源氏物語  巻名の由来

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1 桐壺

ある御代に、帝にことのほか寵愛された更衣がいた。その更衣はお妃たちに妬まれいじめられて、幼い皇子(源氏)を残して死ぬ。その更衣の御殿は淑景舎しげいしゃで、壺(中庭)に桐が植えてあったことから、桐壷とよばれる。更衣は、桐壷の更衣とよばれるようになり、帝も桐壷帝と呼ばれる。

2 帚木

「帚木」は信濃国、伊那郡、園原の伏屋という所にあった帚(ほうき)を逆さにしたような木で、遠くからは見えるが近づくと見えなくなるという。巻末の源氏と空蝉の贈答の歌による。二度と源氏の接近を許さない空蝉の態度を指している。
(源氏の歌)「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひけるかな」歌意ー近づけば消えるという帚木のようなあなたの心も知らず 園原に来てすっかり道に迷ってしまった。(空蝉の歌)「数ならぬふせ屋におふる名の憂きにあるにもあらず消ゆる帚木」歌意ーとるにたらない伏屋に生まれた卑賤の身をですので 居たたまれずに帚木のように消えるのです。

3 空蝉

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4 夕顔

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5 若紫

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6 末摘花

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7 紅葉賀

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8 花宴

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9 葵

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10 賢木

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11 花散里

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12 須磨

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13 明石

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14 澪標

源氏は、須磨明石から帰京後、着々と政権の座を固める。まず桐壷帝の追善法要を行い、住吉神社へ願果しの参りに船で出かける。そこに、明石上が恒例の住吉詣でに来て源氏の住吉詣でに行き会い、政権の座についた源氏一行のこの上ない豪勢な行列を見る。次の古歌から取ったもの。「わびねれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞとぞ思う」歌意:あなたを思いわびて逢えないのなら、今は同じこと、海に立てた澪標(みをつくし)この身を尽くしても(捨てても・滅ぼしても)逢いたいと思う(百人一首)。

15 蓬生

源氏は須磨明石で侘び住まいした三年の間、都では嘆き暮らす女たちが多かったが、中でも末摘花は、窮乏の中にあった。常陸の宮邸は蓬生が生い茂り、荒れ果て、召使たちも去って、狐・木霊の跳梁する中、末摘花は少しも動ぜず、ひたすら父母の遺風を守っていた。叔母が九州の任地へ同行することを勧めるが、承知せず、自分だけ残る。訪うものは稀に兄の禅師くらいだった。源氏が許されて帰京し、花散里を訪う道すがら、常陸の宮邸の前を通り、ようやく姫君を思い出し、訪問するのだった。巻名は蓬生が生い茂る宮邸の荒れ放題の様子から、取ったもの。

16 関屋

常陸介(元の伊予の介)が任地から、妻空蝉を連れて上京してくる。逢坂の関で、石山寺に願果しに詣でた源氏の一行とかち合う。源氏は元の小君を介して空蝉に文を出す。関屋とは逢坂の関の建物、そこから巻名が取られている。

17 絵合

冷泉帝には、権中納言(頭中将)の娘が弘徽殿女御として入内していたが、源氏の養女として、六条御息所の娘、元斎宮(梅壺女御)も入内した。帝は絵に造詣が深く、梅壺女御も絵をよくするので、女御は寵を競い合うことになり、帝の御前で帥の宮を判者にして、絵合わせを行うことになった。権中納言派は、新作を描かせて集め、源氏派は古画を中心に集めた。最期は源氏の須磨明石の絵日記が勝敗を決することになる。この宮中の行事にちなんで巻名がつけられた。

18 松風

明石上と母尼君は、源氏の懇望により、明石から京へ上京するが、京の郊外の大井川のほとりにある祖父中務の宮から伝領した別荘を手入れしてそこに落ち着く。明石上は所在なく、源氏の形見の琴をかき鳴らす。松風が響き合って、悲しい気持ちになって、尼君が詠う。
(明石の尼君の歌)「身をかへてひとり帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」歌意:尼になってひとり山里に帰ってみれば昔明石で聞いたような松風が吹いている。 

19 薄雲

藤壺が亡くなり、源氏が念誦堂に籠って悲しんでいるときの歌から取っている。(源氏の歌)「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがえる」歌意ー入り日さす峰にたなびく薄雲は悲しみにくれるわたしの袖の色のようだ。

