを覚えていますかあえて思い出すほどの出来事ではありませんが
(薫)流れての頼めむなしき竹河に世は憂きものと思ひ知りにき
歌意 大君が帝に仕えることになり生きる希望もなくなって世は憂きものと知りました

この歌の応答から巻名がとられている。

45 橋姫 はしひめ

ここから場面は変わり、45橋姫から54帖夢浮橋までは宇治十帖と呼ばれる新しい展開になる。薫は御前の阿闍梨から聞いた、宇治の八宮の処に、仏道を学ぶため、通うようになった。宮には、大君と中の君と呼ばれる娘が二人がいる。宇治へ通って、三年たったある日、薫は姫たちの合奏を偶然聞くことになり、姫たちの存在に気づくのだった。中でも、姉の大君、惹かれた。宮が寺に修行中に訪れて、歌を交わす。

(薫)橋姫の心を汲みて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞ濡れぬる
歌意 姫たちのさびしい心根をお察ししますと浅瀬に棹さすわたしの袖が雫に濡れます
(大君)「さしかへる宇治の河長朝夕のしづくや袖を朽たし果つらむ
歌意 朝夕行き来する渡し守の袖はすっかり濡れていることでしょう
「宇治の橋姫」は、宇治橋の守護神のこと。ここでは姫君たちによそえている。

46 椎本しいがもと

薫から姫君たちのことを聞いた匂い宮は中君に興味を持つ。匂い宮の文に、八宮も中君に返事を出すよういう。薫は八宮から姫君たちの後見を託される。そうこうするうち宮は山寺で亡くなる。宇治の山荘は、一気に寂しい住まいになった。

(薫)立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本 空しき床になりにけるかな
椎の木と頼りにしていたお方の床は空しくなってしまった

薫は自分の気持ちを大君に告白するが、大君は取り合わず、むしろ中の君を薫に勧めるのだった。

47 総角 あげまき

八宮の一周忌に、薫は宇治を訪れる。姫君たちは、法要の支度に、総角を結んでいる。薫は大君への思いを歌に詠む。

(薫)「あげまきに長き契りをむすびこめおなじところによりもあはさむ」
歌意:あげまき結びに結ばれて末永く一緒にいたい。
(大君)ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に長き契りをいかが結ばむ
歌意 貫きとめることができないもろい私の命ですどうして長い契にむすぶことができましょう
この歌が巻名になる。薫は大君に近ずくが思いを遂げられない。そのうち大君は病になり薫に看取られて亡くなる。

48 早蕨 さわらび

父宮を亡くし姉の大君をも失って悲しむ中君に山寺から、新年のあいさつとともに籠に入れて蕨や土筆が贈られてきた。この時阿闍梨と中君が歌の贈答をした。

(阿闍梨)君にとてあまたの春を摘みしかば 常を忘れぬ初蕨なり
歌意 亡き宮様に長年春には若菜を献上していましたので、いつもの通りお持ちしました。
(中君)この春はたれにか見せむ亡き人のかたみに摘める峰の早蕨
歌意:今年の春は誰に見せましょう 亡き父の形見に摘んだ早蕨を。
この歌が巻名になる。中君は匂い宮の住む二条院に移り新しい生活に入る。

49 宿木 やどりぎ

大君を失った薫の嘆きは尽きない。薫は今上の帝の許しがあり、女二宮を北の方にむかえる。薫は、八宮が認知していない娘(浮舟)がいることを聞き、それが大君と生き写しなのを知る。その時、弁の尼と和歌を唱和する。

(薫)宿り木と思ひ出でずは木のもとの旅寝もいかにさびしからまし
歌意 昔泊まったことがあると思い出がなかったら深山木のしたの旅寝はどんなに寂しかろう
(弁尼)荒れ果つる朽木のもとを宿りきと 思ひおきけるほどの悲しさ
歌意 荒れ果てた宿に泊まったと覚えておられるのも悲しいです
巻名はこの歌からとったもの。

50 東屋 あずまや

二条院の匂宮を避けて、仮の宿(東屋)に移った浮舟を薫が尋ねる。雨が降っていて待たされた薫が詠んだ歌。

(薫)さしとむる葎やしげき東屋のあまりほど降る雨そそきかな
歌意 葎が茂った東屋の戸口を閉ざして、待たされて、降り止まぬ雨に濡れる
巻名はこの歌による。また、催馬楽の律「東屋あづまや」がある。「東屋の 真屋まやのあまりの その 雨そそぎ われ立ち濡れね 殿戸とのどひらかせ かすがひも とざしもあらばこそ その殿戸 われさめ おしひらいて来ませ われや人妻ひとづま」/ 意味:「東屋の、真屋の軒端の、その雨滴そそぎ、我は立ち濡れた、殿戸を開いておくれ」 「かすがいも、戸閉まりも、しているなら、その殿の戸、わたしは閉めるでしょうが・していない、押し開いていらっしやい、わたしは人の妻か・君の妻」帯びとけの古典文学 

51 浮舟 うきふね

匂宮は、薫を出し抜いて、宇治へ行き、薫と偽って部屋に入って強引に浮舟と契る。浮舟を連れ出して小舟に乗せ、「橘の小島」を見て、対岸の隠家で日を過ごす。舟で渡る時、匂宮と浮舟は歌を交わす。

(匂宮)年経とも変はらむものか橘の 小島の崎に契る心は 
歌意 年をへても心変わりしません橘の小島の崎で誓う心は
(浮舟)橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ」
歌意 橘の小島の色のように心変わりしなくとも、この浮舟はどちらにいったらいいのか

52 蜻蛉 せいれい

宇治の邸から、浮舟は失踪する。誰も浮舟がどうなったかわからない。宇治川に身投げしたと思われ、世間体も憚って、骸のないまま葬儀が行われる。薫は、八宮の一族の大君・中君・浮舟を思い、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、詠う。

(薫)ありと見て手にはとられず見ればまたゆくえもしらずきえし蜻蛉 
歌意 やっと手にしたと思うと行方が分からず消えてしまう蜻蛉
この歌から巻名がとられた。

53 手習 てならい

宇治川に身投げしようと思っていた浮舟は、気の弱ったところを、物の怪に襲われた。初瀬詣での帰りに横川僧都の母尼の一行に偶然助けられて、小野の山里にある尼君の邸で生きつく。所作いない日々のつれづれに手習いの歌を詠む。巻名はそれによる。

(浮舟)身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし
歌意 悲しみのあまり身を投げた早瀬に柵(しがらみ)をかけて誰が救ってくれたのでしょう

54 夢浮橋 ゆめのうきはし

おそらく著者の命名したもので、本文中「夢」の語が5回出てくる。古歌「世の中は夢の渡りの浮橋かうちわたりつつももをこそ思え」(出典不明)に基づくものであろうか、と言われている。「夢の渡りの浮橋」は、世の中がはかなくて渡りにくいことのたとえ。


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公開日2024年1月2日