20 朝顔

桐壺帝の弟・式部卿宮の姫君で、光源氏のいとこにあたる斎院朝顔の姫君。父式部卿宮の死去に伴い、朝顔の君は、斎院を退下し、宮の旧邸桃園の宮に移った。源氏は桃園邸を訪問するが、姫君は容易に源氏に靡かない。歌の贈答があり、それによる。
(源氏の歌)「見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ」 歌意:いつぞや拝見した朝顔が忘れられません 花の盛りは過ぎましたでしょうか (朝顔の歌)「秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔」 歌意:秋も終わって霧のなかの垣根にからまって人知れず咲く朝顔のようなわたしです

21 乙女

冬。源氏は、五節の舞姫に惟光の娘を献上する。夕霧は娘を見てその美しさにひかれ、歌を贈る。乙女(少女)とは、五節の舞姫を言う歌語である。源氏も昔を偲び筑紫の五節の君に歌を贈った。

22 玉鬘

源氏が夕顔の遺児玉鬘を六条の邸に引き取り、面会した時の歌。「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ」(源氏の歌)歌意:夕顔を慕う気持ちは変わらないが、この美しい髪の娘はどんな筋をたどってわたしの処に来たのだろう。「玉かづら」玉はかづらの美称。かづらは、髪にさす花・枝・飾り。

23 初音

六條の院が新装なった元日、源氏は年賀のため六条の院に集めた女君たちを訪れる。まず明石の君を訪れ贈られた年始の歌に生母の情を感じあわれむ。明石の君の歌「年月をまつにひかれてる人にけふ鶯の初音きかせよ」歌意:長の年月待ちわびている私に、鶯の初音を聞かせてください。

24 胡蝶

三月二十日過ぎ、六条の院の紫の上の春の御殿では、春の庭が繚乱の景が繰りひろげられていた。折から里帰り中だった中宮(秋好中宮)は、翌日は、中宮の季の読経の日。六条の院に集まった殿上人たちがそのまま、中宮の御殿に参上する。紫の上も供花を鳥・蝶の童女に献上させた。その時添えた紫の上の歌「花園の胡蝶をさへや下草に秋まつむしはうとく見ゆらむ」歌意:春の花園に舞う胡蝶も。下草に隠れて秋を待つ松虫を厭うのでしょうか。中宮の返歌「胡蝶にもさそはれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば」歌意:胡蝶の舞人についてそちらに行きたい幾重にも隔てなさらなければ。背景に春・秋論争があり、春の紫の上に、秋の中宮が譲った形になる。

25 蛍

源氏に言い寄られて玉鬘の困惑は一通りではなかった。一方で、源氏は玉鬘に兵部卿の宮との交際を勧め、宮に色よい返事を送って、二人の会見を段取りしたりする。五月四日の夜、玉鬘の世話を焼くふりをして、その身辺に蛍を放ち、ほのかな蛍の光に浮かぶ玉鬘の姿を宮に見せる。巻名はこの場面からとっている。

26 常夏

常夏とこなつは撫子の別名。六条院の庭前には、いろいろな色の撫子の花が咲き誇っている。源氏は養女として引き取った玉鬘の美しさに魅かれる。源氏と玉鬘の歌の交換から巻名はとられている。源氏の歌「撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ」歌意:撫子のような変わらぬ美しさのあなたを見たら内大臣はきっと母上の行方を尋ねることでしょう。「とこなつかしき」に常夏(撫子)を詠み込む。玉鬘の歌「山賤の垣ほに生ひし撫子の もとの根ざしを誰れか尋ねむ」歌意:賤の垣根に生いた撫子の 母のことなど誰が尋ねてくれるでしょうか。

27 篝火

七月五六日頃の夕月夜に、源氏は玉鬘のもとに赴く。残暑の折り柄、源氏は庭前に篝火を焚かせほのかに明るむ室内で、琴を枕に玉鬘に添い臥した。それ以上無体なことをせぬ源氏、まことに、不思議な仲である。源氏はおのが思いを篝火の煙によそえて訴えった。巻名はこの時の贈答の歌による。源氏の歌「篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬ炎なりけれ」歌意:あの篝火の煙につれて立ち昇る煙こそ消えぬわたしの恋心です。玉鬘の歌「行方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば」歌意:果てしない空に消してください。篝火に立ち昇る煙とおっしゃるならば。

28 野分

仲秋八月六条の院西南の町、秋好む中宮の御殿の庭園は、例年になく秋草の花の景観が目を奪うほどのすばらしさであった。ちょうど中宮も里下がり中で、研を競う秋の花々に目を楽しませていたが、ある日の夕方から、激しい野分が吹き荒れはじめて、夜通し猛威をふるった。この巻名は、その野分をもってする。

29 行幸

源氏三十六歳、玉鬘への恋に苦しんでいる。その年の冬十二月、大原野の行幸があり、左右大臣以下揃って、供奉する盛儀が書かれる。玉鬘も人々に混じって見物し、念願の父内大臣の姿に目を止め、求婚者の兵部卿の宮、髭黒の大将をも見るが、帝の美しさは格別で、源氏の勧める尚侍就任にも心が動いた。巻名は行幸の盛儀に寄せて詠んだ源氏や玉鬘の歌にもとづく。・・・

30 藤袴

喪服姿の玉鬘を、同じ姿の夕霧が訪れる、二人は祖母大宮の喪に服している。夕霧は源氏の使いとして、帝の意向を伝えに来たのだが、事情が判明した今は、手にした藤袴にこと寄せて、夕霧が胸中を漏らすのだった。巻名はこの時の贈答歌の言葉による。夕霧の歌「同じ野の露にやつるる藤袴、あはれはかけよかことばかりも」歌意:同じ祖母の死を悲しんで喪服に身をやつすわたしたちではありませんか、やさしいお言葉をきかせてください、ほんの申し訳にでも。玉鬘の歌「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば薄紫やかことならまし」歌意:お尋ねになってみてご縁の遠い間柄だったらよろしいのですが、この花の薄紫はよい口実になりましょう、こうして同じ源氏の縁故(紫のゆえ)にいる故に実の姉弟にも等しいではありませんか。と言って夕霧の求愛を斥ける歌を返す。

31 真木柱

玉鬘は髭黒の手中に帰した。髭黒の北の方は式部卿の宮姫君だが、長年物の怪に憑かれて乱心している。ある雪の夜、玉鬘の元へ行こうとする髭黒に火取りの灰を浴びせる。恐れをなした髭黒は自邸によりつかず、式部卿は北の方を引き取る。髭黒と北の方との間には、十二三歳の姫君と、十歳と八歳の男の子があったが、その姫君が自邸を去る悲しみの歌を詠み、真木柱に挟み込む。。巻名はそれによる。姫君の歌「今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木まきの柱はわれをわするな」歌意:もうこれきりこの家を去っても、日ごろ寄り添ってきた真木の柱はわたしを忘れないでおくれ。

32 梅枝 

明石の姫君の裳着とそれに続く入内の準備に源氏は善美を尽くした。正月の末、薫物の調合を思い立ち、六条の院の婦人方や朝顔の前斎院に、伝来の名香を配って調合を依頼する。二月十日、紅梅の花盛りに、兵部卿の宮が訪れ、薫物比べが行われた。当夜、宴游が行われ、内大臣の子息弁の少将が催馬楽「梅が枝」を謡って、興を添えた。巻名はこれに由来する。「梅が枝に 来居きいる鶯 や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだ や 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ」

33 藤裏葉

夕霧は雲居の雁を思いつつ、素知らぬ風を続けていたが、内大臣は夕霧の縁談話に焦っていた。三月二十日、故大宮の三回忌を機に二人は和解した。四月初め、内大臣は夕霧を自邸の藤の花の宴に招く。長い年月を耐えてようやく結ばれた夕霧と雲居の雁は理想的な夫婦である。巻名は、婿取りの宴席、内大臣が諳した古歌の言葉による。「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思わば我も頼まむ」(『後撰集』巻三春下、男のもとより頼めおこせてはべりければ、読み人知らず)上二句は三句「うらとけて」を導く。歌意 あなたが折れれば、わたしも許そう。「そなたがおれて思はば我も、との心也」(孟津抄)

34 若菜 上

年明けて正月、玉鬘が源氏四十の賀を催し若菜を献じた。巻名はこの時の歌のことばによる。(玉鬘)「若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな」歌意:若葉の萌え出ずる野辺の小松ー幼い子供たちを引き連れまして、育ててくださった親(もとの岩根)の千歳を祈る今日なのでございます。(源氏)「小松原末のよわひにひかれてや野辺の若葉も年をつむべき」歌意:小松原の生い先長い齢にひかれて、野辺の若葉(私)も長生きするのでしょうか。

35 若菜 下

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36 柏木

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37 横笛

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38 鈴虫

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39 夕霧

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40 御法

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41 幻

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42 匂宮

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43 紅梅

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44 竹河

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45 橋姫

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46 椎本

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47 総角

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48 早蕨

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49 宿木

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50 東屋

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51 浮舟

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52 蜻蛉

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53 手習

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54 夢浮橋

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公開日20//年//月//日